吉本ばななの短編小説集「ミトンとふびん」に収められた一篇「SINSIN AND THE MOUSE」を、日本と台湾の合作で映画化した『シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE』(6月26日公開)。母を失い喪失感を抱えていた主人公が、旅先の台湾で出会った男性と会話を重ね、止まっていた心をゆっくりと動かしていくヒューマンドラマだ。主人公のちづみを演じるのは、『愛がなんだ』(19)、『ケイコ 目を澄ませて』(22)などの作品での確かな演技で観る者の心を震わせる岸井ゆきの。そしてちづみが台湾で出会う青年シンシンを「億万の幸運星(スター)」と呼ばれる台湾の演技派俳優ツェン・ジンホア(曽敬驊)が演じる。そこで主演の岸井ゆきのに話を聞いた。

撮影/久保田 司
スタイリスト/藤井牧子
ヘアメイク/茂木美鈴
インタビュー・文/佐久間裕子

撮影で来ると、こんなに見え方が違うんだなと思いました

──もともと吉本ばななさんの原作を読んでいらっしゃったそうですが、オファーを受けたときの心境はどんな感じでしたか?

「監督の真壁幸紀さんとプロデューサーの阿部豪さんが“岸井さんしかいない”と。小さいからかなと思いましたが、でも小さいことが大条件だったので、すごく熱のこもった言葉を掛けて下さいました。映画を台湾で撮ることも、台湾の方が相手役なのも初めて。海外のクルーと映画を撮ることにも興味があったので楽しみでした」

──実際に台湾で撮影してみていかがでした?

「台湾らしさというか、私がエドワード・ヤン監督作品でずっと観てきた反射を撮るということが思い出され、なるほどって感じました。撮影カメラマンの羅偉恩(ウェイン・ロー)さんの今までの仕事なども関係してくるかもしれませんが、カメラを置く位置が違うんだなと思いました。たくさん会話をしたわけではないですが、また違う世界があるんだなと感じて、それがすごく面白かったです。それと台湾の人たちは、食事の時間を大事にするんですね。あたたかいものをあたたかいうちに食べるんです。そして撮影時間が押したら、押した分だけオーバーチャージが支払われて、撮影時間も何時間までと決まっている。決まった時間内でやるべきことを終わらせようねと意識を共有することで、士気が上がることもあるんだなって感じました」

──台湾には何度も旅行で訪れていらっしゃるそうですが、今作で仕事のために滞在して旅行のときとの違いは感じましたか。

「感じました。3週間以上滞在したので、滞在の最後の方は日本食が恋しくなりましたね。プロデューサーが持ってきてくれた納豆ふりかけを白米にかけて食べることが楽しみでした」

──台湾は美味しいものばかりのイメージなので、食に苦労するというのは意外でした。

「台湾の食事は全部美味しいです。でも長期間過ごすとなると、私たちって日本人だよねって感覚になりました。」

──監督が台湾に旅立ちなくなるようなロケ地を探したとおっしゃっています。映画を観ながら“このお店行ってみたい”“これ美味しそう”と度々思いましたが、旅行で訪れたこともある観光地でロケしてみてどうでした?

「ほとんどが知っている場所でした。カフェやお茶屋さんといった、スポットでは知らないんだけど、〈街〉としては全部知っていて。だけど撮影で来ると、こんなに見え方が違うんだなと思いました」

──撮影で訪れるとどんな風に見えるのでしょうか。

「もっと街のことが見えるというか。私が台湾に行くときの目的は、基本的に果物を食べることなので、どこに何があるかという視点でばかり見ていたんです。例えば何度も来たことがある迪化街は、お茶や乾物が売っている場所として目的をフォーカスして見ていたというか。それが今回撮影で訪れて匂いや風、そういうものも全部含めて、街全体をじっくり味わうことができた、すごく贅沢に感じました」

画像: 撮影で来ると、こんなに見え方が違うんだなと思いました

おすすめしたい映画は、『シンシン・アンド・ザ・マウス』です

──役柄についてですが、今作で演じたちづみはどんな印象ですか?

「ちづみはお母さんとすごく仲が良くて、人生を共に歩んで来た、お母さんと一心同体みたいなところがある子だと思いました。母親が自分の一部になってしまっているというか。だからこそ、お母さんがいなくなり、自分が半分なくなってしまったような感覚になっている。でもお母さんが元気だったときは、多分ちづみもすごく元気だったと思うんです。彼女のエネルギーは母親のエネルギーでもあって、その頃のちづみはちゃんと外に飛び出せる人だったんだろうなって。もともとライブハウスの運営の仕事をして、好きなものと向き合っていたし。だけど母を亡くした今は、力がなくなっているんだなって印象でした」

──台湾に行ってどんどん生き生きしていくちづみの表情の変化が素敵でした。東京の場面は、台湾に行く前に全て撮ったのでしょうか?

「そうです。東京のシーンは寝てばかりいて、預けたままになっていたお母さんの服をクリーニング店に取りに行くなど、しっとりしたシーンが多くて。雨が降る時期に撮影したので、実際に重い空気が流れていました。それがバンドをやっている友人のマサミチ(藤原季節)から電話で“台湾のライブに来て”と誘われて一歩踏み出すことができた。その前段をふさわしい時期に東京で撮ることができたから、私の気持ちが完全にちづみの心情と重なることができたのだと思います。その状況を作ってくれたことにとても感謝しています」

──台湾に行くまでシンシン役のツェン・ジンホアさんとは面識がなかったそうですが、第一印象はいかがでしたか?

「日本では撮影が始まる前にお祓いをするんですけど、台湾にも同じような文化があって、そこで初めて会いました。初対面のジンホアさんは本当に輝いてみえました。もう光っちゃってるんですよ」

──発光していましたか?(笑)

「発光していました。素朴で誠実で、でもめちゃくちゃ輝いている、そんな印象でした。そして“こんにちは”と覚えた日本語で挨拶してくれて。“この人がシンシンだったら絶対大丈夫!”と思いました。」

──ジンホアさんと一緒にお芝居をした感想を教えてください。

「ジンホアさんはほとんど日本語のセリフを音で暗記していて、でも中国語翻訳の台本を見ながら、どのシーンで今何を言っているか常に照らし合わせて、シンシンの気持ちの土台を作っていてくれました」

──母国語ではない言葉のセリフを覚えるのは大変だったでしょうね。

「歌のように覚えるんだって言っていました。でもそこに中国語の台本を見て作った気持ちが乗っているので、なんか……すごく伝わるんです。それが自分にとっても感動的だったというか。心さえあれば、ちゃんと大切なものは受け取れるし、伝わるんだって、ジンホアさんに教えてもらいました。撮休の日にみんなで読み合わせをしたり、撮影の空き時間はずっと日本語の練習をしていました。台本に字を書き込んでるひらがながすごくきれいな字だったんです。“どうしてそんなに日本語の文字が上手なの?”と聞いたら、『一筆お祓いいたします』という書道をする台湾のドラマに出演していたんですね。あのドラマに出てくる字は、吹き替えなしで全部彼が書いたらしくて。“ひらがなを覚えたから書けるんだよ”って言っていました。今回だけじゃなく、この人は一つひとつの作品に誠実に向き合って、ちゃんと自分のものにしているんだってその時に感じて、なんて素晴らしい人なんだと思いました」

──流ちょうな日本語ではないかも知れないけど、その言葉からはシンシンの誠実さが伝わる気がしました。

「ジンホアさんにしか出せない真面目さみたいな、独特な空気をお持ちになっていますよね。すごくあったかいんだけど、低温みたいな感じがするのも不思議だし」

──一緒にお芝居してみてこういうシンシンだからこそ、ちづみは癒されたし、惹かれたのかなと思った魅力はどこでしたか?

「言葉に嘘がなく聞こえる。本当にそう思って言っている感じがします。もしシンシンを演じたのがジンホアさんじゃなかったら、ちづみが疑うところから入って、心が通うのかもってところで終わる可能性もあったと思うんです。信じられる言葉を持っている感じが、ジンホアさんとシンシンの近い部分なのかなって思いました」

画像1: おすすめしたい映画は、『シンシン・アンド・ザ・マウス』です

──この作品は大切な人を失ったときの喪失感もテーマの一つだと思います。人に限らず、岸井さんは何か喪失感を感じた経験はありますか?

「一番身近なことで言うと、作品が終わったときです。撮影中は演じている役と2、3カ月ぐらい一緒にいるわけじゃないですか。準備期間も含めたら半年ぐらいの役もある。だからオールアップして役と離れた瞬間は、“どっちで生きていたんだっけ?”みたいな気持ちがどうしても残りますね」

──今作が終わったときはどんな感情になりました? 台湾でもう一人のご自分と別れることになったわけですが。

「今回は今までよりは引きずらず、役と自分を切り離すことができました。なぜかというと記憶に残る土地が違うから。ちづみとして見た景色の中で、思い出に残っているのが台湾の景色の方が多いんですよね。それが東京のわりと身近な景色だったりすると、もう自分の中に残ってしまって、ちょっと澱があるような感じになります。その澱が回っちゃう瞬間もあるんですけど、ちづみに関しては台湾でちゃんと終われた感じがありました」

──先程、エドワード・ヤン監督がお好きとおっしゃっていましたが、エドワード・ヤン作品の好きなところと、スクリーン・オンライン読者におすすめの映画を教えてください。

「『ヤンヤン 夏の想い出』が一番好きです。すごく長い映画だけど何回も観ていて、特集上映にも必ず行っているぐらい好きなんですけど……。劇中ですごく根源的なことをヤンヤンという8歳の子に言わせているんですね。だから8歳で気づくことを私たちは大人になるまで大事にするべきだってことなんだろうと。思考や考え方、道徳といったものを、人間は長い時間を掛けて自分のものにしていくけど、本当に大事なことは小学生でもわかるようなことだと『ヤンヤン〜』を観るといつも気づかされます。何回観ても新しい気づきを得て、誰かの後ろ姿を撮りたくなるような映画で。それに繋げて話すと、シンシンもすごく小さくて素朴で、原始的なことをちづみに言うんです。“小さいからいいんだよ、君は”って。私はそれも同じことのように感じていて。本当に大事なことって、ものすごくシンプルで、でもそれこそが心に響く。『ヤンヤン〜』と比べるわけじゃないけど、大切なことは本当に小さなことだって、それが私のエドワード・ヤンを好きな理由であり、『シンシン〜』にも繋がるメッセージだなって思いました。なので、スクリーン・オンラインをご覧の皆さんにおすすめしたい映画は、『シンシン・アンド・ザ・マウス』です」

画像2: おすすめしたい映画は、『シンシン・アンド・ザ・マウス』です

PROFILE

画像: PROFILE

岸井ゆきの YUKINO KISHII

1992年2月11日生まれ、神奈川県出身
2019年公開の映画『愛がなんだ』で第43回日本アカデミー賞 新人俳優賞、2022年公開の映画『ケイコ 目を澄ませて』で第46回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞をはじめ多くの映画賞を受賞。近年の主な映画出演作は『若き見知らぬ者たち』(24)、『佐藤さんと佐藤さん』(25)など。2026年秋には、第79回カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門に正式出品された『すべて真夜中の恋人たち』の公開を控える。

作品紹介

画像1: 岸井ゆきの:映画『シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE』インタビュー

役と離れた瞬間は、“どっちで生きていたんだっけ?”みたいな気持ちがどうしても残ります
画像2: 岸井ゆきの:映画『シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE』インタビュー

役と離れた瞬間は、“どっちで生きていたんだっけ?”みたいな気持ちがどうしても残ります
画像3: 岸井ゆきの:映画『シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE』インタビュー

役と離れた瞬間は、“どっちで生きていたんだっけ?”みたいな気持ちがどうしても残ります

『シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE』

母を亡くし、深い喪失感を抱えたまま日々を過ごす、ちづみ(岸井ゆきの)。
心の空白は埋まらず、時間だけが過ぎていく中、友人に誘われ、台湾を訪れた彼女は、そこで台湾人の母と日本人の父を持つシンシン(ツェン・ジンホア)を紹介される。
見知らぬ街の風景と、何気ない会話の積み重ねが、ちづみの止まっていた心を少しずつ動かし、消えない悲しみを抱えながらも、小さなぬくもりを見つけていく──。

出演:岸井ゆきの ツェン・ジンホア
   藤原季節 中田青渚 伊勢佳世 柄本時生 / 飯田基祐
   リン・チェンシー エンジェル・リー / リン・メイジェン
   余 貴美子
原作:吉本ばなな 「SINSIN AND THE MOUSE」(新潮社刊「ミトンとふびん」収録)
監督・脚本・編集:真壁幸紀
共同脚本:加藤法子
サウンドプロデューサー:TAKU Tanaka
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
6月26日(金)新宿バルト9、シネスイッチ銀座ほか全国公開

Copyright © 2021 by Banana Yoshimoto All rights reserved.
Japanese original edition published by Shinchosha Publishing Co., Ltd., Japan in 2021.
The permission to use the original novel to produce this movie has been arranged with Banana Yoshimoto through ZIPANGO, S.L.
©2026映画「SINSIN AND THE MOUSE」FILM PARTNERS

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