家の近所にはオードリーが生前よく通った馴染みのお店がいっぱい
家の近所には、かつてオードリーが足繁く通った花屋の“Antonio ai Monti Parioli”がある。狭いテントの下に朝届いたばかりの新鮮な花々が並び、ほのかな花の香りに包まれる。主人のアンジェロによると、オードリーは種類を問わず白い花が好みだったとか。
そこから車でさらに数分のVia le Parioliには、オードリーが食材を買い出しに来た高級デリ“GARGANI”がある。主人のガルガーニが親切にも地下の工房に案内してくれて、パスタ作りの工程を説明してくれた。2人とも、初めは仏頂面なのだが、オードリーの名前を出すと少しずつ柔らかな表情に変わり、気がつくと頼んでもないサービスをしてくれる。オードリーがいかに近隣の住民たちから愛されていたかがよく分かる。
そんな彼女の素顔がルカ執筆による名著“オードリー at Home”に認められている。ポイントは、彼女が残したレシピを基にその人生が綴られている点だ。特に、亡くなる間際まで持ち歩いたというスパゲティ・アル・ポモドーロのエピソードが笑える。
「生前、母は色んな国に旅したでしょう。そんな時、どの国でも一流のイタリアンシェフが手の込んだイタリア料理を作るって言ってくるらしいんです。でも、母の指定は決まってスパゲティ・アル・ポモドーロだった。
ユニセフ親善大使として貧しい国に旅した時も、母はスーツケースの中にスパゲティの箱とオリーブオイルとパルメジャーノレッジャーノを詰めて持ち歩いていたんです。トマトソースはだいたいどの国でも手に入りますからね。食べる物がない時は、そこで母は自分でパスタを作って食べていたんです。第二次大戦で飢えを体験している母にとって、食べ物はとても重要だった。だから、旅に出る時、荷物の半分以上が食料品だったんです(笑)」