世界中で特大ヒット中の「ジョーカー」。賛否両論さまざまな論争を巻き起こしているが、すべての人が口を揃えるのは“ホアキン・フェニックスはすごい!”。快演と怪演を積み重ね、唯一無二のポジションを築き上げてきた名優ホアキンの演技人生をたどってみよう。(文・川口敦子/デジタル編集・スクリーン編集部)

子役デビューするも一時休業、復帰後は目覚ましい活躍を

5人兄妹が揃って子役となる中で、一家の大黒柱として常に先頭を切っていたリヴァーに続けとリーフことホアキンもテレビから銀幕へ、演技の道を歩む。1982年、兄が出演したシリーズ『掠奪された7人の花嫁』の一挿話に出演。

1984年、やはり兄と出演したTVスペシャル『Backwards: The Riddle of Dyslexia』は失読症を扱って全米各地で学校の図書館に置かれる話題作に(ヤング・アクター賞候補)。さらにいくつかのTVシリーズへの出演を経て、1986年「スペース・キャンプ」で映画デビュー。宇宙計画を学ぶサマー・キャンプに参加、過って宇宙に飛び出すことになる最年少メンバーを可愛く熱演した。

1989年
「バックマン家の人々」。当時はまだリーフと名乗っていた

続いてロシアの水兵と出会ってしまったアメリカ少年トリオの物語『ラスキーズ』(1987)、ロン・ハワード監督作「バックマン家の人々」(1989)ではむっつり無口で反抗するティーンをリアルに演じ注目を集めたが、以後、似たような役ばかりがオファーされ演技キャリアに疑問を感じたホアキンは、しばし休業の道を選ぶ。演技とディープに向き合う弟にリヴァーが助言したのはこの頃のこと。演技者ホアキンの今を導いた兄の愛。しみじみ美しい。

画像: 1995年 俳優復帰した「誘う女」ではすっかり青年に成長していた

1995年
俳優復帰した「誘う女」ではすっかり青年に成長していた

兄の悲劇、はたまた演技以前に立ちはだかるリヴァーの弟というレッテルや比較の目を乗り越え、リーフ改めホアキンが銀幕に帰ってきたのが1995年「誘う女」。「マイ・プライベート・アイダホ」「カウガール・ブルース」とフェニックス兄妹と縁の深いガス・ヴァン・サント監督の皮肉な笑いも満載のスリラーだった。野心満々のお天気お姉さん(といっても人妻)に誘惑されて殺人に走る高校生のダークな尖りと柔らかな純情の交錯を演じ切って成長ぶりを示す。

画像: 2000年 狂気の演技が絶賛された「グラディエーター」

2000年
狂気の演技が絶賛された「グラディエーター」

その後もオリバー・ストーン、パット・オコナー等のくせ者監督の下、小粒でもぴりりのインディ作で着実に輝き、2000年リドリー・スコット監督の歴史大作「グラディエーター」に。父との確執に傷つき暴君ぶりを極めていくローマ皇帝コモドゥス、その狂い方を白塗りと増量で外側から象りつつ、心の闇と病とを予期不能の爆発を秘めた静けさの不気味に託して激演(オスカー助演賞候補)。

画像: 2005年 実在の歌手の人生を熱演した「ウォーク・ザ・ライン」

2005年
実在の歌手の人生を熱演した「ウォーク・ザ・ライン」

さらに「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」(2005)ではカントリー界の大御所ジョニー・キャッシュ直々の御指名もあり、若き日の彼を歌も自前で快演。スターを縁取る影の部分を響かせながらロマンチックもいけると証明した(ゴールデングローブ賞主演男優賞、グラミー賞受賞)。

画像: 本作でゴールデングローブ賞主演男優賞に輝く

本作でゴールデングローブ賞主演男優賞に輝く

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