編集部レビュー(続き)
レビュワー:阿部知佐子
原題の「Sorry We Missed You」は配達先が不在だったときに残す言葉だそう。意味を含んだこのタイトルにも注目して見て欲しいです。
この作品が作られた意味を考えました
正直申し上げて、私は辛かったです。この作品の彼らが、遠い世界の存在と思うか、他人事じゃないと思うか。私は後者でした。働けば働くほど、一生懸命になればなるほど状況が悪化していく、正に負のループ。フィクションというよりはドキュメンタリーに近く、働いても働いても生活が良くならない様を見つめているのは、いち労働者の自分としても、とてもつらい気分になりました。
そして観賞後に思ったことは、はたして映画にすることで何かが救われるのだろうか、ということ。何かが変わるのだろうか?実際につらい立場の人々は見るだろうか?何に寄り添っているのか?様々な疑問が頭の中を駆け巡り、そしてその答えは未だに出ていません。ケン・ローチ監督の問いかけをしっかり受け止め、自分なりの考えに辿りつきたいな、と思いました。
レビュワー:中久喜涼子
息子がダメダメすぎてかえって気になる存在。D・グリーソンやB・コーガンのような良い味出す系の役者さんになって欲しいです
社会的弱者=マジョリティーの代弁者ケン・ローチ
ケン・ローチ監督は今回も静かに怒っていた。「わたしは、ダニエル・ブレイク」などでも見られた負の波状攻撃。今回はニューカッスルのターナー家を襲う。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立した父。個人事業主のはずが過酷なノルマを課せられ、穴を空ければ制裁金を払えと脅される。介護福祉士の妻の働き方も相当ブラックだ。両親不在のストレスで息子と娘も不安定になっていく。
家族の絆がゆっくりと壊れるのを見ていることしかできないのがとても歯がゆい。監督自ら労働組合などを取材し、演技未経験の俳優を起用することで増すリアル。そして終盤で気づかされる原題の意味。“社会的弱者は不当に扱われていることを告発する術を持っていない。だから僕らは彼らマジョリティーの声になるべき”というテレビ番組での監督の発言に力を得た人は少なくないはずだ。
レビュワー:鈴木涼子
長男がクリス・ぺプラーばりのイケボ。作中ではクリエーティブな才能も発揮していたけれど、ラジオパーソナリティや声優としても活躍できそう…
他人事として見るか、我が事として見るか
ケン・ローチ監督の名前を聞いて思い出すのは、彼が世界文化賞を受賞した時のこと。何と彼はその賞金を日本の国鉄分割民営化に反対した闘争団に寄付したという。そうした気骨の持ち主が、引退発言を撤回してまで撮り上げた本作は、『今言っておかなければ後悔する』と考えたのだろうな、という問題意識に溢れている。
とかく生きにくいのは、世界中どこの国でも低賃金で働く労働者層というテーマを、他人事として見るか、我が事のように見るかは観客次第だが、生きるだけで精いっぱいの家族に次々降りかかる災難は、明日は我が身?と思わずにいられない切実さで心に痛い。
そんな中、この映画が真っ暗けかというと、僅かな希望の光は家族の中にあった。だがそれさえも消し飛ばしてしまいそうなローチの本気の怒りっぷりをラストシーンで目撃することになるだろう。
レビュワー:米崎明宏
今回のローチは本当に怒っているからこそ、手加減がないのだろうなと思わされる作品。できれば心して劇場で見てほしい。
「家族を想うとき」
2019年12月13日(金)公開
photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019