第一部 ドニーがボストンの少年時代に映画館で出会った運命の人
ドニー・イェンは1963年7月27日、中国広東省広州市に生まれた。父は香港の新聞社の編集者。母は著名な武術家のマク・ボウシム。2歳で香港に渡り、11歳で米国ボストンに移住。
チャイナタウンの映画館で見たブルース・リーの映画に熱狂したドニーは「憧れの人と同じサングラスをかけて登校し、ほうきの柄でヌンチャクを自作した」というエピソードを残している。母親が真の武術家だったこと。ブルースの格闘シーンだけでなく、その精神性に強く惹かれたこと。それはドニー少年のその後の人生の支柱となった。
16歳で米国を離れ、北京市業余体育学校で武術を学んだドニーはその後、香港でユエン・ウーピン監督(のちに「マトリックス」のアクション監督を担当)と運命的に出会い、20歳のときに「ドラゴン酔太極拳」(1984)で本格的に俳優デビュー。だが、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地大乱」(1992)のジェット・リーと闘う悪の提督役で人気を得るまでには8年かかった。
そんなドニーをブレイクさせたのが1995年、32歳のときに自ら企画・主演したTVドラマシリーズ「精武門」。ブルースの「ドラゴン怒りの鉄拳」のリメイクで、まるでブルースが憑依したような熱演を見せたのだ。画面の端々からドニーのブルースへの長年のリスペクトがひしひしと伝わるこのドラマはアジア中で大ヒットした。
武術家として映画人として、なにかと共通点の多いドニーとブルース
その後、数々の困難を乗り越え、アクション界の雄となったドニーとブルースとの縁が再び注目されたのは13年後の2008年。「イップ・マン 序章」でブルースが生涯で唯一師匠と呼んだ詠春拳の達人イップ・マンを演じることになったのだ。
シリーズは全部で4作品作られ、「イップ・マン 完結」ではブルースとイップ・マンとの交流も色濃く描かれた。自分が〝永遠のアイドル〞〝人生の師〞と仰ぐ人の師匠を演じるというミラクルに、運命の導きを感じざるを得ない。
さらにドニーはこの間に「レジェンド・オブ・フィスト/怒りの鉄拳」(2009)に主演。「精武門」に続いて「ドラゴン怒りの鉄拳」のリメイクに再挑戦。「主人公の陳真は生きていた!」という斬新な設定のもと、「グリーン・ホーネット」でブルースが演じたカトーのようなマスクを着けて戦うという、ブルース愛がだだ漏れした渾身作が誕生した。
ブルースとドニーは優れた俳優で武術家であると同時に映画監督、プロデューサー、アクション監督でもある。他にも2人の共通点は数多い。
チャチャの名ダンサーだったブルースに対し、ピアノが得意でダンスも歌もこなすドニーというように、アーティスティックな感性の持ち主であること。米国暮らしの経験があり、自分の意見をはっきり言うタイプであること。家族思いで仲間思い。痛快なまでのナルシストで負けず嫌いで強烈なオレ様感を漂わせること。それでいてどこかお茶目で可愛らしい面を持ち合わせているところ。そして、映画作りに対しての突き抜けた情熱と天賦の才…。
そんなドニーの新作のひとつが「肥龍過江/Enter the Fat Dragon」だ。かつてサモ・ハン・キンポーがブルースへのリスペクトを込めて作った「燃えよデブゴン」(1978)をベースに、全身に特殊メイクを施し、巨漢の警察官を演じきったドニー。オマージュ映画へのオマージュを演じるその姿は実に楽しそうだ。
この夏57歳になるドニーは今も現役バリバリ。32歳の若さで亡くなったブルース・リーは生きていたら今年80歳。もしも2人の共演が叶ったら、どんな映画を作っていただろう。夢と知りつつ、想いをはせずにいられない。