日本での英国アクター・ブームをけん引してきたコリン・ファースとヒュー・グラント。なにかと共通点の多いふたりは誕生日も1日違い&そして、今年はともに60歳!イケオジふたりの還暦をお祝いして、これまでの軌跡を振り返ります。過去の出演タイトルなど、これを機に見直してみるのもおすすめです!今回は、1980〜90年代を振り返ってみましょう。(文・大森さわこ/デジタル編集・スクリーン編集部)

1980’s/20代
20代で映画デビュー。ともに英国美形スターブームに!

コリン・ファース
出世作は映画版の「アナザー・カントリー」

俳優デビューまで
1960年9月10日、イギリスのハンプシャー州グレーショット生まれ。父親は大学で教鞭をとる歴史学の教授、母は宗教学の講師だった。幼い頃はナイジェリアやアフリカで暮らしたこともある。その後、ナショナル・ユース・シアターやロンドン芸術大学のドラマセンターで演技を学び、「ハムレット」等の舞台に立つ。

コリンの出世作となったのはジュリアン・ミッチェルの舞台劇の映画化「アナザー・カントリー」(1984)。コリンは共産主義に走るアウトサイダー的な青年、ジャドを演じる。舞台版でジャドに扮していたのはケネス・ブラナーだったが、そのブラナーとは「ひと月の夏」(1987)で共演し、友人同士となる。

1989年には「恋の掟」で主人公のプレイボーイを演じ、共演のメグ・ティリーとロマンスがめばえる。ふたりはカナダで暮らし始め、息子も生まれる。しかし、雪深い山小屋暮らしでは俳優の仕事を続けることができず、コリンはひとり英国に戻る。メグや息子とは、別れた後も良好な関係を築いている。

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「アナザー・カントリー」(1984)

画像: コリン(写真右)はトミー・ジャド役

コリン(写真右)はトミー・ジャド役

コリンの初期の代表作で、日本でも若い女性に支持され、80年代の英国美形ブームの発火点となった。30年代の英国の名門パブリック・スクールが舞台で、反逆児的な美青年の主人公、ガイ・ベネットをルパート・エヴェレットが演じる。

ルパートも、コリンも、舞台ではガイ役だったが、映画版ではコリンは友人のジャド役となる。ルパートとはソリが合わず、ふたりの関係修復には約20年間の歳月が必要だったといわれる。

若き日のコリンが存分に堪能できる

ヒュー・グラント
デビュー作でベネチア映画祭最優秀男優賞に

俳優デビューまで
1960年9月9日、イギリスのロンドン生まれ。軍人の一家で、母親は教師だった。成長後は名門のオックスフォード大学に進み、英文学を学ぶ。在学中に「オックスフォード・ラブ」(1982)に出演して演技に目覚め、俳優の道を歩み始める。その後、自身の劇団も設立。テレビ作品などにも出演していた。

彼の主演デビュー作となったのは「モーリス」(1987)で、この作品では共演のジェームズ・ウィルビーと並んで、ベネチア映画祭の最優秀男優賞を受賞。最高のスタートを切った。その後は「白い炎の女」(1987)や「青い夜明け」(1988)にも出演。

1988年のケン・ラッセル監督の怪作「白蛇伝説」では白蛇のいる屋敷で数奇な運命と遭遇する人物のひとりを演じる。この作品は英国ではカルト的な人気を博した。また、「幻の城」(1988)では詩人のバイロン卿に扮する。この作品では恋人となるエリザベス・ハーレイと共演している。

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「モーリス」(1987)

画像: クライヴ役を演じたヒュー(写真左)

クライヴ役を演じたヒュー(写真左)

ヒューの80年代の代表作で、特に日本のミニシアターでは大ヒットを記録し、空前の英国美形ブームが起きた。舞台は20世紀初頭の英国。ケンブリッジ大学で出会ったモーリス(ジェームズ・ウィルビー)と友人、クライヴ(ヒュー)は強く愛を意識する。

しかし、世間の目を恐れる彼は家柄のいい女性と愛のない結婚し、政界での出世も果たす。英国のトラディッショナルなファッションに身を包んだヒューはため息が出るほど美しい。

画像: 2018年には4Kデジタル修正版のリバイバル上映も

2018年には4Kデジタル修正版のリバイバル上映も

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