セリフを抑えた映像で演出する秀逸さ
串田監督は、『写真の女』をたった10日間で完成させたというのです。以前から、短編作品を手がけてきた実績と映画祭での評価を得て来たキャリアの持ち主です。
そして、初の長編劇場用映画に取り組むも、今回の89分という長さの中に、自らの映画への思いの丈を詰め込んで、独自の世界観を生み出した才能には目を見張るものがあります。映画祭はもとより、各界のクリエイターたちも賛辞を惜しみません。
初監督作品にして、これは只者ではない。作品はもとより監督に注目しないわけにはいかないと、心揺さぶられ魅了されてしまいました。監督は脚本も手がけていますが、主人公の男が寡黙であることから、その男の台詞はほとんどありません。
それなのに、彼の内なる想いや言葉が映像から醸し出されて来るというのが秀逸です。彼の卑屈とも思える動きや表情の中に、秘めやかな喜怒哀楽が感じ取れ、観る者に訴えかけてくる。これは、串田監督が、やはり映画づくりを知り得ていることの証と言うしかないのです。
パラノイア的な美意識が全編に張り巡らされ、知らない他人の生き方をのぞき穴から覗いているような快感で最後の展開まで楽しめます。
奇妙な関係から愛に目覚めていく男女
父親の写真館を継ぎ、撮影した写真を修整するレタッチャーとして、愚直に日常を過ごす、寡黙で孤独な男。極端な女性恐怖症でもあるその男は、まるで自分自身を投影するかのように執着しているのが、雄のカマキリの飼育。交尾の後には牝の餌になるその運命を見届けようともしているかのよう。
牝のカマキリを探しに出かけた森で、胸元に傷を負った美しい女と出会い、彼の人生は一変していく。彼女は元バレリーナだが、SNSで脚光を浴びないと自分を見失いそうになってあがく女。
彼の下で生活を共にすることになるが、男は彼女を撮影しレタッチの技術で、彼女の望むSNS上での存在を演出することにのめりこんで行く。二人はまさしく共犯者としての絆を深め、互いを歪んだ形で求め合い、この奇妙な関係は留まるところを知らずエスカレートしていく……。
女を愛すことを知らなかった孤独な男と、自分を輝かせるために、会ったこともない人々から多くの賛同と愛を渇望する自分だけを愛す女。今の時代に増殖している男や女のことを描いている側面も際立つ。
いずれも自分以外の存在を愛することを知らないまま生きてきた男と女。この二人が、どの様に変化していくのかを見届けていただきたい。いずれにせよ、これも究極の純愛ストーリだということには間違いがないでしょう。
映画祭の批評眼を信じる観客たちに、まずは観てもらう
──『写真の女』に登場する写真館 スタジオ・アイで、このインタビュー記事のカバーに載せるため、ご自身のポートレイトを撮って下さり、ありがとうございました。
映画の中では、原型を留めないほど (笑)レタッチをせがむ女性が登場します。そのパロディのような監督のお顔写真ですが、修正なしですね(笑)
そうそう、公開劇場で鑑賞すると、この写真館で半額で撮影してくれるそうですね。
さて、改めて、スキップシティ国際Dシネマ映画祭に出品されるや受賞という快挙、おめでとうございました。素晴らしいですね。私はノミネイトされていた作品の中で、監督の『写真の女』は、拝見する前から受賞する作品だと狙いをつけていました。ご自身は、受賞出来るという自信はありましたか?
「いや、それはわからないです、賞レースは水物ですから、結果がどうなるかなんて。(応募して、ノミネイトされるか、しないかも)僕は今まで作ってきた短編作品などを多くの映画祭に出してきた長い経験があるんですが、大きな映画祭だったら何千本も集まってきて、それが100本ずつ、200本ずつ振り分けられ審査されるわけでしょう。
その中には選ぶ側が眠い時に観る作品もあるでしょうし(笑)、自分ではコントロールできないことですからね」
──今回の作品も、多くの映画祭に出品されているそうですが、映画祭に応募することの意義は?
「この『写真の女』は、すでに300くらいの映画祭に出していて、70の映画祭で上映を決めています。監督としては、完成した作品は多くの人に届けて観てもらう責任がありますからね」
──劇場公開だけでなく、映画祭で多くの観客に見てもらうことが重要なんですね?
「どの映画祭に出したいかとか、僕が大事にしていることって、まずその映画祭にどんな観客がついているかが重要です。映画祭の持つ批評眼を信じて、その映画祭を大切にしている観客に観てもらうこと。
新人監督で無名な存在にとっては、国内外の映画祭は足掛かりです。とにかく、映画が完成したらすぐ、監督である僕は宣伝部になります(笑)」
映画監督になる前は、CFディレクターを目指し学んだ
──監督ご自身が宣伝までやっちゃう?(笑)CFを作ることでも、お忙しいんでしょうに、お時間あるんですか?
「意外と両方できますね。一日2時間くらいは、『写真の女』の宣伝活動。6時間か7時間でCF制作のお仕事してます。そうじゃないと、一緒に映画を制作したスタッフも浮かばれないと思うんですね。
時間も労力も捧げたのに、その作品が、どこでも上映されないっていったら、監督として不誠実だと思うので、そういう意味でも、いろいろな映画祭に出すんです」
──なるほど。製作も配給も在籍していらっしゃる「ピラミッド」さんですから、今回の映画スタッフというのも、会社の方々ですものね。
「僕は15年勤務の社員ですが、2005年から自分の短編作品の制作にも、会社が出資してくれています」
──素晴らしい会社ですね。そもそも、そこに就職したのはCFを作りたかったからですか?映像のことは、英国で学ばれたそうですが、映画監督の勉強をしたのでしょうか?
「最初から、長編映画の監督になりたいとは思っていませんでした。英国の学校では実験的な映像を作っていました。CFみたいな15秒でインパクトある映像を作って視聴者に届けたいと思ったので、日本に戻ってからはCMの会社をいろいろ受けたんです。
でも、箸にも棒にも引っ掛からなくて。そんな中、今の会社で当時代表の操上和美が、僕の実験的な映像を評価してくれ受け入れてくれまして」
在籍するCF制作会社が支援を惜しまない才能
──操上和美さんと言えば、カリスマ写真家として今も伝説的存在です。さすがの慧眼ということになりますね。串田監督にとってはもう、恩人ですね。今回の作品が高い評価を得ることは、恩返しになりますね。
「2018年制作の10分間の短編『声』を制作した時も会社が出資、スタッフも参画するということで完成させることが出来たんです。
『写真の女』の主演の永井秀樹さんに演じていただいたのは、ここから始まったとも言えますが、この時も制作のきっかけになったのが「国際平和映像祭」からオファーがあって、出品を前提で制作するという好条件があってのことだったのです。
それで思うのは、学生の頃から注意してきたことなんですが、短編を制作するにあたっては、短編作品は映画祭が主な上映場所になるわけで、海外の観客にも理解してもらえる作品であることが重要だと思っています」
──『声』(2017)も拝見しておりますが、『写真の女』の原型とも言えそうな主人公は喋らない(笑)、シュールな素晴らしい作品。独特の世界観に目を奪われました。ブラックマリア映画祭で最優秀賞を受賞されています。
その他多くの映画祭に出され高い評価を得られていますね。どの国でも分かりやすくというと日本語も邪魔でしょうし(笑)そういった外部評価を得ることが、ひいては会社や“恩人に”報いることにもなりますね。
映画監督の内田英治氏のコメントにもあるように、邦画っぽくない作品、フランスのパトリス・ルコント監督の作品を思わせるところがあるとありましたが、私もそう思うんです。影響を受けていますか?
「ルコント監督の作品では、『髪結いの亭主』(1990)『仕立て屋の恋』(1989)とか好きですね」