最新監督作『すばらしき世界』では、直木賞作家の佐木隆三のノンフィクション小説「身分帳」に惚れ込み、長編映画としては初の原作ものに挑んだ。
本作の撮影秘話や主演を務めた役所広司について、更にオススメの映画など西川美和監督にタップリと話を聞いた。
“生まれた時からその人でしかなかったんじゃないか”
と思わされる役所広司の芝居
ーー本作は、監督が佐木隆三さんの「身分帳」に惚れ込んで映画化に至ったそうですね。
「はい。こういうテーマの物語を他に見たことがなかったので凄く新鮮に感じました。犯罪者を描いたものは沢山ありますが、「身分帳」は元犯罪者が社会復帰していくために日々日常的で些細な問題に直面するわけですが、それがことごとくくじかれていく物語です。この小説で描かれているような局面から犯罪者を描くアイデアは自分では到底思いつかなかったですし、“こういうことをモチーフにされる方がいるんだな”という感動とともにスタートした企画でした」
ーー『永い言い訳』の次は原作ものでいこうと決めてらっしゃったのでしょうか?
「いえ、ビジョンが明確だったわけではないのですが、比較的自分に近い人物をこれまで描いてきたので、そろそろ自分の経験や感覚だけを頼りに物語を書くのは難しいんじゃないかと、そんな風に感じていたんです。そういうタイミングで「身分帳」に出会い、これまでとは違う角度から映画を作ってみるのも良いかもしれないなと。そこからリサーチや取材を重ねていきました」
ーー取材や撮影を進めていく中で、オリジナルの脚本と原作ものではどういった違いを感じましたか?
「まず、自分が書いたオリジナル脚本を撮っていた時とあまり違いが出ないように、しっかりとリサーチもして、原作にあるもの全てを自分の血や肉にしていくぐらい、解釈に時間をかけてみました。そうした作業を経てシナリオを書きあげていったので、クランクイン後はオリジナルの時とそんなに感覚の差はなかったです。ただ、これまで私はズルい行動をとる人間や嘘をついている人物をメインキャラクターとして描くことが多かったので、本作の主人公のような真っすぐな人間を演出するのはちょっと拠り所のないところもありました(笑)。だけどそこは役所広司さんですからね。しっかりと自分の中にキャラクターを落とし込んでから現場に来てくださって、おかげでスムーズに撮影が進んでいきました」
ーー監督にとって役所さんは憧れの俳優さんだったそうですが、ご一緒されてみていかがでしたか?
「“パーフェクト”ですよ。俳優の鏡みたいな方だなと。あれだけのキャリアがありながら役所さんは “主演俳優”という特別な立場というよりは、映画作りの歯車のひとつであろうという慎ましさも感じられます。しっかりとご準備をして現場に入られていましたし、その居方は各部署のスタッフがそれぞれの持ち場でやっている実直なスタンスと変わらないんですね。役所さんの高い能力と姿勢が、確実に他の俳優にも影響しますし、現場の流れを良くしてくださっているのを日々感じていました」
ーー役所さんのお芝居を現場でご覧になって、どんなことを感じられましたか?
「お芝居のひとつひとつに感動していましたよ。決して派手なことをやるとか、予想外のビックリするようなことをやって見せるとかではないのですが、特別なことをしてはいないのに、なぜかとても心に沁み渡るんです。言葉で言い表せない。静かなシーンでこそ役所さんの底力を凄く感じた現場でした。
本作に限らず、役所さんのこれまでの主演作、出演作を拝見していて思うのは、“生まれた時からその人でしかなかったんじゃないか”ということ。役所さんが台詞を喋ると、私が書いた台詞ではなく、その人物が心で感じてふと出てきた言葉にしか聞こえない。それもさりげないシーンで。役所さんの作品に取り組む姿勢に私もクルー達もみんな感動していましたし、とても幸福な現場でした」
ーー役所さんは原作を読まれた際に「最初は山川(小説では三上は山川という名前)のことが好きになれなかった」とおっしゃったそうですね。
「そうなんです。それを聞いてビックリしました(笑)」
ーー(笑)。そんな三上というキャラクターを、役所さんとどのように作っていかれたのでしょうか?
「役所さんとは現場ではさほど細かいやり取りはしていなくて、クランクイン前後に少しだけリクエストしたぐらいですね。ややシリアスに傾いていたり、ややタフさみたいなものが際立って見えてしまう部分があったので、そこに関してお話しさせて頂いて。役所さんは立派な方だし、間違いなく“カッコイイ”じゃないですか。だから「もう少し“人間的な弱さ=可愛げ”が見えたらいいですね」とお伝えしたんです。あとはご自身で軌道修正というか、役を掴まれていかれていたと思います」
ーー役所さんが演じる三上という男は、元殺人犯でありながらも根は優しくて真っすぐでチャーミングな面を持っています。ところが、あることがきっかけで突然暴力的になり、あまりの豹変ぶりに三上に対してドン引きしてしまっている自分がいました。チャーミングで真っすぐな部分と、獣のように暴力的な部分のバランスはどのように調整していかれたのでしょうか?
「原作の小説を割とストレートに脚本に起こしていったつもりなんですけれど、いまご意見を聞いて、ちゃんとあのシーンで観る人はドン引いてくれるんだなとちょっとホッとしました(笑)。こういう話を脚本にする際に書き手としてよく陥ってしまうのが、観客の気を引きたいばかりにキャラクターの欠点を削ぎ落としてしまうこと、なんですよね。でもそうすると普通のヒーローと変わらなくなってしまう。
このお話の面白さは主人公が罪もないのに酷い目にばかり遭う、というものではなく、酷い目に遭うのはそれだけこの人にも問題があるし、社会や周囲の人々も残酷なばかりではなく、時に手を差し伸べてくれて捨てたもんじゃない、ということを両面描いているところだと思うんです。そこが佐木さんのフェアなところですよね」
ーー確かに良い面と悪い面の両方を見ることで、より三上の人間らしさを感じましたし、暴力的な場面でドン引きしたものの、後半にかけて三上がどんどん魅力的に見えていったのが面白かったです。
「社会的弱者は常に被害者であるとか、社会は冷酷で誰も手を差し伸べない、と糾弾するのみのフィクションの論調というのは安直ですよね。人間はそんなにシンプルなものではないと思うんです。冷たい世間のほうにだって道理はあるし、追い込まれている側の人にも“あなたそれじゃ困るよ”と頭を抱えたくなるような救い難い個性もある。それが社会の複雑さであり、人間が共生していくことの面白さであるとも思う。そこを佐木さんが丸ごとフラットに書かれたように、私も踏襲したいという思いで作品を完成させていきました」