本誌SCREENが誕生して今年で75年を迎えます。これを記念して、東京・京橋の国立映画アーカイブ展示室にて展示会「SCREENを飾ったハリウッド・スターたち」が2021年4月13日(火)〜7月18日(日)まで開催中。ここで展示されている本誌が撮影した歴史的な来日スターたちのスクープ写真の一部を特別にお見せしましょう。(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)

戦後日本を訪れファンを熱狂させたスター

戦後間もない昭和21年に発行されたSCREENの第1号は、表紙がタイロン・パワー、裏表紙が原節子という洋画邦画のスターをあしらったわずか十数ページの冊子で、本格的な月刊誌となったのは第3号から。

それから10年ほどの間に「内容も表紙の印刷技術からいっても、アメリカはおろか世界に誇っていい高級ファン雑誌に成長した」(創刊10周年号の野口久光氏の記事より)SCREENは、外国スターの動向を日本のファンに届ける洋画ファン雑誌のスタイルを確立。現在に至るまで長く愛されてきた。

その間、日本を訪れた海外スターは数限りなく、その来日取材を行なってきた本誌にはもはや歴史的スクープとさえいえる貴重な写真が多数保管されている。テレビや週刊誌などもない時代、海外から大物スターが戦後の日本を訪れることは大きなニュースで、その情報を得るために新聞や映画館で併映されたニュース映像以上にSCREENなどの雑誌は最大の媒体といわれた。

ウィリアム・ホールデンは1952年の初来日以来何度も日本の地を踏んだ

1950年代には朝鮮戦争の慰問を兼ねて日本に立ち寄るパターンも多く、例えば『麗しのサブリナ』(1954)などのウィリアム・ホールデンらスターが慰問の途中、日本を訪れ、さっそく親日家になっている。

マーロン・ブランドは1956年に日本で『八月十五夜の茶屋』撮影を行なった

また50年代にハリウッドで巻き起こったのはオリエンタルブーム。日本に撮影隊がやって来ることも多く、『八月十五夜の茶屋』(1956)『サヨナラ』(1957)のマーロン・ブランド、『黒船』(1958)のジョン・ウェインなどがわざわざ日本で撮影を行なった。

画像: ジョン・ウェインも『黒船』の撮影を1957年に日本で行なった

ジョン・ウェインも『黒船』の撮影を1957年に日本で行なった

また1953年には第一回フランス映画祭が行なわれ、『赤と黒』(1954)などの人気男優ジェラール・フィリップらがやってきて大騒ぎとなった。

画像: 1953年に行なわれた第一回フランス映画祭で来日したジェラール・フィリップが日本の大女優、京マチ子に挨拶を

1953年に行なわれた第一回フランス映画祭で来日したジェラール・フィリップが日本の大女優、京マチ子に挨拶を

新作映画の宣伝もたびたび行なわれるようになっていき、『裏窓』(1954)公開時にジェームズ・スチュアートが、『ハリーの災難』(1955)の時にはアルフレッド・ヒッチコック監督が来日し、映画関係者たちも熱狂した。

画像: 1955年に初来日したアルフレッド・ヒッチコック監督と談笑する評論家の双葉十三郎さん、本誌・石井編集長(初代)

1955年に初来日したアルフレッド・ヒッチコック監督と談笑する評論家の双葉十三郎さん、本誌・石井編集長(初代)

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