日本ロケ、キャンペーンで大物も次々来日
TV『ローハイド』の宣伝で1962年に日本を初めて訪れたクリント・イーストウッドと共演のエリック・フレミング、ポール・ブラインガーはどこに行っても大歓迎を受けた
60年代には当時映画の最大のライバルと言われた海外テレビシリーズがお茶の間で話題となり、驚異的な視聴率を誇っていたが、『ララミー牧場』(1959)のロバート・フラーや、『ローハイド』(1959〜1965)のクリント・イーストウッドたちがキャンペーンでやってくると、大群衆に取り巻かれ、日本各地でファン・サービスを行なった。

1965年に3度目の来日をした、仏人気アクター、アラン・ドロンと日本の小さな子供たちが可愛らしい交流を
この頃、日本にやってきたスターは施設などを訪問し、子供たちとの交流を図る風景も多く見られた。『ベン・ハー』(1959)のチャールトン・ヘストン、チャリティー公演で訪れたフランク・シナトラといった大物が子供たちに話しかける姿はマスコミや大衆の受けも良かった。
相変わらず日本ロケの洋画大作も多かったが最大の話題は1966年に『007は二度死ぬ』でショーン・コネリーがやってきた時。東京や鹿児島などのロケ地にはマスコミの撮影隊が常にコネリーの行く先々で待ち構えていた。

ショーン・コネリーが『007は二度死ぬ』の日本ロケで1966年来日 評論家の小森和子さんからインタビューを受ける
70年には大阪で開催された万国博覧会に世界中からVIPがやってきて、マレーネ・ディートリッヒがショーを行なったりした。新作キャンペーンも頻繁になり、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)のジーン・ハックマン、『スター・ウォーズ』のハリソン・フォード、キャリー・フィッシャーら超大作の主演俳優たちが次々来日。80年代以降は、ますますその傾向が顕著になっていく。
現在コロナ禍で海外からのスター来日が途絶えてしまっているが、この事態が収まれば、また日本びいきのスターたちが戻って来てくれることだろう。