ドキュメンタリー作品にする価値があるシャネルの生き方
──本作は、ココ・シャネル没後50年に合せて制作されたものでしょうか?今、なぜ、監督はココ・シャネルをドキュメンタリーにしたかったのでしょう?
それは、以前手がけられたドキュメンタリー作品がイタリアや、フランスのファッション界の話だったりしたことと関係がありますか?
彼女の没後50年を意識してとか、記念してということで、このドキュメンタリー作品を作ったわけではないです。数年前に作ることを決めましたが、そのきっかけとなったのは、以前、第二次世界大戦後のパリのオートクチュールをテーマにしたドキュメンタリー作品を撮ったことがある。
その時、当然、ココ・シャネルのことを扱いましたが、彼女についてのドキュメンタリーを新たに撮るべき価値があることに気づかされたわけです。それだけの価値がある人物なんだと。
セルフ・プロモーションの中の作り話
──ファッション・デザイナーの中でも、彼女の生き方は特別で、監督自らあえて、ドキュメンタリー作品にする価値のある人物であるということですね。
シャネルはいわゆる熱望を駆り立てる人物だと思うんです。彼女自身、それを自覚して、自らセルフ・プロモーションを打ち出して生きた人物です。多くの作り話もしたでしょう。
彼女に関する本は毎年のように出ています。私はこのドキュメンタリーを作るためにも35冊くらいの本を読みこんだくらいです。
これまで、彼女に関する映画もいろいろ作られて来ましたが、フィクションやシャネル自身が伝記に残したり、過去のドキュメンタリー映像に残したものではなく、アーカイブとしての事実にもとづいているものはそんなにはない。
いずれにしろ、これだけ様々に語られているということは、彼女が人々の熱望を集めるからでしょう。一つには、彼女が貧しい境遇からこれだけの成功を一人で成し遂げたということも大きいと思いますね。
──そこで今回、ロリターノ監督が描きたかったココ・シャネルという人物とは?
本作は、いわばシャネルの自己構築の物語なんです。彼女がいかに自己を構築したか。いかに難局を生き延びたかという話にしたかった。
『誰も知らなかったココ・シャネル』 (ハル・ヴォーン 著/赤根洋子 訳/文藝春秋刊)という本が出版されましたが、そこに、公開された公文書によって、シャネルの大戦中の行動のディテールも露にされました。他にも、いくつもの新しい発見があったわけです。
例えば、一般に知られている、オバジーヌの修道院(にいて、彼女のファッション・デザインの源になってもいるという彼女の少女の頃)の話は、実は母のいとこの家で女中をしていたのが真実であることとか。
ポジテイブな部分とネガティブな部分
──そういったことも含め、栄光と憧れの対象としての、今までのシャネルを否定するかのような、言わば真逆な面を強調していると思われますが、それはどうしてでしょう?
彼女の人生は大きく分けてポジティブな時代と、ネガティブな時代に分けられるのです。
チャンスを手にした若い頃から、第二次世界大戦くらいまでがポジティブな時代だと。もちろんその時代にも、男に囲われたり売春的なことをしたりして、後に世間体が悪いので隠そうとしたことを、ダークサイドとして語ることも出来ます。しかし、売れない歌手や女優、若い女性がのし上がろうとすれば、そのような道しかない時代だったことも事実でしょう。
それに対して、第二次世界大戦中にドイツ軍に協力してしまったということは、ネガティブな部分だと判断します。特に、パルファン・シャネルをユダヤ人であるヴェルテメールから取り上げようとして画策したあたりは、非難すべきことだと。ただ、彼女が生きた時代や人生を考えると、それだって、やはり許せることだと思えてしまいますがね。
しかも、彼女は積極的な対独協力者やスパイであったわけではなく、彼女が興味があったのは、結局、自分自身の生存のことだけではなかったのか。それが彼女の生涯を特徴づけていることを描きたかったんです。
どんなことも乗り越えた人生には、脱帽
──これまでの栄光に満ちた、ココ・シャネルの生き方とは別な側面を、作品に込めていく監督の気持ちとは?
彼女は日々一緒に働くにはとても気難しい怖い人だったようです。お針子だった人のインタビュー映像などを見ると、シャネルが死んだ後でも、彼女のことを怖がっている雰囲気が感じられました。それだけ強烈な女性だった。
個人的には、第二次世界大戦中にドイツ人と恋をしたことなどは、許せること。でも、反ユダヤ法を利用してユダヤ人実業家から会社を奪おうとしたことは許してはいけないことだと思える。
ただ、そういった反ユダヤ主義も、もとを正せば、彼女が子供の頃、フランスでは往々にしてそういう教育をしてましたから、その影響でもあるとも思われますね。
──本作が完成してから、彼女への印象は変わったりしましたか?
編集を終えて彼女の87年の人生を振り返ってみると、脱帽する気持ちにもなっていたのです。これだけの時代を生き延びてきたのは凄い。
特に、19世紀末から20世紀にかけて女性の地位が難しいものであった中で、彼女はたった一人で闘ってきたのだから。そして、数々の悪評にもかかわらず闘い生き延びてきたことにも脱帽するしかない。
それにしても、彼女の人生を総括して考えてみると、やはり彼女は、アメリカのこともドイツのことも、フランスのことですら、格別好きというわけではなかったのではないか、そう思えてならないのです。
彼女は、常に自分、自分のことを中心に据えていた人なのだということ。その生き方にも脱帽するばかりですがね。
時代の中で、自分との闘いを続けたココ・シャネル
ロリターノ監督も、結果的には、ココ・シャネルを知れば知るほど、彼女に魅せられてしまったことが分かった、このインタビューは、実に実りがあったと思う。
まさに、この作品のタイトルのように、時代と闘って勝利をめざしたココ・シャネル。仕事をすることは戦うということ。仕事を続けるということは戦い続けるということ。
そして、監督自身が本作を手がけたことで得られたこととは、自分自身だけを信じて前に進んで生きた、そんな唯一無二の女性がいたということであろうか。
彼女の闘いは、自分自身との闘いでもあったことを、筆者も改めて痛感させられる。
『ココ・シャネル 時代と闘った女』には、そんな想いが込められていることが、観る者の心揺さぶるに違いない。
また、時を経て、それまでの伝説や神話が変わろうとも、ココ・シャネルの存在は不滅のものであることも分かるはずである。
さらには、彼女の真実は、神のみぞ知る、いや、彼女のみが知ることであり、我々、それぞれの心の中に、彼女の「真実」を抱き続けて良いのではないかとも思うのだ。
『ココ・シャネル 時代と闘った女』
2021年7月23日(金・祝)よりBunkamuraル・シネマ他にて全国順次公開
監督・脚本/ジャン・ロリターノ
出演/ココ・シャネル、フランソワーズ・サガン、ジャン・コクトーほか
ナレーション/ランベール・ウィルソン
原題/Les Guerres de Coco Chanel
字幕/松岡葉子
2019年/フランス/55分/カラー、モノクロ
配給/オンリー・ハーツ
後援/在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
© Slow Production-ARTE France