キレイごとではないシャネルを浮き彫りに
第一次世界大戦時に、物資が枯渇して、どのデザイナーもお手上げ状態の時、型破りで時節に見合ったニュー・ファッションを打ち出し、大成功するココ・シャネル。
男性の下着のための素材、ジャージーを使った動きやすい女性のためのファッションを生み出した。これが大受けして一挙に頭角を現すも、そのファッションこそが、それまでのコルセットに束縛された、男性目線の女性の装いからの解放にも繋がる。ファッションのみならず、女性の生き方の革命的旗手としても注目の的となる。
『ココ・シャネル時代と闘った女』というドキュメンタリー作品は、こんな華々しいエピソードの数々に彩られたココ・シャネル誕生から生涯を、残された過去の映像や画像で、巧みにパッチワークやジグソーパズルのように繋ぎ合わせ、偉大な一人の女性の人生を再編成していく。
しかしながら、あまりに有名な画像が、いくつも登場するものの、監督のジャン・ロリータ―ノは、今さら彼女の偉人伝的肖像をなぞって行く気など、さらさらないことを映画が始まってすぐ明らかにする。
「常に闘ってきた」と語るシャネルの迫力
このドキュメンタリー映画、のっけから意表を突く映像で観る者に、インパクトを与える。晩年の年老いた肌にも、こってりと化粧をしてインタビューに応える、過去のインタビュー映像から抜き出した、超アップのシャネルが登場。
彼女が残した、「どこへ出かけるときでも、おしゃれをしたり、化粧したりするのを忘れないようにね。最良の人に、いつどこで逢うかわからないから。」(拙著『仕事と人生がもっと輝くココ・シャネルの言葉』/イースト・プレス刊)という言葉が、皮肉にも想い起こされてならない。
そして、彼女はハスキーな声で言っている。
「全デザイナーと闘った」。「常に闘っている」と。
彼女が「発明した」香水の香りがむせ返るような強烈な物言いである。
「トレンドは?」と問うインタビュアーに、「知らないわ。知ってても言わない」と、意地悪く言い放つ。
そして、彼女が闘い抜いた末に巨万の富を得て、シャネル帝国を築きあげたと、本作のナレーションを引き受けた、フランスの名優ランベール・ウイルソンに語らせる。その他、芸術家のジャン・コクトーや作家のフランソワーズ・サガンなど著名人も登場して、シャネル像を忌憚なくコメントする。
この作品が、単に煌びやかなファッション・デザイナーの成功物語とは違うことを予感させ、観る者を身構えさせることに成功している。
もはや、2009年、2010年に日本でも立て続けに公開された『ココ・シャネル』(2008)『ココ・アヴァン・シャネル』(2009)『シャネル&ストラビンスキー』(2009)のような、ココ・シャネル礼賛の映画でないことをつきつけられることになるのである。
周知のサクセス物語の暗部を照らす
幼くして母と死別、父に捨てられ孤児としての修道院生活を経て、歌い手をめざしているところで富裕層の子息、エチエンヌ・バルサンと出会って愛人となり、社交界に身を置くココ・シャネル。
そこで知り合った最愛の人となる、アーサー・カペルと出会い、二人の有力者の元、帽子店を開き、その後ファッション・デザイナーとして、みるみる才能を発揮して自立する。
第2次世界大戦前までファッション界で不動の地位を築くも、突然にして15年に近いスイスでの隠遁生活を送る。が、しかし、なんと72歳にしてファッション界に返り咲き、再びさらなる世界的大成功を手にする。亡くなる前日まで仕事をし続けていたという、87年のシャネルの人生が浮き彫りにされるのは、周知のとおりである。
しかし、それをさまざまに見せながらも、いくつものアナザーストーリーが組み込まれ、それは彼女の「黒歴史」であり、それこそが、まさに闘いであったことが強く打ち出されていく。
成功者として、知られ過ぎた彼女の伝説や神話は、彼女の演出によるもので、脚色された誇らしき歴史であり、彼女が語って来た人生のいくつかは、事実ではないことも描かれる。それでこそ、本作が作られる意味があることを、監督は観る者に訴えていくのだ。
修道院生活の虚偽、売春行為、第二次世界大戦下でのスパイ容疑、香水をめぐる販売権利のもめごとなどに大きくメスを入れている。