フェイクニュースなどに揺れる、現代にも通じる
── なるほど、なるほど。そういう意味からも、戦争中や戦後の混乱の時に、一人の日本兵が体験したこととして、その出来事と人物を浮き彫りにするだけではなくて、そういう監督の気持ちを込められて、映画は完成したというわけですね。
そういうことから考えますと、今年はアメリカの同時多発テロから20年という期を迎えたわけですが、小野田さんが愚直にも貫き通した、外部から入ってくる情報を作られたものだと疑ってかかり、信じようとはしなかったことって、今の我々がフェイクニュースに惑わされないようにという日常にも似ている気がしてきましたが。
私が本作のシナリオを書き始めていた頃は、ここまで日々、フェイクニュースが蔓延するということではなかった気がします。妄執や、パラノイア的なもの、今ある現実に不満であることをプロパガンダして操作したいという願望を、誰かが抱いたりと、フェイクニュースの裏にはそういうものが根源となって潜んでいるわけですね。
小野田さんの場合と今は、繋がっていると見て取れます。時代に関わらず、人間関係において、ついて廻る普遍的なことではないかと思えます。当初はそこまで考えてはいませんでしたが。
── 小野田さんの存在が、単に時代に翻弄された人というだけでなく、そういう今に繋がる存在であることが、本作から伝わると良いですね。
様々に感じていただいて良いと思いますが、私自身、編集している段階で、この作品が現代に通じていること、寓話的な存在になるのではないかなど、気づかされたことが多々ありました。撮っている時には全く意図したことではなかったにもかかわらずです。
── 映画を作ると、そういう化学反応みたいなことが生まれるとか、新たな発見があるんですね。小野田さんの数奇な人生が、今に生かされるなら、この作品を作ったことは偉大なことです。
そもそも、「陰謀論」とかフェイクニュースとかは、ネガティブな存在として受けとめられますが、考えてみたら、そこにもポジティブな要素があるんじゃないかとも思えます。嘘に惑わされないように、人々が結束する力を発揮させるんじゃないかと。小野田さんと小塚さんの当時の結束力が半端ではなかったことに、それが見て取れるからです。
日本とフランスのコラボの成果
── 今、コロナとの戦いの中にいる私たちですが、小野田さんを通していろいろなことを気づかせてくれる本作は、やはり多くの日本人に見て欲しいですし、このインタビューもさせていただいて良かったなと今、改めて思いました。
そう言っていただいて、胸が熱くなりました。というのは、この作品は外国人である私が取り組むためには、日本人のキャストやスタッフの方々との厚いコラボレーションがなかったら完成しなかった作品です。
カンヌ国際映画祭では、大勢の日本人ジャーナリストの方々も観てくださいましたが、今度は、多くの日本での観客の方に観ていただける機を迎えようとしているのですから、胸がいっぱいです。
── この作品はコロナ禍になる前ギリギリに撮られたということですが、コロナ禍は一つの戦いですから、そういう意味でも、こういう時期に上映することは良かったと思いますか?
コロナのことは、作る時も、今も意識はしていないですが、この作品を撮るためには、ものすごく長い準備期間を費やしましたから、実際コロナ禍になってしまったら、撮れなかったでしょう。(運よく)まだ、素朴に純粋に取り組めていたんですよ、その頃は。
また、コロナ禍やコロナ禍以降の、これからの映画は、少なからずこの危機のことを意図しない作品って出て来ないんじゃないかって思いますよ。コロナの存在は、人間のとても深いところに影を落とすものですからね。
演じさせることと演じること
── ところで、本作はフランスと日本という両国の言葉の壁を乗り越えなくてはならない現場でのご苦労があったかと思います。
全くぎこちなさを感じさせない、出演者たちの迫真の演技に魅せられます。どのような演出で成功されたのでしょうか。小野田さんの成人期を演じられた津田寛治さんは、「小野田少尉」が憑依したかのようなリアリティに満ちた演技でした。上官で教官役のイッセー尾方さんの演技も、いつにも増して圧倒的でした。
もちろん、言語の違いの障害はありますよ。それをどう乗り越えるのか、脚本段階でも翻訳したものは幾度も作り替えて、やり取りを重ねました。打ち合わせや現場でも通訳者(澁谷悠氏)を介して、俳優たちにどう演じて欲しいかのコミュニケーションを続けました。
演じるということは、作品毎、毎回ものすごく大変なことなんだと言う、青年期の小野田さんを演じる遠藤雄弥さんの意見も理解出来ましたね。
それにしても、演じる皆さんが、時間をかけて熱心に準備して来てくれていて、それから取り組んでいてくれたことで、信頼も生まれました。
そのうち、撮っていると日本語で演じている彼らの気持ちがわかって来るようになったんです。そんな熱さが伝わってくるような現場だったんです。
〜インタビューを終えて〜
一人の人間として、小野田少尉を描いたシーンが魅了する
言語の障害を乗り越えて秀逸な映画作品が生まれるのも、映画への熱情の賜物。これこそが映画の力というものではないかと、アラリ監督のインタビューから教えてもらえた気がする。
アラリ監督は、妻のジュスティーヌ・トリエ監督作品『ソルフェリーノの戦い』(2013)にも出演したりして、俳優としても活躍している。それでも、本来は映画を撮ること、演出することで映画と関わっていきたいとも言う。
しかし、演じることの経験があると、どうしたら俳優たちに一番理解されるかということが良く分かり、監督としての仕事の助けになるということも教えてくれた。そんなアラリ監督のこだわりの着想を感じた、秀逸なシーンが印象に残る。
唯一、観る者の緊張感を、ひと時解放してくれる海辺のシーンだ。小野田少尉が、任務と行動を最後まで共にするも、先に死んでいった小塚金一上等兵と二人で、無邪気に海岸で泳く光景である。
監督自身のイマジネーションが、二人の魂を救っている。兵士ではなく人間としての尊厳を、生きる権利を、精一杯主張するかのような、映像表現である。映画の力を、このようなところにも見出すことが出来る。だから素晴らしい。
本作では、小野田元少尉が戦争が終わったこと、任務を解かれることに納得し、日本に帰国するために島を離れるところで終わる。
その後の彼の日本での生き方や、ブラジルを終の居場所として、牧場経営者として成功。加えて精力的に社会貢献もして生涯を全うしたことなどなど、アラリ監督のこの作品をきっかけに、再認識してみたいと思う。
本作と、改めての小野田さんの生き方に、同胞として興味を持たないというわけにはいかないのだから。
『ONODA』
2021年10月8日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
監督/アルチュール・アラリ
脚本/アルチュール・アラリ、ヴァンサン・ポワミロ
プロデューサー/ニコラ・アントメ
撮影監督/トム・アラリ
編集/ローラン・セネシャル
美術/ブリジット・ブラサール
衣装/カトリーヌ・マルシャン、パトリシア・サイーヴ
サウンド/イヴァン・デュマ、アンドレアス・イルドブラント、アレク・“ビュニク”・グース
出演/遠藤雄弥 、津田寛治、仲野太賀、 松浦祐也 、千葉哲也 、カトウシンスケ、諏訪敦彦、嶋田久作、 イッセー尾形ほか
配給/エレファントハウス
フランス、日本、ドイツ、ベルギー、イタリア/ 2021年/174分/カラー
©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma
公式サイト/https://onoda-movie.com
公式Twitter/@OfficialOnoda