アカデミー賞作品賞含む3部門ノミネートされたポール・トーマス・アンダーソン監督最新作『リコリス・ピザ』が2022年7月1日(金)にいよいよ公開! 今回は、ポール・トーマス・アンダーソン監督 スペシャルインタビューをお届けします。物語のきっかけとなったエピソードや、1970年代スタイルでの撮影のこだわりなど、必見です。

天才!鬼才!PTAバイオグラフィー

1970年6月26日、カリフォルニア生まれ。父は俳優という環境に育ち、10代から映画を作る。23歳の時、短編がサンダンス映画祭で認められ、その長編化『ハードエイト』(1996)で監督デビュー。『ブギーナイツ』(1997)は10代で撮った映画が原案で、若き天才として評価される。群像劇『マグノリア』(1999)も話題を呼ぶ。1作ごとにその手腕が評価され、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)、『ファントム・スレッド』(2017)、『リコリス・ピザ』(2021)でオスカー監督賞候補となる。脚本&脚色賞には5回ノミネート。3大映画祭でも監督賞授賞。ひねった内容を独特のセンスで映像化し、唯一無二の世界を作り上げる。ちなみに新作の題名は(ピザ屋ではなく)レコード店の名前が由来。

三大国際映画祭にて監督賞受賞した唯一無二の才能

カンヌ/『パンチドランク・ラブ』(2002)

画像: ©2002 Revolution Studios Distribution Company, LLC. All Rights Reserved.
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新作に通じる“年上の女”とのロマンティック・コメディ。経営者の主人公(アダム・サンドラー)の日常が奇妙な笑いの感覚で綴られる。

ヴェネツィア/『ザ・マスター』(2012)

画像: © MMXII by Western Film Company LLC All Rights Reserved.
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主人公はトラブルをかかえた第2次大戦の復員兵。彼と宗教団体のリーダーとの屈折した関係を見つめ、濃厚な心理劇となっている。

ベルリン/『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)

画像: © MMVII Paramount Vintage, A Division of Paramount Pictures Corporation, and Miramax, LLC. All Rights Reserved.
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20世紀初頭が舞台で油田採掘にのめり込む非情な人物を通じて、人間の野望や狂気をパワフルに描き出す。荒涼とした風景も印象に残る。

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── 最初に『リコリス・ピザ』を思いついたのはいつですか。

タイミングは3つあるんです。映画の核となる最初のアイデア──15歳の少年と年上の女性の関係は、僕が近所で見かけたエピソードからヒントを得ました。中学校の写真撮影会の日に、少年がしつこく女性をデートに誘う姿を見かけたんです。そこで、『これは映画にとって、とんでもない前提になりえる』と思いました。でも、それは20年も前のことで、どこにも使うことなく、ただのアイデアに過ぎませんでした。

それから20年後に、ゲイリー・ゴーツマンという、元子役でウォーターベッド会社やピンボール店をスタートさせた男と素晴らしい友情で結ばれました。最後に、最も重要なのは私とアラナ・ハイムの繋がりです。彼女が所属するバンド、ハイムとは6~7年前に創作活動における関係性が始まりました。この3つの事柄をカクテルシェイカーに入れて、混ぜ合わせて、ベルモット少しとレモンをひと欠片加えることで、『リコリス・ピザ』はできあがったのです。

── クーパーが役に決まったことで脚本の段階でキャラクターを調整しましたか?

脚本段階でちょっとだけ調整しました。初めて言葉を発するのを聞いたとき、その人の口に合わない言葉があることに、いや実際は5~10回ほど読み返した後で気づきます。そこでうまく出てこない時に、より良い言い回しへ調整することも、役者の即興演技が活かされてなんというべきか見つけることも脚本家の仕事です。それは常に行われていることで、その人に合わせたパーツを作っているんです。俳優が映画に合わせるのではなく、映画が俳優に合わせるという哲学があるんです。

── 1970年代のスタイルでの撮影はどのように行われたのでしょうか? その中で何を撮りたかったのでしょうか?

まず“本物”らしさの助けになりますが、セットは小さな一歩に過ぎません。最も“本物”らしく見えるのは、登場人物の“見た目”です。ですから、私たちは俳優たちにメイクをせず、メイクアップトレーラーも用いず、髪も整えませんでした。

なぜなら、これは何よりも重要なことで、たとえ古いフィルムストックや古いレンズを使用しても、正直に振る舞わない人、メイクしている人を撮影したら、それは(その時代を再現するには)正直であるとは言えないからです。普通の映画で見られるような、100℃の暑さの中でも完璧なメイクをして(サンフェルナンド・)バレーを走り回る女の子はいません。それが本物らしさを出すための隠し味になるのでしょう。

── 撮影に入る前に、何かを見てインスピレーションを得たり、頭で考えたりしたのでしょうか?

その大半は私の記憶と古い新聞『The Daily News』『The LA Herald Examiner』『The Los Angeles Times』から得たものです。これらの新聞にこそ、本当の研究が生きているのです。そして、ゲイリー・ゴーツマンの記憶や写真、僕たちの子供時代のすべての写真のコレクションです。

この時代を舞台にした映画を作る場合、参照するのは『アメリカン・グラフィティ』(1973)に始まり、『アメリカン・グラフィティ』(1973)に終わると言ってもいい。それが頂点なのです。それを観れば、ある種の感覚や質感、スタイルといったものから、自分たちが目指しているものがわかる。あの映画で起こることは、ある意味、無敵です、あんなに美しい映画は。

Photo by Patrick Fouque/Paris Match/Contour by Getty Images

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