カバー画像:photo by Kostas Maros
囚人たちの演劇ワークショップが巻き起こした実話を映画化
カンヌ国際映画祭2020のオフィシャルセレクションとして注目を集め、公開されるや、大評判となった、『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』(2020)。さすが、人権尊重を掲げる、自由の国フランスならではの作品づくりと観客の反応かと思う。実際は1985年にスウェーデンで起きた出来事で、舞台をフランスにして映画化したという。
刑務所に収監中の囚人たちに劇を演じることで、社会復帰のモチベーションをあげさせる効用があるとされる、セラピ―的なワークショップ。それが巻き起こした驚きの物語だ。両国とも、そんな「演劇セラピー」に熱心であることは間違いないようだ。
しかも、試みた演劇というのが、あろうことか、フランスの劇作家サミュエル・ベケットの難解中の難解といわれている不条理劇、『ゴドーを待ちながら』だというのだ。
紆余曲折あっても、思いのほか演じることに熱心に取り組む囚人たちに気をよくした「先生」は、信頼関係を信じて、大胆にも監視員の監視無しで、いつ脱走してもおかしくない状況、つまり塀の外での公演を試みていく。
観る者はおそらく、いつ、誰がどのようにして脱走するのだろうかとハラハラしっぱなしで、さながら刑務所の監視員になったかのようなまなざしでスリルを楽しむしかない。
しかも、もし、脱走することになったら、その伏線が映画に織り込まれているに違いないとも思うものだから、目を皿のようにして全編を見届けることになるだろう。
そもそも、そんな危ないことに取り組んだ主人公の俳優エチエンヌはどんな人物なのか、どのような出来事に巻き込まれていくのかが興味津々で、見届けずにはいられなくなる。
筆者の場合は、実際にこの出来事を経験したスウェーデンの俳優で、ワークショップの講師となったヤン・ヨンソンなる人物と、囚人たちのことが脳裏にイメージされ、映画を観ながらにして二重の映像が頭の中をグルグルと渦巻くことを抑えられなかった。
そうしているうちに、最後のシーンでジェット・コースターで着地した感覚に近い衝撃を受けるのだ。それ、事実なの!?と驚愕する。
ベケット自身も驚いた事実を、ドラマチックに演出
ベケットに演劇権の許諾協力を得たヨンソンが、その成果を報告したところ、ベケット自身も予想だにしなかった結末に、膝を叩いて喜んだという。
まさにその事実が、この作品の見せ所となるが、とにもかくにも、観る者に意表を突く作品を突き付けることに、エマニュエル・クールコル監督は成功している。
売れない俳優のエチエンヌは、殺人、泥棒、銀行強盗、詐欺、麻薬取引きなどを犯し収監されている囚人たちを相手に、演劇のワークショップを試みる。社会復帰のためにも観客の前で演じることが役立ち、人間性を前向きにするためにも必要な活動だという。
一筋縄でいくわけのない男たちの更生になればという情熱だけでなく、『ゴドーを待ちながら』への敬愛も相まってか、エチエンヌの情熱は留まることを知らない。
思いのほか囚人たちが演技を楽しむかのように事が運び、刑務所の外で何度か演劇を公演し、外部評価は高まっていった。
そして、なんとパリのオデオン座から公演依頼が来る。この大舞台をどのようにして成功させるのか、「先生」も「生徒」も正念場を迎えることになるのだが。
舞台俳優でもあるエマニュエル・クールコル監督に、2015年に初監督した『アルゴンヌ戦の落とし物』に次ぐ、監督作品第二弾となった本作についてうかがってみよう。
誰が、真の勝利者なのかが見どころに
── 原題は「勝利(Un Triomphe)」とあります。勝利の女神は誰に微笑み、成功を勝ち得るのは誰なのかが、最後のシーンで明かされ、意表を突かれながらも、そこに感動が押し寄せます。
そうですね。囚人たちは上手く演じることが出来れば、彼らは勝利者となります。「先生」のエチエンヌも勝利を得ることになりますが、エチエンヌの想像を超えたことが起き、そこからさらにまた、想像を超えた展開になっていく……(この後は、ネタばれ的なお話が展開)。
── 興味深いお応えも、ここではこれ以上は書けないのが残念です(笑)。
それって、エチエンヌが最初から仕組んだ展開で、彼は確信犯だったのではなかったかなどと、私は深読みしてしまったりしましたが。
それは、実際に起きた時も、本作でも、主人公は意図していないですね。本当に想像をしていなかったことが起きたんです。そこで、新たに何が起きるのかがこの作品の見所です。
── 結局、勝利者は……、ということを知って、観客は勝利者を讃えることになりますね。運命を前向きに捉え、チャンスはどこにもあるという教訓を得ることが出来る、さすがフランス映画の真骨頂だと思います。
ところで、クールコル監督は、映画制作の第二弾に、この題材を選ばれたのはどうしてですか? 実際の出来事はスウェーデンの話ですし……。
やはり、ご自身が舞台俳優でもあるということや、フランス人劇作家のベケットの『ゴドーを待ちながら』を扱った話だったからなんでしょうか?
まずは、この実話のドキュメンタリー映画をプロデューサーから見せてもらったのがきっかけでした。フランスで映画にしようということになり、演劇的要素がたくさんある映画ですから、舞台俳優の私にとって興味深いですし、撮っていても苦労はなかったです。
難解でありながら、身近でもある『ゴドーを待ちながら』
── そうでしたか。
でも、一番苦労したのは実際のフランスのモーショコナンという刑務所での撮影でした。囚人たちが実際に収監されている現場で撮ることになりますからね。本作を作る前に、まず、刑務所でドキュメンタリーを撮ってみたりして進めていきました。
── なるほど。
それにしても(実際のスウェーデンの刑務所でのワークショップで)、『ゴドーを待ちながら』を囚人に演じさせるというのも大胆な発想ですよね? 難解な内容として語り継がれてもいますから。
日本では、最近でこそ上演も減っているようですが、演劇を志す方々なら誰でも一度は演出してみたい、演じてみたい、演じたら墓の中までも持っていきたい栄誉として語られるほどの演劇作品です。
もちろん、クールコル監督にとっても、リスペクトすべき作品であるわけですよね。
『ゴドーを待ちながら』は俳優なら、誰でも一度は演じてみたい作品で、私も例外ではありません。
演劇学校にいた頃、何度か練習をしました。でも、舞台で演じたことはないんです。とにかく、フランスでは、観たことがない人も、この作品の名前は知っています。
── そうですね。観ていないけれど知っている演劇……。
この作品は20世紀において、大変神話的な存在の劇だと思います。革新的に書かれたものですから。
最初はフランスでも受け入れられなかったんです。それがその後大成功するわけです。それは、この作品が(難解のようでありながらも)実は、万人に受け入れられやすいシンプルな話でもあるからでしょう。
登場する二人の男は、仕事をくれるというゴドーという男の出現を待っているが、彼は来ない。誰もが思い当たるような内容です。絶望、空虚さを感じさせつつも、明日はきっと良い日になるだろうという希望も感じさせる作品なんです。人生で誰もが経験する話でもあると思える物語ですね。