“人生の一部分が作品に入っているんです”

―とても映像が美しいと思いました。本作で新たに取り入れた撮影技法や機材はありましたか?

「今回はインプロ(即興演技)やアドリブを積極的に取り入れるようにしました。役者には『ある程度セリフは忘れていい、その時に湧き上がってきた言葉を言っていい』という風に話しました。なので今回は多くの部分がアドリブなんです。大変だったと思いますが、非常にうまくやってくれました」

脚本はバーで書くというプーンピリヤ監督

―個人的にはカクテルを作るシーンがとても印象的でした。

「実はバンコクでバーを経営していることもあって、そうした人生の一部分が作品に入っているんです。劇中に登場する、過去の恋人たちにちなんだカクテルは非常に有名なバーテンダーの方にレシピを作ってもらっていました。キャストには『カクテルを作れるようにしてほしい』と伝えて、カクテルづくりが上達してから撮影に入ったので、それがうまくいったのではないかと思います」

―音楽も心に残る作品です。STAMPさんはご友人とのことですが、主題歌の「Nobody Knows」にはどの程度監督も携わったのでしょうか。

「私はほとんど関わりませんでした。彼のような友人がいてラッキーです(笑)。お願いする際に、映画の内容や映画を通して伝えたいことなどを話しました。そうしたら、数週間後にはそれら全てを取り入れたデモを渡してくれたんです。チェンマイで撮影中だったのですが、曲を聴いて思わず泣きそうになったのを覚えています。実際に曲を入れ込んだエンディングを観たときは心が震えました。彼には本当に感謝しています」

―ご友人のロイドさんとのお話も聞いていいでしょうか。ウードのキャラクター像にはどんな影響がありましたか。

「色々な影響を受けたのですが、ウードの話し方や杖の使い方は彼の影響を受けた部分です。彼はとても良い人で、残り短い人生の時間の多くをこの映画を作るために捧げてくれました。彼には本当に作品を観せたかったです」

画像: 友人のロイドさん(右)と。残念ながら映画が完成する前に旅立った

友人のロイドさん(右)と。残念ながら映画が完成する前に旅立った

画像: 【インタビュー】バズ・プーンピリヤ監督が語る『プアン/友だちと呼ばせて』

PROFILE バズ・プーンピリヤ

1981年、タイ・バンコク生まれ。大学卒業後にテレビ広告業界を経て、ニューヨークでグラフィックデザインを学ぶ。2011年にタイに帰国し、ミュージックビデオの監督を務めた後、2012年に初の長編映画であるホラー・スリラー『COUNTDOWN』(未)を監督。その後、2作目の長編映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(17)がアジア全域で大ヒット。2017年のタイ映画で最高の興行収入を記録しただけでなく、中国を含むアジア数カ国のタイ映画の興行収入記録を更新。3,000万ドル以上を稼ぎ出し、国際市場においてタイ映画史上最も成功を収めた作品となった。

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