映画は物語よりも光に心を奪われた
──冒頭で主人公のサマイが線路に色の入ったガラスを並べているなど、映画の中に様々な形で色が取り入れられていました。本作は監督ご自身の幼いころのことをモチーフにしているとのことですが、監督も幼いころから色や光に興味を持たれていたのでしょうか。
僕も電車で通学していたので、サマイが映画でやっていたように、風景を色ガラス越しに見たりしていました。電車に乗っているお客さんは窓からいろんなものを捨てるので、友だちと一緒にレール伝いを歩いて、たばこの箱やマッチ箱、飲み物の瓶などを拾い、色ガラスを見つけると、家で洗ってこっそり登校カバンに入れておいたのです。
そのうちに初めての映画を見ることになるのですが、幼かったのでカメラを見たことがありませんでしたし、映画の原理だけでなく、映画は撮影して作るということさえ知りませんでした。そんな僕が最初に魅了されたのが映写機でした。スクリーンの中で展開する物語よりも光に心を奪われたのです。
当時の映画館はバルコニー席があり、そこに座っていると手を挙げれば、映写室からの光に直接触れることができました。それをすると他のお客さんが映像を見られなくなってしまうとは気がつかずに、つい手を挙げてしまったのです。映画の中でサマイがつまみ出されて、「二度と来るな」と怒られていましたが、あれはかつての僕の経験です。
──映画に興味を持ったサマイがフィルムを上映するために試行錯誤しながらも、自分で映写機を作り出したことに驚きました。これも監督ご自身のご経験でしょうか。
映画はメカニズムをいったん理解してしまえば、とても単純。光とフィルムのリール、シャッターが必要ですが、ミシンをリールにして、ファンをシャッターとして使ったら見ることができました。
ただこの段階では音がついていません。しかもリールの動きがマニュアルでしたから、映写スピードによって映像が早くなったり、遅くなったり。それでも、そこまでできたことは奇跡だったと思っています。
子どもが拾ってきたごみクズを使っておもちゃを作るというのは、インドのどこに行っても見られる光景です。貧しいからこそ創意工夫を凝らして大いなるイノベーションを生み出し、いろんなおもちゃを作る。そういうインドの“作ってしまえ”というスピリットは未だに残っていますし、僕の映画作りに大きな影響を与えていると思います。
映画はストーリーテリングの延長線上にある
──音がついていない映像に合わせて、サマイたちは音を作り出し、物語を紡いでいました。映写技師のファザルも「映画と物語には深い歴史があり、語り手にこそ未来がある。何をどう語るかが腕の見せどころ」と語っていました。監督はこの作品で何をどう語ろうと思ったのでしょうか。
本作の場合、2つの物語を伝えたいというところから企画が始まりました。1つは1980年代の12歳くらいの自分の物語。もう1つは2011年のデジタル化の際、映写技師のファザルのモデルとなったモハメッドさんは英語が読めないので仕事を失ってしまったということ。これらを併せて1つの物語にしたのです。
ストーリーテリングは映画に出会う前から自分の中で大きなものでした。インドの場合、どの村にも必ずストーリーテラーと呼ばれる人がいて、村の人たちに語り継いできたという歴史があります。サマイも拾ったたばこの箱やマッチ箱に描かれている絵を使って、友だちとお互いに物語を作って話すという遊びをしていますが、そもそも僕がそれをしていたのです。
マッチ箱に農夫と踊り子、銃の絵があれば、それらを映画で出てくるように並べて、「農夫が踊り子に出会って、銃を使って誰かを殺してしまう」といった感じの物語が作れます。ですから、映画と出会ったときに「これはストーリーテリングの延長線上にある」と思ったのです。
その後、モハメッドさんと知り合い、カットされて使わないフィルムをもらって、1コマずつ見ながら、友だちとストーリーを作って聞かせ合っていたので、ストーリーテリングは自分の中では普通にしていたことでもありました。
──映写技師役のファザルのモデルとなったモハメッドさんはできあがった作品をご覧になりましたか。
音楽がついていない2時間半のラッシュ版のみ、ご覧いただきました。モハメッドさんは2021年に2回目のコロナに罹患されて亡くなってしまったのです。でも、ラッシュ版をご覧いただいたときに、ご自身の言葉がセリフとして使われていたのを聞き、「盗まれた」と笑っていました。僕は「ファザルはあなたがモデルなのだから、これは全部あなたの言葉です」と伝えたのです。
そのときに「久しぶりにフィルムの匂いを嗅ぎたいのだけれど、近くにないか」と聞いてきたので、後日、僕のところにあったものを送りました。10年くらい嗅いでいなかったようで、本当にうれしかったのでしょう。フィルムの匂いを嗅いでいる写真をホワッツアップというラインのようなアプリでたくさん送ってきてくれ、彼はムスリムだったので、「アラーに感謝を」と言っていました。