天才監督マイケル・ベイに魅せられて
マイケル・ベイはハリウッドの申し子だ。1965年、ロサンゼルスに生を受けたベイは15歳のとき、ジョージ・ルーカスのILMで絵コンテ整理のアルバイトとして『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に参加(車を買う資金のためのバイトだった)。この経験が彼を映画監督の道へと進ませることになる。
バイト中、絵コンテしか目にしていなかったベイは「これはクソ映画になるだろうな」と思い、同級生にそう話していたのだが(「これは実話だよ」とベイ自身が語っている)、翌年の初夏に映画館で完成した『レイダース』を観て打ちのめされた。なんて凄い映画なんだ!
その後ウェズリアン大学に進学したベイは卒業研究のためパサデナのアート・センター・カレッジ・オブ・デザインで映画製作のコースも受講。卒業後はプロパガンダ・フィルムスに就職してCMやMTVの監督として腕を振るった。
一斉を風靡したコカ・コーラの「Got Milk?」のCM(1993年)やナイキの「ジョーダンvsバークレー」のCM(1995年)、ミートローフのMTV「愛にすべてを捧ぐ」(1993年)などが当時の代表作だが、この時から既に「ベイ印」のグラマラスでめくるめく映像世界が達成されていたのには驚かされる。
こうしたMTVがジェリー・ブラッカイマーの目に留まり、1995年ベイは『バッドボーイズ』で長編映画監督デビューを果たす。『バッドボーイズ』はメガヒットとなり、ベイとブラッカイマーのコンビは続けて『ザ・ロック』(1996年)、『アルマゲドン』(1998年)、『パール・ハーバー』(2001年)と、1990年代後半〜2000年代初頭を代表するアクション大作を次々と放つ。
こうして名実ともにハリウッドのトップ監督となったベイだが、2001年に設立した映画制作会社プラチナム・デューンズでユニークなホラー映画を地道にプロデュースし続けているという意外な(?)一面も重要である。
グラマラスで過剰な作品群が映画界に与えた影響
マイケル・ベイがハリウッドで最も有能な監督の一人であることは間違いない。だがそのエクストリームでキャッチーな作風と、きわめて大衆迎合的な(ように見える)フィルモグラフィはこれまであまり真剣に受け止められずにきた。
きちんとしたベイ映画の研究書は英語圏ですら2冊しか存在しないのである(イリノイ大学出版部「現代映画監督」叢書「マイケル・ベイ」と、ハリウッド現役のスクリプトドクターが匿名でものした「Michael F|ing Bay/知られざるマイケル・ベイ映画の天才技巧」)。
しかしマイケル・ベイのグラマラスで過剰な作品群が映画界に与えた影響はきわめて大きいし、それはポップ・カルチャー史を語る上でも同様である。
メガヒットを連発し、エンターテインメント映画の世界に多大な影響を及ぼしながらも、特定のレッテルを貼られてシリアスな批評の対象とみなされない、というベイ映画をめぐる状況は『シンドラーのリスト』(1993年)を撮る以前のスピルバーグ作品の受容のされ方に近い。
スピルバーグとマイケル・ベイの繋がりは『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)のプロダクションに高校生時代のベイがアルバイトで参加していた時点にまで遡ることができるが、のちに代表作となる「トランスフォーマー」シリーズの1作目(2007年)をベイが引き受けたのも、スピルバーグと一緒に仕事をしたい一心からだったという(当初ベイは「おもちゃのロボットの映画なんて」と難色を示していた)。
あうんの呼吸で結ばれた“ベイ組”の驚異の撮影スピード
マイケル・ベイとスピルバーグはどちらも驚くべき早撮りの監督という点も共通している。ベイの現場では1日に5070のカット(カメラのセットアップの回数)を撮ることはざらで、ときには100近いカットをものすることもある。これはまったくもって信じがたい数字で、ベイと彼のチームの優秀さを如実に物語るものだ。
一般的な作品におけるカメラセットアップの回数は一日25回から、多くても30回程度に過ぎないのである。ベイが製作費の安上がりなカナダその他での撮影をせず、ハリウッドで映画づくりを続ける理由もここにある。
あうんの呼吸で結ばれた「ベイ組」のスタッフでしか撮影スピードがキープできないからだ。そのスピード感で「ベイヘム」と称される、派手で複雑極まりないアクションシーンが次々と撮影されていくさまには圧倒される。
印象に反して、ベイの作品群が豊かなバリエーションを誇ることも注目に値する。刑事もの(『バッドボーイズ』ほか)、SF(『アイランド』(2005)ほか)、戦争映画(『パール・ハーバー』『13時間 ベンガジの秘密の兵士』(2016))、ブラック・コメディ(『ペイン&ゲイン』(2013))、ケイパー映画(『6アンダーグラウンド』(2019))、アクション・スリラー(『アンビュランス』(2022))……。
そして、どの作品にも一目でそれと分かるマイケル・ベイの刻印が押されている。マイケル・ベイという監督を作家主義的に語らなくてはいけない理由もまさにそこにある。
かつて「MTV出身監督」という言葉が否定的な意味で使われた時代があった。もともとCM・MTV監督としてキャリアをスタートさせたマイケル・ベイはまさにMTVの申し子とも言えるが、その方法論はいまやブロックバスター映画の標準と化した(面白い実話を一つ。やはりCM出身のエイドリアン・ライン監督作『幸福の条件』(1993)の、有名なダイスが転がるスローモーションのカットは、第二班で参加していたベイが特製の巨大ダイスを用いて撮影したものだった)。
「MTV的な映画」の特徴の一つは目まぐるしくスピーディなカット割りだが、そのカット一つ一つにどれほどの才能と労力と工夫が注ぎ込まれているか、丁寧に観ていくことでマイケル・ベイという監督の凄みに気づくことができるだろう。