イギリス人ながら、フランスで長く活躍し、国内のみならず世界的な人気を得てきた、女優で歌手、映画監督でもあるジェーン・バーキンが2023年7月16日に亡くなった。76歳だった。日本にもファンが多く、惜しまれる。
折しも、彼女の母としての生き方を赤裸々に捉えた、彼女の実の娘である女優で歌手のシャルロット・ゲンズブールの初監督作品、『ジェーンとシャルロット』(2022)が8月4日から公開される。必見である。
この連載にシャルロット・ゲンズブールのインタビューを載せる予定もあったのだが、バーキンの逝去で叶わなくなった。
今回は異例の人物なしで、筆者の過去の複数のインタビューも交えながら、本作をご紹介しつつ、追悼のエッセイを載せることにした。
ジェーン・バーキン、ありがとう。安らかに。

人のために何かをするジェーンの精神を映し出す

画像: 人のために何かをするジェーンの精神を映し出す

「フランス映画祭2010」の団長として来日したジェーン・バーキンにインタビューしたことがあった。
60代になったジェーン・バーキンは、ボーイッシュなヘアスタイルに、ナチュラルメイクで、その自分らしいスタイルには自信が溢れ、眩しいくらい。
その髪型は娘たちには評判が悪いのよね。と言っていたが。
歳を重ねることで得られる自由や幸せについて、大いに語ってくれたものだ。

「あと、20年も30年も生きるんだから自信をつけなくっちゃね。私には娘が三人いて、孫もいる。皆、私を気遣ってくれて髪のこと、仕事のこと、肩こりのことまで心配してくれる。
三人の娘たちが自分らしくそれぞれに生き、自分らしい仕事を自信をもってやれる。今の私の幸せは、そんなことが感じられる年齢になったことかしら」(マガジンハウス「ウエブダカーポ」連載2010年4月1日掲載記事から抜粋/現在配信廃止)。

もっと生きて欲しかったとつくづく思う。

映画祭ではブノワ・ぺトレ監督作品『テルマ・ルイーズとシャンタル(原題)』(2010/劇場未公開)が上映され、いつものジェーン・バーキンとは真逆な「ダメなオバサン」を演じて見せた。何とヌード姿にも臆することなく。

「私の役はアンニュイなものが多くて、歳を重ねるごとに暗いものが来るの。演じていても落ち込みそうになる。この作品は楽しそうなんで、すぐ引き受けました」(同上の記事から抜粋)
自分と違う女の生き方を演じられることが女優の面白さなのだと言う。

そして、そこでは本作『ジェーンとシャルロット』(2022)にも繋がる言葉もいただいていた。ささやくような声で優しくて気遣いをしながら彼女は言った。
自分が影響力を持つようになったら、人のために役立つようなことをしなくてはいけないと思っていて、それは父親がやっていたことでもあり、教えでもあることなのだと。

本作の冒頭には、2011年の東日本大震災の直後に、彼女が来日し、チャリティ・コンサートを開いた、その姿が映し出される。
そんな風に、困った人々のために役に立たないといけないという精神につき動かされ、臆することなく勇気をもって有言実行する姿勢は、彼女が亡くなった今こそ一層輝き、歌声は響く。
観る者を改めて彼女への感謝と追悼の想いに誘うことだろう。
日本にとって、本作は特別の映画になったのだ。

いつもと変わらぬおしゃべりで、母としてのジェーンを探る

画像1: いつもと変わらぬおしゃべりで、母としてのジェーンを探る

シャルロット・ゲンズブールが自ら監督して、本作『ジェーンとシャルロット』を撮ったのは、なぜだろう。
母であるジェーン・バーキンとの母娘としての関係において、それまでなんとなく感じていた隔たりを埋めようとするための「手段」でもあったと、シャルロットは本作の中でジェーンに告白する。
それも、母と娘の何気ないお喋りのような感じで。
そう誘導されて、最初は気が進まなそうではあったが、そうね、あなたは姉妹の中でも特別な存在だったからねと、ジェーンは語りだす。

深刻になりかねない、いくつもの母への問いかけをしながら、あくまで終始一貫してナチュラルに、母から本音を惹き出すという手法は、実の娘だからこそであろうか。
とは言え、戸惑う母の気持ちを大切にして、数年撮影が中断したこともあったそうである。
多大なる、娘の母への気遣いが感じられるところが、本作の素晴らしいところでもある。

それを観るにつけ、脳裏に蘇るのは彼女主演のミカエル・アース監督作品『午前4時にパリの夜は明ける』(2022)のこと。
夫と別れそれまでと違う生き方を模索しながらも、家族を想う優し気な所作の女を演じたシャルロットは魅力的だった。

そもそも、ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンズブールという、アナーキーなカップルの実の娘であるシャルロットが、衝撃的な演技を見せることは彼女の真骨頂であっても不思議はない。
そう思ったのがラース・フォントリアー監督作品『アンチ・クライスト』(2009)でのこと。物議を醸すほどのシーンが続き、その演技力でカンヌ国際映画祭主演女優賞に輝いた。
さらに、その後の同監督の『ニンフォマニアック』(2013)での、アンモラルな性描写にも臆さない大胆さに納得もさせられた。

そんな記憶の中にいるシャルロットが、アース監督の最新作で演じて見せた女性像は、今回の『ジェーンとシャルロット』の中で母ジェーンへ向けられる、控えめで優し気なまなざしそのものなのだ。
やはり、それが素顔のシャルロットだったに違いないと、合点がいった。

画像2: いつもと変わらぬおしゃべりで、母としてのジェーンを探る

ジェーンの言葉すべてが、娘に遺された宝物

ミカエル・アース監督は筆者のインタビューではこう答えていた。

「彼女の両親のことでの私的な面や、これまで演じた過激な役柄から、彼女のイメージが印象づけられがちですが、もともと優しくてデリケートな面を持っている女性だと思わされもしました」(本連載VOL.34:2023年4月21日掲載記事から抜粋)
映画の中だけでなく、撮影の最中の彼女のことも含めてそう語っている。

そんなシャルロットは、本作では監督であることに加え、自らも登場して母と会話をしながら、今まで直に母に言わないで来た想いを、作品の中に埋め込んでいる。
今となると、逝去したジェーン・バーキンが本作の中で語る言葉すべてが、シャルロットへの「遺言」となり、宝石のように煌めく。
観る者にとっても、ジェーンの言葉は生きるための「箴言」にもなりそうだ。

そのうえ、シャルロットの言葉のすべてもまた、旅立った母を見送るための言葉だったように思えて来る。
シャルロットは二人の別れの運命を予感して、この作品を撮り始め、終えようとしたのだろうか。

シャルロットの問いかけに懸命に応え、とめどなく出てくるジェーンの言葉は、自分に言い聞かせるようでもあり、詩人が語るモノローグのようでもあり、その姿がまた美しいのだ。
貴重なドキュメンタリー作品である。

フランスでS・ゲンズブールと芸術を極める人生

再び振り返れば、1946年英国に生まれたジェーン・バーキンは、最初の夫で映画「007シリーズ」でも知られ数々のヒットソングを世に出した、英国の作曲家で編曲家のジョン・バリーとティーンエイジャーにして結婚・出産。彼との間に長女となるケイトをもうけるも、3年ほどで別れる。

その後、1968年に渡仏しシャルロットの父となる、フランスの天才的な作曲家、セルジュ・ゲンズブールと人生を共に歩みだす。

そこから、このカップリングは、フランス国内のみならず、70年代を標榜する世界的アイコンとして憧れの的となっていった。

ゲンズブールが監督した映画『ジュテーム・モア・ノン・プリュ』(1967)は、ボーイッシュなジェーンが、ゲイの男と愛を交わすというきわどいシーンがセンセーショナルな話題となる。

映画タイトルと同名のテーマ曲は、男女のベッドでの喘ぎ声をイメージさせ、これも物議を醸した。

しかも、この曲、実はゲンズブールがフランスのセックス・アイコンとして一世を風靡した女優ブリジット・バルドーと恋仲だった時に、彼女に歌わせたものの、二人の関係が破局して世に出すことが叶わず、その後にパートナーとなったジェーンに改めて歌わせたものだった。

そんな曰くつきの「事件」が、一つ一つ話題をさらうカップルだった。

「『ジュテーム・モア・ノン・プリュ』は、英国では母親を心配させるほどいかがわしい場所で上映され、新聞などでも酷評されることになったの。ところがフランスではシャンゼリゼのちゃんとした映画館で上映される作品として扱われる。芸術的な作品に対しての評価や尊敬の念が全く違うことを知ったものでした。私たちはそれで自信を持つことが出来ました」

セルジュと過ごすようになったフランスでは、創作的なものに対する感性や姿勢が英国とは雲泥の差があり、それが素晴らしいことを、ジェーンは先のインタビューで語ってもいた。

画像: フランスでS・ゲンズブールと芸術を極める人生

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