不公平な判定で負け、アメリカへ渡った元ボクサー。40年振りに帰国し、居酒屋で遭遇したトラブルを見た青年から指導を懇願される。彼も不公平な判定で負けて心が折れて、一度はボクシングを諦めたのだった。最初は断ったものの、青年の熱い思いにかつての自分を見出し、指導を始める。映画『春に散る』は沢木耕太郎が朝日新聞に連載した同名小説の映画化である。主演は佐藤浩市と横浜流星。横浜はこの作品をきっかけにボクシングのプロテストを受験し、C級ライセンスに合格したほどの熱意で取り組んだ。メガホンを託された瀬々敬久監督に取材を敢行。作品への思いやキャストについて語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

老いと若さの対立を軸に描く

──監督の依頼を受けたときのお気持ちからお聞かせください。

プロデューサーの星野さんから「原作を読んでほしい」と言われたのがきっかけです。10代の頃から沢木耕太郎さんのファンで「人の砂漠」(1997)、「テロルの決算」(1978)、「一瞬の夏」(1981)を読んでいましたから、一も二もなく引き受けました。

画像: 瀬々敬久監督

瀬々敬久監督

──本作は2015年4月1日から2016年8月31日まで朝日新聞に連載された小説です。若い頃に読まれた沢木作品とは違いましたか。

若い頃に読んだ本とテーマは同じだと思いました。

「テロルの決算」は山口二矢が日比谷公会堂で日本社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺する事件のルポルタージュですが、17歳の二矢と60代の浅沼、二矢が所属していた大日本愛国党という右翼団体の総裁で70代の赤尾敏。この3人が主軸で、老人と若者の対比をテーマにしていました。

「一瞬の夏」は一度、表舞台から去ったプロボクサー・カシアス内藤という混血のボクサーがカンバックし、老トレーナーのエディ・タウンゼントともに再度世界チャンピオンを目指す姿を描いています。若者は死なんて考えない。どう生きていけばいいんだと悩み、老人は死を目前にしてどう死ぬかで悩む。若者と年寄りの実感の差をテーマにし、2つの時間の差が交わったところに新しい物語が生まれます。

その2つのノンフィクションがその後の僕に大きな影響を与えました。今回の小説も老いと若さという2つの時間が出てきて、それがぶつかる。同じことを繰り返していると思いつつ、それはいい意味で、沢木さんらしいですし、同じテーマをずっと書いているんだとうれしくなりました。

──原作とは設定変えたところがありますね。

原作は上下2巻の新聞小説でかなり長いので、老いと若さの対立を軸にしようと思いました。上巻は広岡仁一がかつてのボクサー仲間3人に声を掛けて、みんなの終の住処を作るという物語でしたから、そこは極力短くしました。

また、原作の設定では黒木翔吾はボクシングジムの会長の息子で、子どもの頃から英才教育を受けていたということになっていました。今はそういう人が結構いるんです。沢木さんは時代を反映して書かれたと思いますが、そこは昭和っぽく、シングルマザーの貧困家庭に変えてしまいました。

橋本環奈さんの役も原作は不動産屋の事務員という設定でしたが、広岡の姪にして、父親の世話をしていることにしたのが大きな変化です。

画像: 老いと若さの対立を軸に描く

──それによってヤングケアラー問題も取り込まれ、物語の幅が広がりました。

姪の佳菜子は父親が亡くなった後、実家が取り壊される様子をスマートフォンで撮っていました。僕は大分県の国東半島で生まれ育ったのですが、言ってみたら田舎の限界集落みたいなところなんです。数年後には住んでいる人が誰もいないかもしれません。今、地方は大変で、日本にはそういうところがたくさんあります。広岡が日本を離れたのはバブルの頃。それからの40年間に日本は色んな意味ですっかり弱ってしまった。ヤングケアラー問題だけでなく、それも表せると思いました。

──内容が盛りだくさんで、映画の尺に落とし込むのは大変だったのではありませんか。

原作では広岡とかつてのボクサー仲間は四天王と呼ばれていましたが、1人減らして三羽烏にしました。

また、夏から始まり、翔吾の試合のある春で物語は落ち着きますが、四季を示すテロップを出して、季節が変わるときに時間をかなり飛ばして省略しています。日本の四季をうまく取り入れつつ、広岡と翔吾の関係性の変化を表現しました。

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