第二次世界大戦下のナチス・ドイツでユダヤ人を強制収容所に送り込み抹殺する計画立案者だったアドルフ・アイヒマン。逮捕劇や裁判はすでに多くの作品で描かれてきましたが、処刑された後、どうなったのでしょうか。実は火葬が禁止されているイスラエルで火葬されていたのです。『6月0日 アイヒマンが処刑された日』はアイヒマンの遺体処理の極秘プロジェクトに巻き込まれた人々を通して、アイヒマン最期の6ヶ月を描いた作品です。驚きべき話に興味を持ち、脚本も担当したジェイク・パルトロウ監督にお話をうかがいました。(取材・文/ほりきみき)

アイヒマンに関して、ある種の矛盾が全編に渡って存在

──イスラエルの文化では火葬は行われないにも関わらず、アイヒマンが火葬されたことをこの作品で初めて知って驚きました。

私も知ったときは驚きました。アイヒマンのことはこれまでもさまざまな作品で取り上げられ、私たちはある程度は知っていますが、新たに面白い視点をもたらしてくれるのではないかと思ったのです。

ただ、アイヒマンのことを掘り下げて、心理学的により理解できたとしても、今を生きる我々には何の助けにもなりません。私が興味を持ったのはアイヒマン本人ではなく、むしろ、裏側にいた人々でした。アイヒマンが火葬されたことは歴史の大きな出来事ではあるけれど、そこに見えない形で関わった人たちがいる。しかし、そのことを多くの人が知らない。どういう人がどう関わり、どんな影響を受けたのか。そこに興味を持ちました。

ジェイク・パルトロウ監督

──どのようにリサーチを進めていかれましたか。

このテーマで映画を撮るためには、当時、実際に関わった方々と話をするのが大事だと思いました。

刑務所の看守をしていた何人かの方にお目にかかってお話をうかがい、アイヒマンの髪を切る理髪師のエピソードを知りました。髪を切るという日常の凡庸な行為があの状況におかれると、暗殺の危険性が危惧される。もちろん映画ではうかがったお話を膨らませていますが、判決が出るまではアイヒマンの安全を守らなくてはならない義務があるので、看守の方にはものすごいプレッシャーだったそうです。

当時、アシュケナージ(東欧から移住してきた、白人のユダヤ人)の人は看守の任務につけませんでした。いろんな国にユダヤ人はいますが、家族がヨーロッパにいた人はアイヒマンに対する私怨が強く、看守の任務につけることが暗殺に繋がってしまう可能性があると考えられたからです。ヨーロッパではなく、中東か北アフリカ出身のイスラエル人が任務にあたるよう、とても神経質になっていたと聞きました。そういった話も反映させています。

ポーランドに行って自分の経験を話すミハはミッキー・ゴールドマンという実在の人物がモデルです。今年7月26日に98歳でお亡くなりになったのですが、それまでイスラエルにお住まいで、本当によくしていただき、彼の物語を託してもらいました。息子のロン・ゴールドマンがプロデューサーとして加わっています。

工場で働いていた少年だったダヴィッドにも話を聞きました。ただ、工場の他の方々は「少年なんかいなかった。働かせるわけがない」と口々に言うのです。どうして話が噛み合わないのか、結局、わからないままでした。それでも、僕たちはダヴィッドが話してくれた歴史も物語に組み込むことにしました。この映画のテーマの1つである歴史の作られ方に関わってくるからです。

アイヒマンに関して、公の形で裁判が行われ、判決が出て、大きな歴史が作られていく。それと同時に、裁判や処刑の部分に関わっていなかったけれど、ある役割を果たした、いくつもの小さな視点から見た歴史もある。それらが綿密に繋がっていることに共同脚本のトム・ショヴァルがとても興味を持ったので、このようなアプローチを取りました。ダヴィッドの証言があったからこそ、この作品が作られているのです。

画像: アイヒマンに関して、ある種の矛盾が全編に渡って存在

──脚本を作るに辺り、大事にしたのはどのようなことでしょうか。

アイヒマンに関して、矛盾している側面がいくつもあることがとても興味深かったです。

英国によるパレスチナ統治が終わっても、イスラエルは英国軍の規律的なものを引き継ぎ、1954年に死刑が撤廃されました。しかし、アイヒマンのようなケースが出てくるかもしれないということで、人類に対する犯罪の場合は極刑もあり得ると例外を残してあったのです。

人口の9割をユダヤ教徒とイスラム教徒が占めるイスラエルでは律法により火葬が禁止されています。しかし、さまざまな理由から、アイヒマンを絞首刑にした後に火葬する選択が成されました。

他にも、アイヒマンは処刑される人物ではあるけれど、それまでは絶対的に守る。亡くなる晩はワインをたくさん飲んで、ちょっと酔っぱらっていたようです。処刑の際は首に掛けたロープがざらついていて「痛い」とアイヒマンが言ったので、肌触りがいい布地を見つけてきて、それを首の部分にあてたと聞きました。処刑はするけれど、現代的な人間らしさみたいなものは守ろうとする。ある種の矛盾が全編に渡って存在していました。

「ユダヤ人は人種か宗教か」正解がないから映画で問いかけた

──作品の中で学校の授業で先生が、「ユダヤ人は人種か宗教か。それとも両方か」という問いをします。監督はどう答えますか。

イスラエルはホロコーストを経験してできた若い国です。誰がユダヤ人を定義するのか。抑圧はどういうところから生まれてくるのか。正解がないからこそ、この映画で問いかけたのです。興味深いですよね。自分も知りたかったのです。

──ダヴィッドの家族は1年前にリビアから移住したとのこと。父親はダヴィッドにアラブ人として正しくあることを求めていましたが、ダヴィッドは先生から問われたときに自分はユダヤ人で、イスラエル人だと答えていました。暮らしていた人たちの中には葛藤があったようですね。

制作していたとき、スタッフの中に「これはまさに自分の体験だ」、「うちでこういう話を聞きました」と話してくれる方が結構多かったのです。イスラエルに住んでいると“父親が東ヨーロッパ出身でイディッシュ語を話す”、“母親はユダヤ人だけれどシリア出身でアラビア語を話す”と家族の中にもさまざまな状況があるのが当たり前ですが、国外の方はご存じないことなので、ぜひ描かなくてはと思いました。

これはイスラエルに限ったことではありませんが、幼い子ほど、新しい文化に適応したアイデンティティをうまく見つけて、自分を統合していくことができる。父親世代はなかなか受け入れられない。この辺りもダヴィッド本人から聞き、面白いと思ったので、作品に織り込みました。

画像: 「ユダヤ人は人種か宗教か」正解がないから映画で問いかけた

──作品内で、アイヒマンを火葬する窯で試しに羊を焼いていました。監督も火葬に慣れていらっしゃらないとのことですが、何か感じるものはありましたか。

火葬に慣れてはいませんが、驚いたりショックを受けたりはしませんでした。ホロコーストでたくさんの方が亡くなった後に火葬という処理がされたということが大きいのではないかと思います。

ダヴィッドたちはホロコーストで使われた装置の小型版を作るわけですが、工場には収容所を経験したヤネクがいる。そこに皮肉というか、不条理さを感じました。

──すでに上映された国での反響はいかがでしたか。

多くの方に「感動した」と言っていただき、とてもうれしかったです。作品をご覧になって「自分が何か考えていたけれど、言葉にできなかったことが、この映画を見たことではっきり認識することができました」と話してくださる方がいました。観客の方々それぞれに歴史との関わり方があり、それを思い出しながらご覧くださったのを感じました。

これまでにない視点で描き、映画が好きとか嫌いとかいうのではなく、テーマについて、誰かと何か話をしたくなる作品になったと思います。多くの方に作品との繋がりを感じていただければ幸いです。

<PROFILE>
監督・共同脚本:ジェイク・パルトロウ

1975年、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。フィクション映画『マッド・ガンズ』、『恋愛上手になるために』では監督を、ドキュメンタリー映画『デ・パルマ』ではノア・バームバックと共同監督を務めた。人気テレビドラマ『ボードウォーク・エンパイア4 欲望の街』、『ホルト・アンド・キャッチ・ファイア 制御不能な夢と野心』なども手がけている。また、ニューヨーク・タイムズ・マガジンの委託により製作したショートフィルム『The First Ones(原題)』は、エミー賞にノミネートされた。

【主な監督作品】
『6月0日 アイヒマンが処刑された日』(2022)
『デ・パルマ』(2015)
『マッド・ガンズ』(2014)
『恋愛上手になるために』(2007)

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』
9月8日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開

画像: 『6月0日 アイヒマンが処刑された日』予告(30秒) youtu.be

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』予告(30秒)

youtu.be

<STORY>
1961年。4か月に及んだナチス・ドイツの戦争犯罪人、アドルフ・アイヒマンの裁判に、死刑の判決が下された。リビアから一家でイスラエルに移民してきたダヴィッド(ノアム・オヴァディア)は、授業を中断してラジオに聞き入る先生と同級生たちを不思議そうに見つめていた。

放課後、ダヴィッドは父に連れられて町はずれの鉄工所へ向かう。ゼブコ社長(ツァヒ・グラッド)が炉の掃除ができる少年を探していたのだ。ヘブライ語が苦手な父のためにと熱心に働くダヴィッドだったが、こともあろうか社長室の飾り棚にあった金の懐中時計を盗んでしまう。それはゼブコがイスラエル独立闘争で手に入れた曰く付きの戦利品だった。

居心地の悪い学校を抜け出し、ダヴィッドは鉄工所に入り浸るようになる。左腕に囚人番号の刺青が残る板金工のヤネク(アミ・スモラチク)や技術者のエズラ、鶏型のキャンディがトレードマークのココリコなど、気さくな工員たちはダヴィドをかわいがってくれる。ゼブコも、支払いのもめ事を解決してくれたダヴィッドに一目置くようになる。そんな時、ゼブコの戦友で刑務官のハイム(ヨアブ・レビ)が設計図片手に、極秘プロジェクトを持ち込んできた。設計図はアウシュビッツで使われたトプフ商会の小型焼却炉。燃やすのはアイヒマン。工員たちに動揺が広がる——。

<STAFF&CAST>
監督:ジェイク・パルトロウ 
脚本:トム・ショヴァル、ジェイク・パルトロウ
2022年/イスラエル・アメリカ/ヘブライ語/105分/ヨーロピアン・ビスタ/カラー/原題:JUNE ZERO/日本語字幕:齋藤敦子
配給:東京テアトル
© THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP

公式サイト:https://rokugatsuzeronichi.com/index.html

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