現役パリ・オペラ座で活躍中の若きダンサーを主演女優に、加えて気鋭の振付家を、振り付けだけでなく出演させるという試みで完成させた。
その取り組みの想いやエピソードを、楽しそうに披露しながら、映画と共にダンスという愛すべき芸術について、セドリック・クラピッシュ監督が語って下さった。
長年の夢、バレエのフィクション映画が完成
1996年『猫が行方不明』で、ベルリン国際映画祭で映画批評家協会賞を受賞し、高い評価を得たセドリック・クラピッシュ監督。
その後の『家族の気分』(1996)、『パリの確率』(1999)、『PARIS パリ』(2008)など、パリを舞台に生きる人々の身上を描いて、巧みなフランス映画の担い手となった。
『スパニッシュ・アパートメント』(2002)、『ロシアン・ドールズ』(2005)『おかえり、ブルゴーニュへ』(2017)、『パリのどこかで、あなたと』(2019)など、話題作を生み出し続けるクラピッシュ監督は、いつも精力的で「饒舌」である。作品をとおして、ウイット溢れる軽妙な人生模様を映し出し、観る者を魅了してきた。
その間、一人の鑑賞者としての目線で、多種多様なダンスを愛好し続け、憧憬を募らせてきたというクラピッシュ監督。『オーレリ・デュポン 輝ける一瞬に』(2010)を皮切りに、パリ・オペラ座に関わる映像も多数手がけてきた。
そして、20年近くも温めてきたフィクションによるダンス映画を作りたいという夢を、ついに現実のものとしたのが、最新作となる『ダンサー イン Paris』なのだ。
女優に躍らせることを避け 「踊れる女優」を探し求める
主演女優には、スタントでダンスを演じる女優を避け、実際にパリ・オペラ座の舞台で活躍するダンサー、マリオ・バルボーを起用。彼女はパリ・オペラ座バレエ団での最高格のエトワールをめざす、プルミエール・ダンスーズに昇格した現役のダンサーである。同時にコンテンポラリー・ダンスの演目も得意とする人気の次世代スター・ダンサーだ。
本作の冒頭シーンから惹きつけられるのも、そんなバルボーが魅せる抜きんでたバレエの美意識である。彼女が演じる主人公エリーズが辿る、過酷な出来事をなぞるかのような悲劇の舞姫の物語「ラ・バヤデール」がめくるめく展開する。
また、監督は本作でパリ・オペラ座でのコンテンポラリー・ダンスの演目を輝かせている振付家、ホフェッシュ・シェクターを振り付け・音楽担当に起用。本人役で演じさせてもいる。
彼が生み出すコンテンポラリー・ダンスは圧倒的で、スペクタクルを感じさせるほどのシーンとなった。
また、クラピッシュお約束の、ユーモアやウイット溢れるエピソードが本作にも、多数挟み込まれ飽きさせない。
出演する俳優、ダンサーの誰もがまっすぐに演じているのも痛快だ。
エトワールをめざす、一人の若きダンサーの挫折と、それを乗り越えるための不安や畏れ、そして新しい歩みへの希望や期待を描いた作品でありながら、ダンスという芸術への大いなるリスペクトを、独創的な撮影と音楽で描き切った『ダンサー イン Paris』。
クラピッシュ監督、渾身のダンス映画は輝いている。
シーンごとの新鮮な驚きの連続が、観る者すべてに「一度は希望を失いかけるようなことがあっても、それが、きっと強さになる」と、ダンス・シーンを通じて気づかせることに成功した。
絶好調のバレエ・ダンサーの悲劇から始まる物語
クラシック・バレエの代表作「ラ・バヤデール」で主演を演じる、若きダンサーのエリーズは、仕事と恋人に恵まれた絶好調の最中にいた。
しかし、彼女の運命は急転する。演じ始めたその時に、偶然にも相手役でもある恋人が、他のダンサーと恋仲になっていることを目撃。そのショックで舞台で転倒するという不運に見舞われる。足首の捻挫は全快不可能と診断され再起も危ぶまれる。ダンサーとしての将来も恋人も、一度に失ったエリーズ。再起を家族からも疎まれながら無気力のままにブルターニュへと導かれるのだったが……。
コロナ禍でダンスへエールを贈ることが、きっかけに
──『ダンサー イン PARIS』は、唯一無二というような、驚きの連続の映画でした。
クラピッシュ監督は、かねてよりダンスがお好きで、いつかフィクションでダンスをテーマにした映画を作ろうと考えていらしたと、うかがっております。コロナ禍になって、パリ・オペラ座などでは公演が出来なくなりダンサーたちも踊れなくなった。
そんな時期に、監督はダンスは永遠であるというエールを贈る気持ちで、今回の作品を作ろうという決断をなさったと。
そして、本作の主人公エリーズが踊ることを断念しなければならない危機に見舞われ、再起不能かという最悪な事態に陥り、それをどう乗り越えていくのかという物語は、コロナ禍が見舞い、それを乗り越える今の我々の気持ちにダブってくるところもあり、リアリィティをもって迫ってきます。
そうですね。コロナ禍、コロナ危機の時にこの物語は生まれました。
いったい、いつまで続くのかという不安の中、私たちはまるで牢屋に閉じ込めらているようでした。その気持ちを今回の作品に込めています。
あの危機を乗り越え、今は街中を歩くことが出来る。止まってしまったかのように思えた人生も、また動き出すんだというメッセージに込めました。
不安も開放感も、主人公エリーズを通して表現しています。
──そうでしたか。
私の創作意欲が、コロナ過に影響され高まったことも事実です。パリ・オペラ座のダンサーたちが家に閉じ込められながらも練習を絶やさず、それを映像に撮って、私に送って下さった。
それを編集して『Dire merci(メルシーと言うこと)』という4分間の小さい作品に編集し、ユーチューブで配信していきました。
観た多くの方々がダンスを通して、「解放される」という想いを共有してくれたと思います。
ダンス映画を撮ることで深めた、驚きの発見
──本作は、ダンスのシーンがスペクタクルでゴージャスで圧倒的です。監督としても完成させた本作は、念願のダンス映画を撮りたいという気持ちを満足させるものになったのでしょうね。
いやいや、もちろん、達成感はありますが、これでやり遂げたというわけではありません。
ダンスの映画を撮ってみて多くの発見をしました。今まで以上に映画のことを深く知ることが出来たと実感させられました。
今までは、言葉で映画を構築することを中心に、映画を作ってきました。
それが、ボディ・ランゲージで映画が成り立つ、伝えたいことを語れるということを知らされたのです。
──発見ということと関係あるのかもしれませんが、ダンス映画というと、台詞の部分と踊りのシーンで構成されています。
監督はまじめに、過去の名作といわれるダンス映画について、一つ一つその分量の割合を調べたそうですね。
そうしたら、どの作品も意外に踊りの部分は三分の一だったとお知りになったとのこと。そこで、監督は踊りのシーンをたくさん撮っていたにもかかわらず、謙虚にも、本作も同じ分量にして仕上げたそうですね。
はいはい、それはともかく(笑)、謙虚ということについて言うと、この作品は私一人ではできない作品であるということが、まずあります。未知なる取り組みです。
ダンスの専門家のコレオグラファーを起用したり、そして、最たるものは主演女優となった、パリ・オペラ座のダンサー、マリオン・バルボーです。彼女は7歳の頃からダンスをはじめ、本作を撮り終えた時は27歳になっていた。
21年もの間ダンスに取り組んでいたんですよ。時間をかけて到達しないと得られない磨き上げられた技術を持っている彼女に踊ることだけではなく、演技もしてもらったのです。
このことは、女優にダンスをしてもらうのとは全く違うわけで、そこで門外漢である私は謙虚になるしかなかったですね。