ナイーブでセンシティブな問題から逃げない宮藤官九郎
──岡田将生さん、松坂桃李さん、柳楽優弥さん、安藤サクラさんとは、スペシャルドラマ「ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編」(2017)以来、6年ぶりかと思いますが、久しぶりに会ったみなさんはいかがでしたか。
出会った頃と接し方が何も変わらない。当時から売れっ子でしたが、みんな本当に謙虚。それが6年経ってもまったく変わらない。つまり表裏がないってことです。
一方で、圧倒的な自信がついていました。それはキャリアを誇る具体性ではなく、まとっている空気感。そうとしか思えないものがあるのです。いい仕事をしてきた人だけがまとうヤツです。全員、いい仕事をしてきたのでしょう。まぁそうじゃなかったら声を掛けていないのですけれどね(笑)。
──映画のタイトルにはインターナショナルという言葉が入っているので、中国にいるまりぶのところにみんなで遊びに行く話かと思っていました。
宮藤さんとの打ち合わせは軽いお喋りのような感じで進むことが多く、「中国に行こう」、「行くんだったら上海がいい」、「山岸が捕まるとか面白いかも」などと、初めのうちはいろんなことを話していました。それがあるとき、「映画だから上海に行くって、それでいいの?」という疑問が僕と宮藤さんの間で生まれたのです。
連続ドラマは坂間酒造や山路が教える教室、まりぶが中国人の奥さんと暮らす小さなアパートといった小さな半径の中で、身の回りの物語を繋ぎ合わせて作ってきました。海外に行くのは「ゆとりですがなにか」の世界観とは違います。海外ロケを捨てた段階で作り直しているところで、コロナ禍になって止まったのが真実です。
──国内の話でありながら、タイトルを受けて、身近なところでの国際化が描かれています。さらに待機児童問題、幼い子どものいる夫婦のセックスレス問題、LGBTQに関してまで、うまく取り込まれていました。脚本開発には苦労されたのではありませんか。
宮藤官九郎をなめてもらっては困ります(笑)。あの人にとってはそんなこと、簡単なんですよ。まぁ実際には苦労を見せていないだけでしょうけれどね。
2020年に予定していた撮影がコロナ禍で延期になり、2年後に向けて再スタートするにあたって脚本の見直しをしました。すると「宮藤さん、これも入れなきゃね、あれも入れなきゃね」って、気になることがいくつもぶら下がっていたのです。あの方は本当に素晴らしいから、それが全部、「ゆとりですがなにか」の世界観の中で織り込まれていきました。
宮藤さんが書いた本を考査部門や法務部門がコンプライアンス的にどうなのかといったことをチェックするのですが、そのやり取りがむしろいちばん大変だったかもしれません。コメディ映画として成立させるために必要だと我々の意図を説明しても、「加害者側にその気持ちがなくても、被害者側がそう受け止めたらダメだ」と直しを求めてくる。それを受けて、別の話にしたり、ある技を編み出したりしながら、クリアしていきました。
──山路が教え子をまとめて「同級生ABC」と言った後で、自分の発言を反省して謝りました。
それが編み出した技ですよ。言っちゃダメということがたくさん出てくるのが宮藤さんの筆なんだけれど、そのシーンの中で本人が反省したり、第三者が指摘したりして、すぐに訂正することでコンプライアンス的にクリアさせました。もちろん、そうすることで面白くならなかった場合は捨てています。かなり捨てましたよ。
映画は今、この時点だけでなく、将来に対してもリスクヘッジが必要です。法務や考査からの指摘や注意を真摯に受け止めて、本の直しに取り組みました。3カ月以上時間が掛かったと思います。でも、そういうナイーブであり、センシティブな問題を入れているからこそ、「ゆとり」ですし、そこから逃げないところが宮藤さんのすごいところですよ。
──山路のクラスでのLGBTQの描き方がとても身近に感じられました。
そこはセリフをかなり練ったシーンです。山路が「それって要するに、俺と茜ちゃんみたいな関係?」と結論を出しますが、そのセリフに落ち着くまで、宮藤さんも僕も苦しんで、何カ月も掛かりました。
とてもセンシティブな題材を入れ込むのであれば、我々のしっかりとした指針が必要です。どうしてもジェンダーのことになるとセクシャリティに意識が行きがちですが、そうではなくて、性別を超えた友情もあるということをもっともっとみなさんが受け止めてくれないかなというのがベースにあるのです。
──山路の緊急連絡先は未だに茜ちゃんでしたね。
宮藤さんの脚本は本当に品が良いんです。さりげなく伏線を張ってくれました。