稲垣吾郎
1973年12月8日生まれ。東京都出身。1991年に歌手デビューし、2017年に「新しい地図」を立ち上げる。
2019年に『半世界』で第31回東京国際映画祭観客賞、第34回高崎映画祭最優秀主演男優賞を受賞。近年の主な出演映画は『海辺の映画館─キネマの玉手箱』(2020)、『ばるぼら』(2020)、『窓辺にて』(2022)など。
舞台は「サンソン-ルイ 16 世の首を刎ねた男-」(2021・2023)、「恋のすべて」(2022)など。2023年10月6日から主演舞台「多重露光」が上演される。
岸監督の撮影スタイルは、自分の意図しない表現の良さみたいなものが出たりするのかなと。そういう発見ができたのは大きかったですね。
──本作のオファーがくる前から原作は読まれていたそうですね。
読んでいました。でも、まさか自分がこの作品に出演するとは思っていなかったので、オファーをいただいた時はすごく驚きました。
もちろん、小説を読んでいる時に“もしもこれが映像化されたらどんな感じになるだろう”とか“もしも自分が出演できるとしたらどんな役を演じられるだろう”と想像することはあるんです。
でも『正欲』に関しては映像化するのが難しいと思っていたんですよね。なのでお声がけいただいた瞬間は、寺井啓喜という役を演じられる喜びと同時に、僕にとってチャレンジングな作品になるはずだから、責任感を持って挑まなければと気合いが入りました。
──朝井リョウさん原作の作品に出演することはいかがでしたか?
朝井さんとはプライベートでお会いしたことがありますし、僕の番組にも何度かゲストで来ていただいて、以前から少し交流はあったのですが、本作についてのお話は一度もしたことがなくて。なので本作のオファーをいただいてすごくうれしかったです。
──岸善幸さんが監督を務めると知った時はどう思われましたか?
『あゝ、荒野』はとても印象的な作品でしたし、岸監督の他の作品もいくつか拝見していたので、ご一緒できると聞いた瞬間に衝動的に“参加したい”という思いに駆られたのを覚えています。そのあとすぐにお返事させていただきました。
──稲垣さんが演じた啓喜は、不登校になってしまった息子の父親で、息子さんがやりたいことに関して妻と意見が食い違い、家族間のコミュニケーションがあまりうまくいっていません。
稲垣さんはこの役をどのように捉えて演じられたのでしょうか。
僕は家庭を持ったことがないので、息子を持つ父親の気持ちを想像しつつ、お子さんがいる監督やスタッフさんの話をヒントに啓喜の役作りをしていきました。
ただ、本作は家族の話だけではなく、ごく普通の感覚を持った啓喜が、他人にはなかなか理解されない価値観で生きている人たちの存在を知ることで、少しずつ変化していく姿も描いているので、そこはすごく意識して演じるようにしていました。
──“普通とは一体なんだろうか?”と観ているこちらも考えさせられました。
啓喜は自分が正しいと思っていた価値観が、あらゆる出来事によってグラついていき、だんだん不安定になっていくので、本作を観た方にも“何が本当に正しいのか”“何が普通で何が普通じゃないのか”といったことを少しでも考えてもらえたらいいなと、そんな風に思いながら演じていたところもありました。なのでそういう感想はとても嬉しいです。
──岸監督の演出で印象に残っていることを教えていただけますか。
順撮りではなかったので、啓喜の変化について“このシーンは50%ぐらい啓喜の心が不安定になっているイメージでやってみましょうか”“このシーンでは70%ぐらい”と、シーンごとに監督と細かく調整しながら演じていました。
それから、岸監督の現場は、同じカットを6回ほどカメラ位置を変えて全方向から撮るので、どのテイクが使われるのか完成を観るまで全くわからないんです。なのでカメラの画角を意識する必要がなく、そういう環境でお芝居できたのはすごくよかったですし面白かったです。
──印象に残ったのが、息子の泰希が動画撮影に使うための風船を膨らませるように頼まれた啓喜が、なかなか膨らませられなくて諦めてしまうシーン。
ああいった細かい描写に、啓喜が動画撮影をよく思っていないという複雑な心情が表れているように感じました。
あのシーンはユーモアがありますよね。“全然膨らませられないじゃん!”ってツッコミを入れたくなる感じ(笑)。でも、ああいうことってきっとどんな家庭にもあると思うんです。子供の前ではかっこつけようとするんだけど、結局失敗してしまうお父さんっているじゃないですか。
ただ、啓喜の場合は職業が検事なので、ちょっとした鋭さを持っていて、家族に対しても少し高圧的なものの言い方をしてしまったりするんですよね。そこはキャラクター性をしっかりと出せるように意識していました。
──監督が「稲垣さんなりの狂気が垣間見える瞬間がありました」とコメントされていましたが、完成をご覧になってみていかがでしたか?
正直な話、自分のお芝居に関しては反省点がたくさんありましたが、先ほどお話ししたようにどのテイクが使われているのかわからなかったので、“このシーンの啓喜はこんな表情をしていたのか”という発見はありました。
昔、ドラマに初めて出演した時に『「カット」と言われたあとの表情がいいね』と言われたことがあって、今回の自分のお芝居を見た時にその言葉を思い出したんです。
俳優という仕事は自意識との戦いでもあるので、岸監督の撮影スタイルの方が、自分の意図しない表現の良さみたいなものが出たりするのかなと。そういう発見ができたのは大きかったですね。
──本作には、ごく普通の人である啓喜のほかに新垣結衣さん演じる販売員の桐生夏月や、夏月と似たような秘密を抱えて生きる磯村勇斗さん演じる佐々木佳道が登場します。
この二人のキャラクターが共有するとあることに衝撃を受けたのですが、稲垣さんがご覧になってきた数々の映画の中で大きな衝撃を受けた作品があれば教えていただけますか。
黒沢清監督が全編フランス語のオール外国人キャストで撮った『ダゲレオタイプの女』(2016)は衝撃的な作品でした。
世界最古の写真撮影技法である『ダゲレオタイプ』での撮影にこだわる写真家が、モデルを務める女性と恋に落ちるラブストーリーなんですけど、ホラー要素もあるし、何より画が美しくて痺れましたね。
──映像はとても美しいのですが、黒沢監督特有の計算し尽くされた照明や、不穏な空気が流れるシーンなど、すごく怖かった記憶があります。
確かに! 怖かったですよね。特殊な世界観の中で物語が展開されるので、“自分がこの中に入ったらどうなるんだろう”と思わずにはいられないというか、引き込まれました。
番組を通じて何度か監督とお話ししたことがあるのですが、まだ映像作品ではご一緒したことがないので、いつか黒沢作品に出演してみたいです。
──稲垣さんは雑誌の連載でたくさんの外国映画を紹介されていますが、ご覧になった作品の影響で行ってみたくなった国はありますか?
たくさん観ているせいか、いまパッと浮かばないですね…すみません(笑)。
単純に世界陸上の影響でブダペストに行ってみたいです。ハンガリーは訪れたことがないので、いつか旅行できたらいいなと。
あと、先日ラジオ番組で今井美樹さんとご一緒しまして、ロンドンでの暮らしのお話しをしてくださったんです。大自然の中で緑に囲まれた生活をしていると、自分が地球の一部なんだと改めて感じられると美樹さんがおっしゃって、そういうのに憧れるというか、すごく羨ましいなと思いました。
ロンドンって、僕の中では音楽や演劇といった芸術文化が根付いているイメージがあるので、そういう意味でも刺激をもらえそうですよね。長期のお休みが取れたら行きたいです。
──では最後に、本作を楽しみにしている方へメッセージをお願いします。
岸監督作品は、力強くてエモーショナルで、心をえぐられるようなタイプのものも多いですが、本作は生々しいリアルな描写とファンタジーがうまく融合されていて、不思議な魅力のある作品に仕上がっています。ぜひ劇場の大きなスクリーンでご覧いただけたら嬉しいです。
hair&make/金田順子 styling/黒澤彰乃
『正欲』2023年11月10日(金)公開
原作は「桐島、部活やめるってよ」で第22回小説すばる新人賞を受賞し、「何者」で第148回直木賞を受賞した朝井リョウによる長編小説。
主人公の寺井啓喜役を『半世界』『窓辺にて』などで高い評価を得てきた稲垣吾郎、実家暮らしで代わり映えのしない日々を繰り返している女性・桐生夏月役を新垣結衣が演じている。他キャストに磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香、山田真歩、宇野祥平、など幅広い俳優陣が集結。
『あゝ、荒野』『前科者』の岸善幸監督と、脚本家の港岳彦がタッグを組み、家庭環境や性的指向など、様々に異なる背景を持つ人たちの人生を描いている。
本作で映画主題歌を初めて担当したVaundyによる「呼吸のように」が主題歌。
寺井啓喜(稲垣吾郎)
横浜検察庁に務める検察官。小学生の息子が不登校になり、「やりたいことをやりたい」と動画配信に興味を持つが、教育方針をめぐって妻と意見が食い違ってしまう。
『正欲』
2023年11月10日(金)公開
日本/2023/配給:ビターズ・エンド
監督:岸善幸
出演:稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香、山田真歩、宇野祥平、渡辺大知、徳永えり、岩瀬亮、坂東希、山本浩司
©2021 朝井リョウ/新潮社 ©2023「正欲」製作委員会