先ごろ70歳の誕生日を迎え、同時に今年は初主演映画公開から数えて50年に当たるジャッキー・チェン。これを記念してアクション映画界の至宝の歩んできた道のりを振り返ってみましょう。(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)
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誰も見たことがない究極のアクションを次々生み出し伝説を作る

ジャッキー・チェンの最新作『ライド・オン』では、ジャッキーが元レジェンド級のスタントマン、ルオを演じているが、大スターになる以前の若きジャッキー自身もスタントマンとして活躍していた。

そんな下積みを越えてジャッキーが初主演を果たした『タイガー・プロジェクト/ドラゴンへの道 序章』(1974・日本はビデオ公開)から、今年は50周年に当たり、ジャッキー本人も日本でいうところの古希(70歳)を4月7日に迎えた。

それでも『ライド・オン』ではまだまだ衰えることないアクションの数々を披露していて、流石レジェンド、と唸らされてしまうジャッキーの輝かしい映画人生を振り返ってみよう。

7歳の頃、両親が大使館の仕事で香港からオーストラリアに移ることになり、ジャッキーは中国戯劇学院に入り、京劇や中国武術を10年以上にわたって住み込みで体得した。この時代、同じ学院で先輩サモ・ハン、後輩ユン・ピョウらと“七小福”と呼ばれる子役集団の一員として活躍。学院の閉鎖後は映画界でエキストラやスタントマンとして生活し、その頃ブルース・リーの『燃えよドラゴン』(1973)にも端役で出演している。

このブルース・リーが1973年に死去し、香港映画界では次のリーを探していて、20代になったばかりのジャッキーも新たなアクションスター候補として『少林寺木人拳』(1976)などいくつかの映画に出演したが、最初はなかなかヒット作に恵まれなかった。

そんなジャッキーに転機が訪れる。ジャッキーの明るい性格を生かしたコミカル路線のカンフー・アクション『スネーキーモンキー/蛇拳』(1978)『ドランク・モンキー/酔拳』(1978)が製作され、これが大受け。日本でも翌年公開されて、ジャッキーの名がアジア圏で知られるようになっていく。

1980年代になると当時香港で最大の映画会社だったゴールデンハーベスト社に移籍(これに関してはトラブルも発生したが)。『ヤング・マスター/師弟出馬』(1980)を監督・主演して大ヒット。一躍ブルース・リーに代わる香港のトップ・アクション・スターとなった。アジア圏にとどまらず『バトルクリーク・ブロー』(1980)『キャノンボール』(1981)で全米進出も図ったが、アメリカでのブレイクはまずはお預けに。

1984年、30代になったジャッキーは黄金時代を迎える。『プロジェクトA』(1984)『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985)と大ヒット作を連発。どちらもジャッキーの監督兼主演作で、いずれも体を張ったスーパー・アクションを連発し、観客の度胆を抜いた。これらはジャッキーの代表作となり、人気も絶頂に。

自ら行うスタント・アクションが過激すぎて『サンダーアーム/龍兄虎弟』(1986)では撮影中、頭部に大けがを負ってしまったが、その後も『サイクロンZ』(1988)『ポリス・ストーリー2/九龍の眼』(1988)『奇蹟/ミラクル』(1989)『プロジェクト・イーグル』(1991)『ポリス・ストーリー3』(1992)などで、休むことなく誰も挑戦したことのないアクションに次々挑み続け、まさに“語り継がれる伝説”を生み出していた。

念願のハリウッドでもブレイクし、世界的なスターに成長

40代になると再びジャッキーに転機が訪れた。撮影中の足首骨折も話題になった1995年の『レッド・ブロンクス』が週末興行成績ナンバーワンのヒットになり、ついに念願の全米ブレイク。ジャッキーのアクション演技が世界に通じるものだと気づいたハリウッドは、ジャッキーとクリス・タッカーのコンビで刑事アクションの1998年『ラッシュアワー』を公開して、これも大ヒットとなり、いよいよジャッキーがワールドクラスのスターとなった。

2000年代になると『シャンハイ・ヌーン』(2000)『ラッシュアワー2』(2001)『タキシード』(2002)などハリウッド主演作品が次々公開される。

もちろん、アジアを忘れたわけではなく『香港国際警察/NEW POLICE STORY』(2004)で自らの映画製作会社JCEムービーズを設立し、アジア圏および世界に向けた作品を発信していく。というのもジャッキー自身は、ハリウッドでは危険なスタント・アクションを自ら行うことができないという制約があることで、自分のスタイルを通せないことを物足りなく思っていた、と言われている。

50代になると次第にジャッキーはアジア回帰的な動きを見せるようになり、『ベスト・キッド』(2010)などハリウッド作品にも出演しながら、『新宿インシデント』(2009)など香港映画でも新境地を探り出す。

そんなジャッキーが『ライジング・ドラゴン』(2012)で「体を張った本格アクションからは引退する」と宣言した時はファンに衝撃を与えたが、その後も以前より控えめながらアクション映画出演を続けてくれている。

そして還暦を越えたジャッキーの長年の功績を認めてくれたのが米アカデミー賞。2016年には名誉賞を贈られ、「僕がこれまでキックやジャンプをして骨折しながらがんばったのは、すべて世界中のファンを喜ばせるためだよ」と挨拶し、喝采を浴びた。近年も中国映画界にも新活路を見出し、『プロジェクトV』(2020)などで新世代のアクション俳優たちを起用しながらベテラン・スターの威力を発揮している。

『ライド・オン』に続いては、『A Legend』『Panda Plan』などが撮影を終え公開待機中で、さらに現在は「ベスト・キッド」シリーズの最新作でラルフ・マッチオらと共演中。こちらは2025年5月全米公開予定で、70代もジャッキーの映画人生はまだまだ元気に続いていくことだろう。

「ジャッキー・チェン〈4K〉映画祭」開催中

画像: © 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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『ライド・オン』公開を前に、ジャッキー・チェンの大ヒット作3本を4Kの高画質で上映する「ジャッキー・チェン〈4K〉映画祭」が全国上映中。ジャッキー・アクションの神髄を大画面で体感したい。

上映作品はまず1985年製作の『香港国際警察/ポリス・ストーリー』。ジャッキーが主演のみならず監督なども兼任して、当時のアクション映画の概念を覆した傑作。急勾配のバラック集落を何台もの車が走り下るスペクタクルシーンから、二階建てバスと傘を駆使したカーアクション、デパートの最上階からポールを伝って落下する決死のスタントまで、命がけのシーンが満載で、何度見ても感嘆させられる。

続いて1988年製作の『サイクロンZ』。盟友サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウと共演したゴールデントリオ集合作品で、サモ・ハンが監督を兼任。ジャッキーと米キックボクシングの王者ベニー・ユキーデの対決も忘れがたい。

さらに1989年製作の『奇蹟/ミラクル』もジャッキーが主演・監督・脚本を兼ねた大作。巨額の製作費で1年半をかけて作られたもので、大がかりなアクションだけでなく1930年代香港を舞台にした人情ドラマも充実した、ジャッキー自身お気に入りの一作だ。

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