東日本大震災をきっかけに仕事への向き合い方が変わった
──原作は北國浩二さんの「噓」という小説ですが、プロデューサーの河野美里さんから映画化の候補作として提案があった中から、この作品を選ばれたとうかがっています。どんなところに魅かれたのでしょうか。
河野さんからこれまでもいろいろなプロジェクトを提案してもらってきましたが、北國浩二さんの「噓」は自分のパーソナルな部分に結びつく部分が多く、やってみたいと思ったのです。
例えば、原作には認知症にまつわる話がいろいろ書かれています。亡くなった祖父が認知症だったのですが、当時は社会的にあまり情報が出ていませんでした。この本を読んでいれば、祖父に対してもっと優しい対応ができたのではないかと思ったのです。また、原作は児童虐待についても描いていますが、とても気になっていたテーマで、個人的に周りの人の話を聞いたり、勉強会を開いたりしていました。
そういった2つのテーマが1つの作品に内包され、千紗子という女性の視点が進んでいくことに興味を覚えたのです。いい作品にできるのではないかと感じ、この作品をやらせてもらうことにしました。2016年くらいのことでした。
──監督は娯楽性よりも社会性のあるテーマに対する思いの方が強いのでしょうか。
自分が好んで見る映画もそういう作品が多く、撮りたいというより、そういう風になってしまうといった感じです。
きっかけは東日本大震災でした。震災直後、TVでは普通のCMではなく、ACジャパンのCMがたくさん流れました。それって「たくさんの人が亡くなったときにモノを買えというのは不適切だから流せません」ということですよね。
僕はそれまで広告やミュージックビデオといった商業性のある映像の世界で働いていました。しかし、自分が携わってきた産業は震災というモーメントにはある種のゴミと化していくモノだったんだとACジャパンのCMを見ながら思ったのです。
それから社会活動に関わるようになっていきました。この作品を選んだのは、自然の流れだったような気がします。
──脚本を監督ご自身で書いていらっしゃいます。脚本を書く上で大事にされたことはどんなことでしょうか。
日本的なものにきちんと向き合いたいと思いました。自分の中でやりたいけれどやれていなかったという意識があるのです。原作が持っている気配といいますか、「噓」というタイトルに対して秘め事なようなイメージを持っていて、隠れたところで自分を隠しながら生きているという話は舞台になった情景だけでなく、精神的にも日本的だと思ったのです。そういう湿度感を大事にしました。
──自然の風景、特に木々の緑を美しく感じましたが、そういうことを意識されていたのですね。
意識し過ぎて、いかにも自然風景を撮っていますといった感じになってしまうのは嫌でしたが、物語に必要なショットだけれど、その中に自然の風景も映っているといいなと思いながら撮っていました。
──冒頭で、孝蔵の家に向かう千紗子の車が走っているところを引きで撮っていますが、カットが変わるたびに人里離れた感が強まっていき、どんなところに向かっているのか、映像だけで伝わってきます。またエンドロールの初めはドローンで撮った映像で作品の余韻を残しつつ、自然にフェードアウトしていく感じがしました。映像作品だからこそできる表現ですね。
この作品は千紗子のパーソナルな話が描かれていますが、頭と終わりだけワイドショットと言いますか、ある種のバードビューで作品を閉じ込めようと作為的にやっていたわけではありません。風景に対する自然な行いとしてやっていました。
冒頭シーンはむしろ、もっと寄りもありかなと思っていましたが、撮っているうちにカメラを引ききった中にぽつんとある車がこれから起きることに繋がっていくと感じたのです。
僕はロケーションが好きなので、場所から物語を書くことも多いのですが、この作品では撮影の場所を探していく中で場所が持っている、何か、磁力みたいなものを感じて撮っていたような気がします。
──場所から物語を書くということは先にロケハンをされるのでしょうか。
頭の中に持っているイメージで脚本を書いて、ロケハンをしていく中で変えていくのです。