日本を含む世界37か国で発刊されベストセラーになっている、英国の小説『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』(現在は、映画と同名に改題)。発刊から時を経て映画となり、『ハロルド・フライまさかの旅立ち』というタイトルで日本でも2024年6月7日より公開される。
映画の脚本を手がけたのが原作者であるレイチェル・ジョイス。小説とは違う、映画の脚本に初めて取り組み、英国で大ヒットへと導いた。
自らの小説を映画にする時の脚本作りには、どのような工夫があったのか興味津々だ。その彼女の心境や映画制作への想いなどをうかがうことが出来た。

光を意識した映画づくりをイメージした脚色

──脚本家の方をインタビューするのはこの連載では初めてなので、とても嬉しいです。この作品を観終わって、凄い!って言うことしかなかったんです。映画としての完璧度に圧倒されて胸がいっぱいになりました。映画でしかできない表現、例えば光の具合一つにも感動させられました。
奇跡が起きたのではないかとさえ感じる場面がたくさんあって。

そういう場面が惹かれる瞬間でしょうね。重要な瞬間だと思います。脚本を書き進める中で、光というものが、映画的に考えたらすごく使えるんじゃないかと。
特に、ハロルドの心情、あるいはどんな変化が起きているのかということを表現するのに使えると考えました。彼が歩いた以上のことが、その瞬間起きているような、宇宙が関与しているような、より大きなもの、あるいは意味合いを持っているんだということを表現しているシーンが生れましたね。

──素晴らしいです。

自分で自分の原作を脚色していくわけですから、その中で思いついたシーンなのですが、そういう瞬間がハロルドだけでなく、ハロルドの旅路に触れた人々の人生で、自分にとってどういう意味を持つのかということを魅せることが出来たと自分でも思っています。

原作と同じくらいのクオリティになった稀有な映画

──そういった指示は脚本に全部お書きになったんですか?例えば路傍の草が露に濡れて風に揺れているとか、すごく細かなところが胸を打つわけですが、そういった細かいところまでも。

かなり、ディティールまで細かく書きました。たくさん何稿も書いたんですよ。それでも、映画の尺というものがあるから、長すぎるなと思ったら、そこから少しカットしていかなければいけないですね。
でも、すごく面白い部分とかを完全に取り外しても、その痕跡っていうのは残るんですよね。最初からもし、その事に触れてなければ、そもそも存在すらしないということになるんですが、一度存在したからこそ、それを次に改稿したときに、それがシナリオから無くなったとしても、残り香みたいなものが残るものなんですよね。

──凄いですね。

撮影監督が非常に優秀な女性の方で、すごく細かく書いた私の脚本を読んで、こういう瞬間も撮っておこうという姿勢や鋭い目を持っていらっしゃった。また、別のクルーも主人公のジム・ブロードベントさんの演技以外に、いろいろと映像をたくさん撮って下さったんです。
そういうものが組み合わさって出来た作品です。ですからあのように、凄く感受性豊かな美しい作品になったと思います。

──そうでしたか。原作者のジョイスさんご自身がそれだけ満足した映画が出来上がったということですね。よく言われることですが、「映画は原作を超えたか?」などということについては、いかがですか?
もちろん原作はジョイスさんがお書きになっているわけですが、今回は映画が原作を超えたと?

おっしゃるように、私が原作も書いているので答えるのは難しいけれど(笑)、この映画はとても美しい形で小説の物語を支えてくれている、そういう映画になったということをとても嬉しく思っています。
よくあることですが、確かに原作を読んで出来上がった映画を観た場合、頭の中で描いていたのと違うなとか、ちょっとがっかりするということがありますけれど、この作品は原作をしっかりと反映させていながら、映画だけを見てもしっかりと成立している。そこに真実がちゃんとあるんですよね。両方がちゃんと出来ているというのは稀有な演出だと思います。

小説に描くことを実際に知ってこそ、読者に想起させられる

──小説と映画、それぞれを別物としても楽しめるということですね。

同じ物語ですから、最終的にはストーリーとしては同じように感じるのかなぁとは思っています。ただ、映画がもたらしてくれるものの一つは、息を呑むようなビジュアル。先ほどおっしゃっていましたけれど、やっぱり物書きとしましては、例えば自然の路傍の草みたいなものを、筆致として言葉に著すのはすごく難しいことでもあります。
そこを見せられるというのが映画というもの。いくつかヒントのように示唆をして、観客がヒントに合わせて、こういうことを考えているのかなって、たどり着いてもらう形を取ることが多いと思うんです。小説でもやれることではありますけれどもね。
逆に、小説だから出来ることは、人間の思考に深く入っていけることだと思います。プライベートの人の心理に入っていけるっていうのはあると思うんですよね。

──そうですね。

もたらしてくれるものが本と映画では違うんだと思います。どちらに対してもちゃんと敬愛を持って、読んだり、観たりすることができれば、どちらにも等しく価値があると思いますね。

──原作を書いたのは10年くらい前ですかね?

12年くらい前です。

──その頃、書いている時に映像が浮かんでくる、みたいなことはあったんですか?

見えてましたね。元々自分にとって、自分が書いている場所を知るっていうことは重要なことなんです。例えばその風景を知っていると、当然ビジュアルは浮かんできますよね。
小説を書く場合、見たことがないような場所で、それが舞台になる場所でしたら、なるべく実際に見にいくようにしています。
それはなぜかというと、読者へのヒントとなるディティールとして、そこがどういう場所なのか、例えば匂いであったり、暑さの表現であったり、筆者がそういうことをクリアにしていればしているほど、読んでいただいた時に読者は想起しやすくなると思うからです。

画像: 小説に描くことを実際に知ってこそ、読者に想起させられる

素晴らしい完成度は、逆境も乗り越える女性パワーのおかげ

──なるほど、なるほど。原作が素晴らしく、脚本も素晴らしい。監督さんも、撮影監督さんも、主演のブロードベントさんも、これだけ才能のある人たちが集まっても映画ってここまでうまくいかないこともある中で、これだけまとまった完成度ってなぜ生れたのか。
へティ・マクドナルド監督も、舞台となる場所を見に行っていて、それが成功の一つの理由かもしれないとおっしゃっていますね。また、ジム・ブロードベントさんの実力で、とも。
ジョイスさんとしては、どうしてこの奇跡のような完成度が結実したと思いますか?

今回の作品は恵まれている、幸運だったと正直思っています。ちょうどパンデミックのすぐ後に撮影した作品で、非常に苦労も多かったんです。ブロードベントさんもコロナ・ウイルスに感染などすることなど一度もなくて、病気にならないで撮影することが出来たんですよ。

──それはラッキーでしたね。

ただ、5週間かけて、キャストはしなかったけれど、スタッフたちは主人公と同じように実際に旅をした。そういう過酷な撮影でもあったんです。天候のことをみんな考えていなくて、最悪な天候ばかりだったそうなんです。しょっちゅうみんな濡れていて、そんな中よく映画になったな、作れたなと思っています。

──それは大変でした。

雨が止むのを待ったりとか、光が差した瞬間を狙ったりとかした結果ではあるんですけれど、スタッフも70人くらいにどんどん増えていって……。それでも、この物語と私の書いた脚本と主役の二人に対して心に響くものがあったのでしょう。やっぱり全員に毅然とした決意があったんだと思います。この私の物語を映画として形にするために、逆境ではあっても多種多様のスキルをもたらしてくれたんですね。
曇りの時は、上手にお日さまのような光を作ったり、それも大きな照明器具とかで作るのではなく、そこに存在している光をうまく反射させたりなんかして、光を作っていたりした。
今回のクルーは女性がすごく多かったそうです。各部署のトップが全員女性で、制作チームの方々も女性が多かったですね。

──それが良い方向へと反映されたっていうことですね。女性力に脱帽ですね。
今回の映画は、ブロードベントさんが主演して日本でも人気が出た、ロジャー・ミッシェル監督『ウィークエンドはパリで』(2013)を製作した、ケヴィン・ローダーさんがプロデューサーですね。依頼があって脚本を引き受けたのですか?

そうですね。小説がありますと、やはり映画化したいということになりますから、今回はいろいろな方々からオファーというか、アプローチがありました。その中から選んだのは、一番価値観が近く、作品に対してのフィーリングも同じで、それを映画に反映させようとしている方に決めました。

30代家族の物語にも取り組んでいる

──脚本を手がけるなら監督も、という気持ちはなかったのですか?ジョイスさんは俳優のご経験もあるから、ご自身が出演するような役柄を作ってしまうことも出来たのでは?

確かに以前は演技をしていたけれど、とてもじゃないですが、出演する気はありませんでした。監督をしたいとかも思いませんでしたね。

──次回はぜひ、監督もなさってください(笑)。そもそも、こういう人生の晩年を送っている人物を主人公にして、小説をお書きになるということにこだわるのはどうしてですか?

『ハロルド』に関しては三部作になっています。家で物静かに、何もすることもなく、仕事を引退したら人生の全てが止まったかのように過ごせばいいんだと、周囲や社会から思われてきた世代に対して、何か物語を与えたい、分かち合いたいという想いがあって書いてみたんです。
本作の物語は仕事を引退して、それで全てが終わっちゃったのかと一瞬思うのだけれど、旅をしていろいろな経験をして、まだまだ自分は人に与えられるものも持っているし、もっと冒険をして、知り得たいこともあるんだって感じるようになる。そういう人物の物語です。
ただ、今書いているのは30代の家族の物語で、誰が主人公になるかで『ハロルド』とは変わっていくと思います。

──それは素晴らしい。ぜひ、その作品の脚本も監督もなさって映画にして下さい。貴重なお話しをありがとうございました。

画像: 30代家族の物語にも取り組んでいる

(インタビューを終えて)
オンラインでのインタビューであったが、レイチェル・ジョイスは愛猫と共に登場。エレガントで知性溢れる身のこなしが際立っていた。
質問についてもきっちりとお答えいただき、終始インテリジェンスを感じさせる真摯な対応に感服させられた。
お話の中でも、ご自身の小説が思う以上の映画となって世に出たことには、女性スタッフの力が大きかったという発言が印象に残る。
ジョイスを始めとする英国の女性の才能が、これからもますます際立っていくことに大きな期待が持てた。

『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』
2024年6月7日(金)より、
新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか全国公開
監督/へティ・マクドナルド 
脚本・原作/レイチェル・ジョイス『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』(亀井よし子 訳 講談社文庫)
撮影監督/ケイト・マッカラ
製作/ケヴィン・ローダー
出演/ジム・ブロードベント、ペネロープ・ウィルトンほか
原題/The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry Fry
日本語字幕/ 牧野琴子
提供/松竹、楽天
配給/松竹
後援/ブリティッシュ・カウンシル
2022年/イギリス/英語/108分/ビスタ/カラー/5.1ch
©Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022

画像: 6/7公開『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』予告【公式】 youtu.be

6/7公開『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』予告【公式】

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