槙生と朝の関係を軸にして、日々の暮らしをスケッチのように描く
──原作はヤマシタトモコさんの同名コミックですが、お読みになっていかがでしたか。
監督オファーを受ける前から一読者として知っていました。これまで会ったことがなかった叔母と姪が突然、一緒に暮らすことで、お互いのそれまでの日常や、当たり前だと思っていたことが、少しずつ変わっていくという設定にまず惹かれ、登場人物たちの悩みや葛藤も、丁寧に描かれていて、身近に感じられました。
──原作は2023年6月に完結しましたが、脚本を書かれた頃にはまだ終わっていなかったのではありませんか。
脚本を書く前に、ヤマシタさんや編集の方にお目に掛かったのですが、そのときはまだ9巻までしか出ていなくて、ラストについてうかがったところ、「終わり方は、決めずに描いているので、映画は映画として」と映画としての『違国日記』を期待してくださったのでそこは心強かったです。
そこで、映画では槙生と朝の関係を軸にして、日々の暮らしをスケッチのように描こうと思いました。その中で槙生の姉で、朝の母親である実里という、二度と会えない存在を介して、人間関係や、それまでの暮らしが浮かび上がり、最後に少し二人が見ていたものに変化が見えたらと。そして、映画が終わった後も、ふたりの生活が、この社会のどこかで続いているように感じられると良いなと思って脚本を書きました。
──脚本を執筆するときに意識されたことはありましたか。
エピソードの取捨選択は苦労しました。原作にはたくさんの魅力的な登場人物が出てきて、彼らのいろいろなエピソードが編み込まれて、重なり合って、いろいろなことが繋がっていきます。そこが私にとって魅力でした。しかし、映画なので、全てを描くことはできません。キャラクターやエピソードを選びつつも、ふたりが一緒に暮らすなかで、いろんなことを経験し、知らなかったことを知り、わからないことにぶつかっていく。原作で受けた印象は残していきたいと思いながら、そこから、世界の複雑さや広がりが見えたらと、脚本に落とし込んでいきました。言葉の扱いも、とても悩みました。原作の言葉の強さや会話の繊細さは大切にしつつ、文字で読むことと、声に出すことの違いを意識して、セリフを作っていきました。
──朝の両親の事故ですが、原作では途中でフラッシュバックのような形で入っていますが、映画では冒頭に描かれていました。
この作品を作るときに、ふたりの暮らしをスケッチのように、時系列で、現在進行形で映したいと思っていました。そこで、今回、原作にある回想シーンやモノローグは、誰かの視点や考えになってしまうので、思い切ってほとんど入れないことにしました。
その際、物語のスタートとして、ふたりの出会うきっかけの事故シーンは冒頭になりました。