激動の20世紀の中、80年にわたって暴力、戦争、貧困に耐えなければならなかったアンドレアス・エッガー。彼の人生の中にも幸福な瞬間と大きな愛があり、苦難を受け入れ、無骨に生き抜いていった。映画『ある一生』は世界40カ国以上で翻訳され、ブッカー賞最終候補にもなったローベルト・ゼーターラーの同名小説を原作とし、名もなき男の孤独な人生を描いている。メガホンを取ったハンス・シュタインビッヒラー監督に作品に対する思いや主演俳優シュテファン・ゴルスキーについて語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

この作品の世界の中でずっと生きていたい

──世界的なベストセラーである原作をお読みになって、主人公のアンドレアス・エッガーのことをどう思われましたか。

彼は恵まれた境遇ではなかったけれども、存分に生きたと思いました。人生に翻弄されて、自分の意思とは関係なく、生活の場が移り変わりますが、それぞれの場で生きていく術を身につけていきました。

そして、常に働き、何かあっても立ち上がって進みます。誰かのせいにせず、愚痴らず、淡々と生きていく。何かに抵抗することはなく、甘んじて受け入れる。それが妻の死であっても。彼には東洋思想的な部分があるように思います。

彼は学を修めた人ではありませんが、これだけ賢く悟りを開いているのは何故か。それは幼い頃に母親から十分な愛情を受け、その後も祖母から愛してもらい、マリーからも愛されたことがあるからではないでしょうか。

西洋のキリスト教的思想では信仰と愛と希望、これが人間を生かすものだと言われますが、愛してもらった経験があれば、たとえ愛がなくなっても、信仰を失くしても、希望さえあれば次に進める。エッガーは人物として本当に大きい。どこかで、「なんとかなるさ」と思っているように感じました。

画像1: “背中は主人公の人生の象徴”ー『ある一生』ハンス・シュタインビッヒラー監督インタビュー
画像2: “背中は主人公の人生の象徴”ー『ある一生』ハンス・シュタインビッヒラー監督インタビュー


──作品を撮る上で意識されたことはありましたか。

エッガーはどんどん変わっていくとか、何かに立ち向かうという人物ではありませんが、私が描きたかったのはヒーローではありませんでした。

彼の人生には劇的な出来事もありますが、彼は座って考える。行動もするけれど、思索に耽るときも多い。そして常に仕事をするなど、何かやることを見つけていく。いわゆる禅の思想に近いものがあるように思います。自分なりの何か儀式を行っているように見えなくもありません。

そんな彼が状況をどう受け止め、自然をどう見ているのか。そして自然が彼をどう見ているのか。それらを映し出すには、彼の雰囲気や歩き方をカメラでどうとらえたらいいのか。私と撮影監督のアルミン・フランゼンで話し合いました。

また、今の時代、私たちは気忙しくしていますが、原作に流れるゆったりしたリズムを映画の中で体感してもらうにはどうしたらいいかということも意識しました。

画像1: この作品の世界の中でずっと生きていたい


──冒頭で少年時代のエッガーが馬車に乗っている姿をずっと後ろから映していました。その後もエッガーが歩く姿を後ろからカメラで追うことが多かった気がします。それはお二人で話し合われたことによるのでしょうか。

私とアルミンは2人だけで東チロルの撮影地に行き、その場所に座りながら撮影の構想を練りました。そのときに、この映画で山は単なる背景ではなく、主役の1つであるという話になり、冒頭のシーンが浮かんできたのです。

このシーンは作品に入り込むための導入として、とても大事です。エッガーの顔を見せずに、背中だけを見せるというのは、彼がこれから安い労働力として使われ続けるという世の中の現実を背負っていることを暗示しています。青年になっても、ずっとそれを背負って生きていくわけです。

もう1つ大事な場面として、エッガーが青年期から老年期に替わるところ。まずは青年期のエッガーを演じる俳優が背中を見せて姿を消し、老年期のエッガーを演じる俳優が入れ替わって出てくると、20~30年が経っている。体力は落ちているけれど、エッガーはまだ働き続けている。背中はある意味、彼が背負うものと彼が働き続けているということの象徴なのです。

画像2: この作品の世界の中でずっと生きていたい


──18~47歳のエッガーを演じたシュテファン・ゴルスキーはいかがでしたか。

撮影に入る2年前からエッガーを演じる俳優を探し始めました。ポイントは映画の世界では知られていない新人であること。というのは顔を見て、「あの俳優ね」となる人は避けたかったのです。もちろん、プロデューサーはスター俳優にしたいといいました。エッガーはこの作品のすべてを背負って立ちますからね。でも、ベストセラーである原作を読んだ人は多く、みんなそれぞれにエッガー像を持っていますから、新人で顔を知られていない人の方が受け入れられやすいと思ったのです。

シュテファンは1年かけて体格の改造をした上で、撮影地となった東チロルに住み、木を切り、干し草を移動させ、牛に餌をやるといった農家の仕事、いわゆる、ここで生きていくのに必要な技能を身に付けてくれました。エッガーのように考え、エッガーのような声で話して、動作がすべてエッガーになるように、彼はほぼ2年間、エッガー役に浸りきっていました。山を歩く姿もすっかり慣れていました。

俳優は才能が10%。残りの90%は努力だと私は思っています。シュテファンはまさに何もないところから自分の努力によって、妥協せずにエッガーを作り上げてくれました。その結果、バイエルン映画祭で主演男優賞を受賞し、ほかにもオーストリアやドイツの映画祭で賞を得ました。これらは彼が自分で勝ち取った称賛です。

画像3: この作品の世界の中でずっと生きていたい


──作品が完成し、多くの方がご覧になった今のお気持ちをお聞かせください。

映画を多くの方にご覧いただき、評判もいいのでほっとしましたが、費やした4年間が本当に充実したので、次を考えるのが難しい。次の作品を撮る必要があるのかと思ってしまいます。

というのも、私の父はエッガーのように山で育ったので、父とエッガーに重なるところがあり、この作品は自分にとって特別な意味のあるものになったのです。しかも、アルプスの山々にはどこか憧れるような気持ちが常にあり、撮影を通じて地元の方々と繋がるという貴重な体験をしたので、撮影が終わっても、ここから離れたくない、この作品の世界の中でずっと生きていたいという思いでいっぱいでした。

この作品で得たもの、培ったものをベースにして、ありのままの自分を見つめることが次のテーマを探すということかもしれません。

画像4: この作品の世界の中でずっと生きていたい

<PROFILE>
ハンス・シュタインビッヒラー
1966年11月1日、スイス・ゾロトゥルン生まれ。スイス映画界の革新者と言われている。 
映画デビュー作の『ヒランクル』(03)はミュンヘンテレビ・映画大学の卒業作品でありながら、ドイツ映画賞、バイエルン映画賞など数多くの賞を受賞し、ゴールド・グライム賞では、監督賞と脚本賞をダブル受賞した。2作目の『冬の旅』(06/*ドイツ映画祭2007にて上映)は、ミュンヘン映画祭のオープニング作品として上映され、ドイツ映画賞最優秀作品賞にノミネートした他、ヨーゼフ・ビアビヒラーが主演男優賞を受賞。08年の『DIE SECOND WOMAN』でグリンメ賞監督賞、10年の『Das Blaue vom Himmel』(11)では、バイエルン映画賞最優秀作品賞をそれぞれ獲得。その後、13-15年までケルン国際映画学校で監督コースの教授職を務め、16年にはバイエルン美術アカデミーの正会員にも任命されている。16年、『アンネの日記』(*ドイツ映画祭2016にて上映)はベルリン映画祭でワールドプレミア上映、ドイツの劇場でも公開され、ドイツ監督賞メトロポリスを受賞し、主演女優のレア・ファン・アッケンはバイエルン映画賞を受賞。同年、『Eine unerhörte Frau』(16)も劇場公開され、ミュンヘン映画祭ワン・フューチャー賞を受賞。ドイツ監督賞メトロポリスにもノミネートされ、ドイツテレビ賞 2018 とグライム賞 2018 の最優秀単独フィクション賞も受賞した。19年には、実話をもとにした小説を映画化した『ハネス』(*Kino Festival 2023にて上映)を監督。20-21年には、デニス・ガンゼル監督と共同でTVドラマ「Uボート」の第3シーズンを監督している。

『ある一生』2024年7月12日(金)公開

画像: 『ある一生』予告 2024/7/12(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開 youtu.be

『ある一生』予告 2024/7/12(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

youtu.be

<STORY>
1900年頃のオーストリア・アルプス。孤児の少年アンドレアス・エッガー(イヴァン・グスタフィク)は渓谷に住む、遠い親戚クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)の農場にやってきた。しかし、農場主にとって、孤児は安価な働き手に過ぎず、虐げられた彼にとっての心の支えは老婆のアーンル(マリアンヌ・ゼーゲブレヒト)だけだった。彼女が亡くなると、成長したエッガー(シュテファン・ゴルスキー)を引き留めるものは何もなく、農場を出て、日雇い労働者として生計を立てる。その後、渓谷に電気と観光客をもたらすロープウェーの建設作業員になると、最愛の人マリー(ユリア・フランツ・リヒター)と出会い、山奥の木造小屋で充実した結婚生活を送り始める。しかし、幸せな時間は長くは続かなかった・・・。 第二次世界大戦が勃発し、エッガーも戦地に召集されたもののソ連軍の捕虜となり、何年も経ってから、ようやく谷に戻ることができた。そして、時代は過ぎ、観光客で溢れた渓谷で、人生の終焉を迎えたエッガー(アウグスト・ツィルナー)は過去の出来事がフラッシュバックし、アルプスを目の前に立ち尽くす−。

<STAFF&CAST>
監督: ハンス・シュタインビッヒラー 
原作:「ある一生」ローベルト・ゼーターラー著 、浅井晶子訳(新潮クレスト・ブックス) 
脚本: ウルリッヒ・リマー 
出演:シュテファン・ゴルスキー、アウグスト・ツィルナー、アンドレアス・ルスト、ユリア・フランツ・リヒター 
2023年/ドイツ=オーストリア映画/ドイツ語/ 115分/カラー/シネスコサイズ/原題:Ein Ganzes Leben/英題:A Whole Life/G 
配給:アット エンタテインメント 
(C)2023 EPO Film Wien/ TOBIS Filmproduktion Munchen

This article is a sponsored article by
''.