江口のりこ主演の『愛に乱暴』が8月30日に公開される。原作はこれまでに数多のベストセラー作品が映画化されてきた吉田修一の同名小説。「この原作を読んだ時に『今』映画化する意味があると強く感じた」と森ガキ侑大監督は語る。フィルムを使い、カメラが主人公を追いかけるドキュメンタリータッチの撮り方と卓抜した演出手腕で愛が孕むいびつな衝動と暴走をまとめあげた。公開を前に森ガキ監督に取材を敢行。脚本開発での苦労や演出のポイントについて話を聞いた。(取材・文/ほりきみき)

居場所のない社会が見えるところが今の時代に合っている


──監督が原作をお読みになり、今、映画化する意味があると強く感じたことが企画のきっかけとのことですが、どんなところにそれを感じたのでしょうか。

最近、生産性を求める人が多いと感じています。人間を1つの駒としか見ていないというか、効率ばかり求めて、余白のない社会になってきています。そういう数字ばかり追い求めていく社会は居場所がなくなり、みんなイライラして、お互いに当たってしまう負のスパイラルに陥っていきます。

そういう社会でいいのかなと思っているときに、この小説を読みました。不倫の話と思いがちですが、それは表面的な部分に過ぎません。桃子という1人の女性を題材にしつつ、その先にそういった居場所のない社会が見えるところが今の時代に合っていると思いました。

画像1: 居場所のない社会が見えるところが今の時代に合っている


──本作と同じく吉田修一さんが書かれた「湖の女たち」を映画化された大森立嗣監督も「生産性に抗う主人公に魅かれた」とおっしゃっていました。映画監督ってそういうことに魅かれるものなのでしょうか。

まさに一緒ですね。経済で言えば資本主義、共産主義、社会主義それぞれに良さはありますが、どれであっても思うことはあるはず。そういうところが原動力となって映画やアートは作られてきました。


──監督から原作を渡された横山プロデューサーは、「桃子と真守の夫婦の話を、真守側から自分の生活を重ね合わせて読んでいる自分がいました」とおっしゃっていますが、監督もやはり真守の側から読まれたのでしょうか。

僕は桃子の視点で読みつつ、このときの社会はどうなっているのかを常に感じていました。映画化するにあたっては登場人物たちの感情で表現するだけでなく、そのとき社会はどうなっているのかということをいつも大事にしています。それがリアリティを生むのです。


──原作は2013年に出版されました。脚本に落とし込んでいく際に“今”を意識されたのでしょうか。

日記だったものをXにするなど、現代的にチューニングしていきました。

画像2: 居場所のない社会が見えるところが今の時代に合っている


──原作はあるギミックが使われています。それは小説だからこそ成り立つギミックでしたが、映画ではそれを映画ならではの方法で表現されていて驚きました。

そこはめちゃくちゃ難しかったですね。ただ、この小説を読んでいて、いちばん面白かったのはそのギミックでしたから、そのフェイクは残したい。ではどうしたらいいか。脚本家の方とプロデューサーとかなり話し合いました。

最近はスマートフォンで自分のことを記録する人が多い。そこから脚本家の方がいろいろアイデアを出してくださり、プロデューサーも一緒にグリグリと作っては壊し、作っては壊しを繰り返して、最終的に何十稿にもなりました。


──映画は原作よりもかなりキャラクターが絞られ、主人公の桃子、桃子の夫の真守、姑の照子の3人を中心に物語が展開します。

原作は登場人物が多いのですが、映像化するにあたってラインがいくつもあると桃子、真守、照子のキャラクターが薄まり、作品として散漫になってしまう懸念がありました。17稿くらいの段階で、登場人物を少なくして、感情を強くしようという方向にシフトしていきました。

真守の父親も最初はいて、桃子に気付かせるようなことをぼそぼそっと言わせていたのですが、父親もなくしてしまった方がいいと思い切りました。その辺りはいろんな方の意見を聞いて、推敲を重ねていきました。

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