アーミル・カーン・プロダクションだから
商業映画の新たな可能性にチャレンジできた!
──物語の舞台となった2001年は監督がアシスタントディレクターを務めた『ラガーン』が公開された年ですね。
ご指摘の通り、2001年は私が映画業界でキャリアをスタートさせた記念すべき作品の公開年ではありますが、この作品はそれとは関係ありません。
その頃は携帯電話が贅沢品で、一般の人には手が出ないものでした。ですから、コミュニケーション手段といえば電話やFAXくらい。そういった状況なら、2人の女性が1週間くらい行方不明になったといわれてもリアルに信じられます。
つまり、2001年はこのストーリーを成立させるために説得力のある背景なのです。
──主人公の1人、プールは嫁ぎ先だけでなく、自分の実家の住所さえわからず、置いてきぼりだと気が付いた駅から、嫁ぎ先に行くことも実家に帰ることもできませんでした。2001年当時のインドではあり得ることなのでしょうか。
プールは教育を受けていないので、字が読めないというインドの教育格差が背景にあります。都心部と地方の違いはありますが、そもそも女性は今よりも教育の機会が少なかったのです。もちろん彼女に足止めを食わせるためのちょっとした仕掛けで、少し大袈裟にしている部分もありますが、当時の女性が意図的に情報を与えられていなかったことも反映させています。
また、当時は女性が自分の権利を主張したり、自分で選択をしたりすることができませんでした。ですから、結婚相手を自分で決めることはなく、夫となる人物に結婚式で初めて会い、ベールを被っているので実際に顔を見るのは結婚式の後ということは多くの地域で見られたことです。
──本作では女性の多様な生き方が描かれ、主人公の2人だけでなく、周りの女性たちにも変化が現れます。監督ご自身の経験が反映されている部分はありますでしょうか。
もう1人の主人公、ジャヤを通して周りの女性たちの生き方をスクリーンに映し出しました。古い風習に従って生きてきた彼女たちに対して、ジャヤは素直に自分の疑問を口にします。それによって彼女たちがジャヤに心を開くとともに、「あっ、こんな可能性もあるんだ」と気づいて、視点を変えていきます。そこは脚本開発チームでかなり意図的に考えました。
──その問いは脚本チームが実際に感じた問いだったのでしょうか。
ジャヤの問いは普遍的なもので、女性ならシンプルに日ごろから思うこと。まさに自分たちの経験でした。それをわざとらしくなく、しかも説教臭くなく、脚本にどう盛り込むか。ジャヤというキャラクターを通して、自分たちの要求をさりげなく盛り込ませました。
──別々のところにいるプールとジャヤの話が並行して描かれていましたが、演出で意識したことはありましたか。
コメディはタイミングが命。またテーマとして重くなりがちな部分をあくまで軽い感じで進めていくためにも、いわゆるジェットコースターのように話が早く展開することが必要です。
一方で、プールが駅での暮らしに少しずつ慣れていくけれど、ジャヤのパートではプールの夫であるディーパクがジリジリと焦っていくという感じも出さなくてはなりません。
そんな2人の話がシームレスな感じで自然に切り替わるためには、ペース配分が重要になります。編集ではそこにいちばん注力しました。
──監督はアシスタントディレクターとして映画業界でのキャリアをスタートさせ、プロデューサーとして、『ダンガル きっと、つよくなる』(16)、『シークレット・スーパースター』(17)など数々のヒット作を製作されてきました。監督としては2010年の『ムンバイ・ダイアリーズ』がデビュー作です。インドでは女性が監督を務めるのはまだまだ難しいのでしょうか。
私が仕事を始めた頃は、女性のプロデューサーや監督は数えるほどしかいませんでした。それから24年が経ち、その頃に比べると状況は改善しています。
ただ、インド映画と一口にいっても、インドは多言語国家なので、北インドのヒンディー語、南インドのテルグ語、タミル語、マラヤーラム語、カンナダ語などさまざまな言語で映画が作られています。そのためインド全体の映画制作本数が多く、その結果、他の国よりも映画業界で働く女性の人数が多いだけかもしれません。
しかも、クルーやキャストに比べて、監督をしている女性の数は思ったほど増えていないと思います。もちろん、私がキャリアを始めた頃に比べれば状況は改善されていますけれどね。
それでも言えるのは映画業界に入る足掛かりや方法が昔よりも多様化し、女性も入りやすくなっているということ。いわゆるストリーミングによって作品数や予算が格段に増えたので、そういった意味で女性の入り口や活躍の場は広がってきています。
──制作現場で女性だから働き辛かったご経験はありましたか。
私は幸運にもアーミル・カーン・プロダクションで仕事をしていたので、直接的に不快な思いをしたことがありませんでした。しかし、映画業界で働く多くの女性にとっては「不公平な扱いがあった」、「とても不衛生な現場であった」など、不満があって告発したいと思っても、訴える場所がはっきりしていませんでした。
それでも“女性が安全に働けるか”といったレポートなども出され、社会運動も起き、今は安全のためのガイドラインがしっかり明記されました。その中にはセクシャルハラスメントについてもきちんと書かれています。そして、それを防止するためのツールも委員会を通して設置されました。ここ4~5年の話ですが、改善されてきていると思います。
──20年以上、映画業界で仕事をされてきました。その原動力は何でしょうか。
私がここまでがんばってくることができたのは、本当に優れたクリエイター、それは脚本家であったり、技術スタッフであったりしますが、そういった方々と働く機会があったということですね。
それとともに、アーミル・カーン・プロダクションでは商業映画の新たな可能性にチャレンジすることができたからだと思います。例えば、インドでは「映画といえばスター俳優と楽曲があるのが当たり前」のように思われていましたが、少女を主役に据えた『ダンガル きっと、つよくなる』(2016年)でその既成概念を突破できたかなと思っています。
また、私のキャリアを通して感じるのは、映画はやっぱりストーリーが大事ということ。インドは本当に多様性に富んだ国ですから、ストーリーが枯渇するということがありません。どんどんインスピレーションが湧いてきます。そうやって思いついたストーリーをスクリーンに映し出したいという思いが常に私のモチベーションになっていました。
<PROFILE>
監督・プロデューサー:キラン・ラオ
1973年ハイデラバード生まれ、コルカタで育つ。父方の祖父は王族出身で、外交官を経て出版社を経営していた。伝統あるカソリック系の女子校ロレート・ハウスで学び、19歳のときに家族でムンバイに移住。同地のソフィア女子大学を卒業。その後デリーのジャミア・ミリア・イスラミア大学で修士号を得ている。
アカデミー外国語映画賞(当時)にノミネートされた2001年の大作映画『ラガーン』のアシスタントディレクター、同年ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したミーラー・ナーイル監督『モンスーン・ウェディング』のセカンドアシスタントディレクターを務め、映画業界でのキャリアをスタート。プロデューサーとして、『こちらピープリー村』(10)、『デリー・ゲリー』(11)、『ダンガル きっと、つよくなる』(16)、『シークレット・スーパースター』(17)など数々のヒット作を製作。2010年の『ムンバイ・ダイアリーズ』で監督デビュー。アーミル・カーンが主演を務める同作は、トロント国際映画祭でプレミア上映され、高い評価を受けた。
私生活では、『ラガーン』の撮影現場で出会ったアーミル・カーンと2005年に結婚。2021年に夫婦関係を解消したが、アーミルは本作の製作を務める他、共同設立した水の安全と持続可能で採算性のある農業を目指すNGO「パーニー(水)・ファウンデーション」でも共に活動を続けている。
『花嫁はどこへ?』10月4日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか全国公開
<STORY>
2001年、とあるインドの村。プールとジャヤ、結婚式を終えた2人の花嫁は同じ満員列車に乗って花婿の家に向かっていた。だが、たまたま同じ赤いベールで顔が隠れていたことから、プールの夫のディーパクが勘違いして、プールではなくジャヤを連れ帰ってしまう。
置き去りにされたプールは内気で従順。何事もディーパクに頼りきりで彼の家の住所も電話番号もわからない。そんな彼女をみて、屋台の女主人が手を差し伸べる。
一方、聡明で強情なジャヤはディーパクの家族に、なぜか夫と自分の名前を偽って告げる。果たして、2人の予想外の人生のゆくえは──?
<STAFF&CAST>
監督・プロデューサー:キラン・ラオ
原案:ビプラブ・ゴースワーミー
脚本・ダイアログ:スネーハー・デサイ
追加ダイアログ:ディヴィヤーニディ・シャルマー
プロデューサー:アーミル・カーン、ジョーティー・デーシュパーンデー
音楽:ラーム・サンパト
撮影監督:ヴィ―カス・ノゥラカー
出演:ニターンシー・ゴーエル、プラティバー・ランター、スパルシュ・シュリーワースタウ、ラヴィ・キシャン、チャヤ・カダム
2024年|インド|ヒンディー語|124分|スコープ|カラー|5.1ch|原題Laapataa Ladies|日本語字幕 福永詩乃
応援:インド大使館
配給:松竹
© Aamir Khan Films LLP 2024