街の書店は年々減少し、経済産業省が公表しているデーター(2022年)では20年前に比べて約6割減っているという。厳しい状況をどう乗り越えていくのか。『本を綴る』は篠原哲雄監督や脚本家の千勝一凜氏が全国の面白い書店や図書館を訪れ、店主や地域の方々と交流していく中で生まれた物語である。公開を前に篠原監督にインタビューを敢行。作品に対する思いや新しく立ち上げた自主レーベルについて、話を聞いた。(取材・文/ほりきみき)

哲弘が作家であることにこだわっていた矢柴俊博


──哲弘が本を書けなくなってしまった理由は「本を贈る」のときから設定されていたのでしょうか。

小説が書けない理由は今回、考えました。演じている矢柴俊博さんはドラマのときから「なぜ書けなくなったのか、ちゃんと理由をつけて演じたい」と言っていたのですけれどね。

じゃあ、何を書いたことで書けなくなったのか。千勝さんが福井県の山深い場所にある廃村を見つけてきました。そこはダム計画が持ち上がり、住民がみんな離村しましたが、ダム計画は白紙に。村は水没しなかったのですが、村民が戻る状態ではなく、廃村になりました。哲弘がその村のことを「悲哀の廃村」というタイトルで本を書き、ベストセラーになったことで文句を言ってくる人がいたという話にしました。フィクションですが、起こり得る話にしたかったのです。


──哲弘は本を書いたことで人を傷つけてしまったことを悔やんでいました。言葉を文字にすることはより多くの人に思いを伝えると同時に危険性も孕んでいますね。

よかれと思って発言したことが相手を傷つけることが多数ある世の中です。哲弘は繊細な人なので、彼自身も傷ついて小説が書けなくなったというのはあり得るのではないかと矢柴さんと話しました。でも、哲弘が書けないのはそういう理由だけではありません。

僕自身もかつては脚本を書いていましたが、いつの頃からか、脚本家のいる作品を演出するというスタンスになってしまいました。今は僕が書くよりも優秀な脚本家と話し合った上で書いてもらった方が世の中のニーズに応えられます。それでも自分で書こうと思ったら時間が掛かりますし、そもそも最初の一歩を踏み出すのは簡単ではありません。そういう点では自分は哲弘と同じだと思っています。


──矢柴さんは哲弘をどのように捉えていましたか。

矢柴くんは哲弘が作家であることにこだわっていました。前作でも哲弘は大事な局面で登場するので、セリフについても自分の思いをその都度伝えてくれ、臨機応変に脚本を変えていきました。脚本を担当した千勝さんは元々女優で、前作にもこの作品にも出演者としても現場にいたのです。そういった点ではとても風通しのいい作り方でした。


──哲弘は自分が書いた本の舞台となった村出身の人物と話をすることで、自らが抱える問題と向き合い、乗り越えていきました。哲弘の葛藤がとてもよく伝わってきましたが、どのような演出をされたのでしょうか。

矢柴さんは役を通して、いろんなことを追求しながら出していくタイプの俳優です。そのシーンも何度も芝居を繰り返していくうちに深まっていきました。何が起きるかわからない芝居だったので引き画で撮っていましたが、いい画が撮れたと思った段階で、それぞれの切り返しも撮っておくために、その芝居をもう一度やってもらいました。


──哲弘は小説が書けないことを乗り越えた後も旅を続けますね。

この作品は哲弘が作家としての問題を乗り越えるだけでなく、本のコンシェルジュとして、本屋とどう関わっていくかの話でもあります。その2つをどう追っていくか、そのバランスは編集していて難しかったですね。一時期、どっちでまとめたらいいのかに悩んで、本屋の話は切ってしまってもいいのではないかと思ったくらいです。

しかし、本屋の話を切ってしまうと、哲弘が本のコンシェルジュとして何かを実現するわけではなくなってしまいます。そこで、作家としての問題を乗り越えてから本を書き上げるまではスピーディに進め、小説だけでなく児童文学まで書くと、哲弘はある選択をして、本屋のないところに行く旅に出ることにしました。これは「本を贈る」でも言っていたことなので、前作と繋がったかなと思います。

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