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ティモシー・シャラメ(ボブ・ディラン役/兼製作)
“ボブのレガシーや芸術性、音楽はまさに「壊れていない」”

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ティモシー・シャラメ プロフィール
1995年12月27日、アメリカ・ニューヨーク生まれ。幼少期からCMに出演、TV作品の出演を経て、2014年に長編映画デビュー。2017年の『君の名前で僕を呼んで』ではアカデミー賞主演男優賞候補に。代表作に「デューン 砂の惑星」シリーズ、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』など。サフディ兄弟の兄ジョシュの監督作『Marty Supreme(原題)』が撮影済み。
──ボブ・ディランを演じると聞いたとき、どんな気持ちでしたか?
「怖さはなかったですね。当時は今のように『ボブ教会』の信者ではありませんでしたから。彼が偉大なアーティストであることは知っていましたが、彼の音楽との接点はまだなかったんです。父の友人がボブの肖像画を家の壁に飾っていましたが、当時の私がボブについて知りうるのはその程度でした。
ですが、この役に取り組むうちに、なぜ人々がボブの映画化に慎重なのかがわかりました。『壊れていないものは直すな』という言葉がありますが、ボブのレガシーや芸術性、音楽はまさに『壊れていない』んです。
今回、何年もの準備期間がありました。なので、ある時点から「仕事」という感覚ではなく有機作用のようなものとなり、私個人に大きな影響を与えるようになっていきました」
──あなたが言うような「ボブ教会」の信者になった瞬間は?
「パンデミック中だったと思いますが、それより前かな。マーティン・スコセッシ監督の『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(05)で『やせっぽちのバラッド』のライブ映像と、その実際の音源に触れたときですね。今でこそフォーク・ミュージックを聴く耳がありますが、当時はまだ慣れていませんでした。ただ、ブルージーなロックンロールには惹かれるものがあって。たぶんブルースは私たちみんなの中にあるからでしょうね。『やせっぽちのバラッド』の激しい演奏が、音楽的な観点から私を引き込んでいったんです。
2020年の夏、みんなが時間を持て余していた頃に、D・A・ペネベイカー監督の1967年のドキュメンタリー映画『ドント・ルック・バック』を観たんです。そこで彼がどれほど魅力的で、彼が安易に偽りの仮面をかぶらなかったを知り、興奮しました。本当に衝撃的で、本当に刺激的でした。『こんな人物を演じる機会があるの?すごい、最高だ!』と思ったんです」
──映画のクライマックスは、ニューポート・フォーク・フェスティバルでの出来事です。当時、ディランがエレキギターを持ち出したことで観客の反感を買ったと言われています。「ライク・ア・ローリング・ストーン」という、今では彼の代表曲のひとつとなった楽曲で幕を開けたこのシーンですが、現代の視点から見ると、なぜこれほど物議を醸したのか理解しにくい部分もありますよね。
「その通りです。それは映画の中での明確な課題の一つでした。今では普通に、あるいは、おとなしくさえ見えることが、実は当時は反抗の表現だったということを、どう現代の観客に伝えるのか。この映画はその点をうまく表現できていると思います。本当に。
でも、考える時間はかなり費やしました。先ほども言ったように、この映画が伝えようとしているのは、あの出来事が反抗の表現だったということ。自分のアートに忠実であり続けた人についてのことなんです。物を投げられたり、ステージからブーイングされたりすることになったとしても、それが重要だったということです。それがアンプの問題以上に大きな意味を持っていたんです」
──ボブ・ディラン本人に会ってみたいですか?
「ぜひ会ってみたいとも思いますし、会えたらとても光栄です。ただ、それと同じくらい、会う必要性がないとも思っています。彼の作品や芸術こそが、贈り物そのものであるからです。『タイム・アウト・オブ・マインド』やクリスマス・アルバム『クリスマス・イン・ザ・ハート』は僕の人生を彩ってくれています。私は、彼のドアをノックするような誰かにはなりたくないんです」
ティモシー来日! 寒空の下、ファンたちと熱い交流
ボブを思わせるサングラス、日本のブランド「A BATHING APE」のBABY MILOのグッズを纏って登場したティモシー。壇上には、ディランも愛したギブソンのJ-45も登場
本作のレッドカーペットイベントが2月8日(土)に開催され、ティモシーが250名超のファンの前に降臨!来日は、2023年11月の『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』のイベント以来2度目で、「前回のイベントでお会いした方もいますね。また来られて嬉しい」と再会に歓喜。写真撮影やサインなどに応じた。
日本とボブ・ディランとの関係についても語り、「1970年代に彼が日本で行ったコンサートも素晴らしく、実は彼の最高のレコードのいくつかは日本で収録されているんです」と知識の深さを感じさせる一幕も。また、「この映画に関わることは自分の使命のようにも思いました」と作品への熱意を語り、最後は「A COMPLETE UNKNOWN 観てね!」と日本語を交え呼びかけた。
(取材/編集部、photo/久保田司)