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今も愛されるセクシー・アイコンの本当の素顔に迫る最新ドキュメンタリー『マリリン・モンロー 私の愛しかた』

現在でも世代を越えてアイコン的な存在として知られるマリリン・モンロー。1962年に36歳の若さでこの世を去った彼女の多くのファンに愛されながらも、「愛される」ことを求め続けたその孤独な生涯は謎に包まれた部分も多く、魅力的だがミステリアスな人物という印象も強い。そんなモンローの生誕99年(1926年6月1日誕生)を記念して、パリ在住のイアン・エアーズ監督による彼女の最新ドキュメンタリーが日本上陸。

ハリウッドが生んだセックスシンボルとして有名だったモンローだが、現在では天才的なコメディセンスを持った女優として、またVOGUE誌で“20世紀を代表する偉大なスタイルアイコンのひとり”と評されるファッショニスタとして、さらに当時珍しく自分自身のイメージを完全にコントロールしたビジネスウーマンとして、再度脚光を浴びているところ。本作ではそうした新たな側面からモンローを分析しつつ、不遇な子供時代を経て女優として成功するまでの道のり、そしてその間も常に、自己肯定できなかった自分自身を磨き、愛情を求め続けた素顔を浮き彫りにする。さらには3度の結婚、ジョン・F・ケネディとのスキャンダル、そして今も謎が残る死の真相にまで新たな見解で踏み込んでいく。

貴重なフッテージからは一時交際していたと言われる『お熱いのがお好き』の共演者トニー・カーティス、バックダンサーとして撮影現場で彼女のパフォーマンスを見たジョージ・チャキリス、『紳士は金髪がお好き』の共演者でチャイニーズシアター前に共に手形を刻んだジェーン・ラッセルや、幼いころ一緒に育った里親の娘など近親者らの証言を散りばめ、ノーマ・ジーン(本名)から世界的スターに駆けあがり、突然この世を去ったモンローの真実に迫る。
マリリン・モンロー略年表
1926 6月1日ロサンゼルスで誕生。本名ノーマ・ジーン・モーテンセン。母グラディスはシングルマザー。祖母の隣人一家に里子に出される。
1934(8歳) 母に引き取られるが、間借り人から娘が性的虐待を受けたことを知った母が精神病院に入る。その後また知人の家や孤児院を転々とする。
1942(16歳) 近所に住む男性、ジム・ドアティと初めての結婚。
1944(18歳) 夫ジムが出兵し、工場に勤めながらモデル業を始める。
1946(20歳) 離婚のためラスベガスに移住し、大物ギャング“バグジー”シーゲルと関係を持つ。その伝手でフォックスと契約し、芸名をマリリン・モンローに。
1947(21歳) バグジーが暗殺され、フォックスとの契約も切れる。交際していた俳優トニー・カーティスに助言をもらいチャンスを探す。
1948(22歳) 演技コーチのナターシャ・ライティスと出会う。モンローを気に入った有力なエージェント、ジョニー・ハイドの尽力で『ラヴ・ハッピー』に出演。
1950(24歳) ハイドの要望で鼻を整形手術。『イヴの総て』などに出演するが、ハイドが死去し、後ろ盾をなくす。
1951(25歳) フォックスと短期契約を結ぶが“おつむの軽い美女”といった端役ばかり。
1952(26歳) 無名の頃撮影したヌード写真のカレンダーが発売されスキャンダルになりかけるが、これを逆手に取ってマスコミを味方に。大リーガー、ジョー・ディマジオと交際開始。
1953(27歳) 『ナイアガラ』『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』とヒット作が続き、一躍ハリウッドの人気スターに。
1954(28歳) ディマジオと結婚。日本に新婚旅行するが、妻の方が人気者でディマジオは不機嫌に。『七年目の浮気』の撮影も気に入らず、暴力を振るわれたためモンローは離婚を申請。
1955(29歳) 自らのプロダクションを設立し、ニューヨークの名門演技学校アクターズ・スタジオに通って演技力に磨きをかける。
1956(30歳) 劇作家アーサー・ミラーと結婚。『王子と踊り子』撮影のため夫婦で渡英し、名優ローレンス・オリヴィエと共演。
1957(31歳) 待望の妊娠が判明するが子宮外妊娠と診断され、出産に至らず。
1958(32歳) 『お熱いのがお好き』撮影中に再度流産してしまう。
1959(33歳) 『お熱いのがお好き』がヒット(翌年ゴールデングローブ賞主演女優賞受賞)するが、アルコールと薬物に依存。
1960(34歳) 『恋をしましょう』で共演のイヴ・モンタンと不倫関係になるがモンタンは妻の元へ。『荒馬と女』では理想の父親像だったクラーク・ゲーブルと共演した。
1961(35歳) ミラーとの離婚成立。薬物離脱のため一時入院する。ジョン・F・ケネディ大統領との密会が噂された。
1962(36歳) JFKのために国営放送で「ハッピー・バースデイ」を歌う。8月4日36歳で死去。睡眠薬過剰摂取による自殺と報じられる。
イアン・エアーズ監督のコメント
「私は15歳ころからマリリンに関するあらゆる本を読んできました。なのでこれまでインタビューを受けたことがない関係者が大勢いることも知っていました。今回最も大きな収穫はマリリンを養子に迎えたボレンダー家の娘ナンシーに話を聞けたことです。一家は悪者としてマスコミに書き立てられましたが、実際は家族として彼女を愛していたのです。子供時代のマリリンには確かに酷いこともありましたが、それはボレンダー家によるものではなかったのです。当時はゴシップ記者がスターのイメージを操作し、潰せる時代でした。またこの映画で描いたマリリンとマフィアの繋がりも、トニー・カーティスの(ドキュメンタリーを製作中に彼が放った)『マリリンのキャリアを始めたのも終わらせたのもマフィアだ』という言葉から信じるようになりました。彼女は敵対するケネディ家とマフィアの間で利用され板挟みになっていたのです」
『マリリン・モンロー 私の愛しかた』
2025年5月30日(金)公開
フランス/2022/2時間/配給:彩プロ
監督:イアン・エアーズ
出演:マリリン・モンロー、トニー・カーティス、ジェリー・ルイス、ジョージ・チャキリス、ジェーン・ラッセル
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