手掛けたメガヒット作品は数知れず。ハリウッドの最前線で活躍してきたプロデューサー、ジェリー・ブラッカイマーの華麗な軌跡を新作『F1®/エフワン』の公開を前に改めて振り返ります。(文・相馬学/デジタル編集・スクリーン編集部)
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CM業界から転身し70年代に映画界へ

ジェリー・ブラッカイマーの名を知らない人は多いとしても、彼が製作をした映画を観たことがないという人は、そんなにいないのでは? 少なくとも本誌の読者の方であれば、ほとんどの方が観たことがあるだろう。『ビバリーヒルズ・コップ』『トップガン』『バッドボーイズ』『パイレーツ・オブ・カリビアン』などシリーズ化されたメガヒット作は広く知られており、これらの成功によりブラッカイマーは40年以上にわたりハリウッドで大物プロデューサーの地位を築いた。

画像: 初めてプロデューサーとしてクレジットされた『さらば愛しき女よ』 Photo by FilmPublicityArchive/United Archives via Getty Images

初めてプロデューサーとしてクレジットされた『さらば愛しき女よ』
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1943年に米ミシガン州に生まれたブラッカイマーは子どもの頃から写真に興味を持ち、カメラでスナップ写真を撮り続けていた。アリゾナ大学卒業後はニューヨークでCM製作の仕事に就いて多くの賞を手にし、これをステップにして1970年代半ばにはロサンゼルスに飛び映画界に進出する。初めて手がけた作品はレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説に基づく『さらば愛しき女よ』(75)。リチャード・ギアの出世作となったクライムサスペンス『アメリカン・ジゴロ』(80)で注目されるようになる。この映画の製作時に知り合ったのが、同作を配給したパラマウントの重役ドン・シンプソン。同年齢ということもあり意気投合した彼らはプロデューサーとしてタッグを組み、ハリウッドの台風の目となっていく。

画像: ドン・シンプソンとジェリー hoto by Aaron Rapoport/Corbis/Getty Images

ドン・シンプソンとジェリー
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ドン・シンプソンとヒット連打の80〜90年代

画像: 『フラッシュダンス』 Photo by Images Press/IMAGES/Getty Images

『フラッシュダンス』
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画像: 『ビバリーヒルズ・コップ』 Photo by Paramount Pictures/Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images

『ビバリーヒルズ・コップ』

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最初に彼らが放ったビッグヒットはエイドリアン・ライン監督の『フラッシュダンス』(83)。750万ドルで製作されたこの青春ドラマは9000万ドル以上の全米興収を記録。日本でもその年の洋画では年間3位の興収を上げる大ヒットを飛ばした。続く『ビバリーヒルズ・コップ』(84)では、なんと2億3千万ドルもの全米興収を計上。この特大ヒットにより、エディ・マーフィは押しも押されぬ映画スターの地位を確立した。さらに当時24歳のトム・クルーズをトップスターに押し上げた『トップガン』(86)は全米で1億8千万ドル、日本では39億円の興行収入を記録。同作の企画は、ブラッカイマーが雑誌に載っていた海軍選抜パイロット養成機関の記事を読み、これは地球版の『スター・ウォーズ』になると考えたのが始まり。彼の嗅覚の鋭さをうかがわせるエピソードだ。

画像: 『トップガン』 Photo by Paramount Pictures/Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images

『トップガン』
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画像: シンプソンと最後のタッグ作『ザ・ロック』 Photo by Buena Vista/Getty Images

シンプソンと最後のタッグ作『ザ・ロック』
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同じトム・クルーズを主演に据えた『デイズ・オブ・サンダー』(90)を最後に、彼らはパラマウントを離れたが、コロンビアで『バッドボーイズ』(95)、ディズニーで『クリムゾン・タイド』(95)と、その後もヒット作を連打する。しかし、シンプソンのドラッグ癖に手を焼いていたブラッカイマーは、ここにきてコンビの解消を宣言。そして最後のコンビでの製作作品となった『ザ・ロック』(96)の完成を見ることなく、シンプソンは麻薬乱用による心臓麻痺で世を去る。そしてブラッカイマーは、この映画を彼に捧げる作品として完成させ、3億3千万ドル以上の世界興収を上げた。

製作に参加した主な作品 Part1

『さらば愛しき女よ』(1975)
『外人部隊フォスター少佐の栄光』(1977)
『アメリカン・ジゴロ』(1980)
『摩天楼ブルース』 (1980)
『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(1981)
『キャット・ピープル』(1982)
『病院狂時代』(1982)
『フラッシュダンス』(1983)
『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)
『トップガン』(1986)
『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987)
『デイズ・オブ・サンダー』(1990)
『サイレントナイト/こんな人質もうこりごり』(1994)
『バッドボーイズ』(1995)
『クリムゾン・タイド』(1995)
『デンジャラス・マインド/卒業の日まで』(1995)
『ザ・ロック』(1996)
『コン・エアー』(1997)
『アルマゲドン』(1998)
『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)

ブラッカイマー’s Rule スタイリッシュな映像

広告業界出身ということもあり、ブラッカイマーはCM出身の監督を好む。エイドリアン・ラインやトニー・スコット、マイケル・ベイ等々、例を挙げるとキリがない。これは30秒程度の映像で最大限のインパクトを映像に刻み付ける手腕を買ってのこと。スピード感であったり、光と影の組み合わせであったり、そのスタイリッシュな雰囲気を好むようだ。

ブラッカイマー’s Rule 映像と一体化する音楽

娯楽映画とポピュラー音楽の好相性をブラッカイマーはいち早く見抜いていた。1980年代はMTVの全盛期、すなわち音楽と映像が一体化していた時期。この時代の空気を察した彼は、『アメリカン・ジゴロ』や『フラッシュダンス』『トップガン』などなど、主題歌も全米ナンバーワンヒットになるような作品を輩出。映画と音楽の相乗効果を見せつけた。

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