映画『近畿地方のある場所について』が8月8日(金)に公開される。原作は背筋氏がWeb小説サイト・カクヨムに投稿した同名小説で、累計2300万PVを超えるヒットを記録。2023年8月に単行本化され、背筋氏がファンを公言する白石晃士監督が実写化した。公開を前にSCREEN ONLINEでは白石晃士監督、背筋氏にインタビューを敢行。作品について語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

『ノロイ』への明確なオマージュ

──映画ではオリジナルエピソードが入っています。アイデア出しには背筋さんも関わっていたのでしょうか。

監督:まず、脚本家とプロデューサーと私でアイデアをまとめたものを背筋さんにお渡しして、それをもとに打ち合わせを重ねたのですが、その中で、背筋さんが原作にこだわらず、「こうした方が良いのでは」という提案をたくさん出してくださったので、それを取り入れています。

背筋:最初に出していただいた段階で、すでにアイデアの源流のようなものができ上がっていたので、私はそれに少し茶々を入れるくらいでしたね(笑)。

──クライマックスはかなり衝撃的でした。あれは監督のアイデアでしょうか。

監督:アイデアの源泉は原作にある叙述トリックです。「主人公が抱えているものがわかって受けるショックを観客に映像で同じように感じ取ってもらうにはどうしたらいいのか」ということが根っこにあります。

そこで、「彼女にはこういう過去があり、それを基にこういう行動をしました。それによって見えてくる映像的なものがあります」といったことを突き進めてクライマックスにしました。そこを映画として見栄えがあるものにした結果、あのような映像になったのです。

──背筋さんはこのアイデアをご覧になって、どう思われましたか。

背筋:原作の叙述トリックをどうするかが大きな課題になると思っていました。監督から「そこは思い切ってなくします。その代わりに別の驚きを入れます」と言われましたが、なくなったものを補うのではなく、私が原作に叙述トリックを組み入れた意味を汲んだ上で違う形で実現していただいていたのです。映像で見せるからこそ意味のあることを真摯にやってくださったことはとてもうれしかったですし、ラストに関しては、もう“さすが”のひとことしかありません。

──映画の重要な場面で「もう全部、だめなんだよ」というセリフが出てきます。『ノロイ』(2005)の加奈のセリフを思い出したのですが、セルフオマージュ的なところもありますか。

監督:まったく同じセリフですが、オマージュというよりも、このシーンでこのキャラクターだったら何を言うかなと考えたときに、そのセリフが出てきたのです。同じだなと気がついてはいましたが、『ノロイ』が巡り巡って、この作品に辿り着いてきたんだなと思って、そのまま使いました。

背筋:「おっ!」と思いましたが、原作に「だめになってしまいました」という言葉があって、それがそもそも『ノロイ』への明確なオマージュだったのです。

監督:原作の言葉を使うことも一瞬考えたのですが、キャラクターにより合う言葉として『ノロイ』と同じセリフになりました。

画像: 『ノロイ』への明確なオマージュ

陰湿でキモイ感じを演出する上でデジタルデバイスは有用

──全体としては「怖さ」にかなり重きを置いた作品だと思います。その「怖さ」をどこまで意識されていたのでしょうか。

監督:私はフェイクドキュメンタリーをやるときに「昔の映像ですよ」といって見せる映像の画質の劣化具合やリアリティの究極を目指しています。それだけでも映像に殺気が宿るんですよ。それは映像だからこそプラスできる要素だと思います。

また、この作品では、いろんな種類の怖さを取り揃え、普段はあまり使わない、ベタな恐怖表現もあえて取り入れました。さらに、原作を読んだ方でも新鮮に感じられるように、オリジナルの展開も用意し、驚いて、怖がって、楽しんでいただけたらと思っています。

背筋:脚本段階で「怖くしてください」といった要望を私からは出していません。そんなことを言わなくても、そもそも、監督の作品は怖さが自然についてくると思っていたので、監督らしい「近畿地方のある場所について」を見てみたいという感じでした。

──この作品の根本にあるものはとてもアナログな呪いですが、それがデジタルに変換して拡散していくことを原作でも映画でも明確に描かれています。ホラーとデジタルデバイスとの関係性について、どう捉えていらっしゃいますか。

監督:恐怖の根本的な部分は時代が変化しても大きくは変わらないと思っています。ただ、時代とともにメディアが変わっていくので、人々の世界認識は変わってきます。そうなると時代に応じたリアリティを感じさせる必要があります。

特に今回はドキュメンタリーの要素が強い作品ですから、そこを無視することはできません。スマートフォンはみんなが当たり前のように持っていて、生活においてインフラと化しています。そんな “当たり前のもの”が恐怖に直結したら怖いですよね。身近さを感じ取れるリアルタイムのテクノロジーは大いに活用すべきだと思いますので、スマートフォンを取り込みました。

ただ、私自身は最新テクノロジーを完璧に使いこなしているわけではないで、その辺りは若い方に任せて、できる限り無理のない範囲でリアリティを損なわないように注意しました。

──原作でもネット掲示板など、デジタルな描写が多かったと思いますが、それは最初から意識されていたのでしょうか。

背筋:下手にスマートフォンやPCを出すと、恐怖表現としてちょっとダサくなってしまいます。だからこそ「やった」という部分があって、ある意味では“カウンター”として意識して出しました。手段を選んでいない感じが出るのではないかと思ったのです。

スマートフォンもネットもそうですが、漠然とイメージされる負の側面はストーキングや荒らしといった人間の陰湿な部分だと思います。それをあえて幽霊にやらせると生っぽくなり、陰湿でキモイ感じを演出する上でデジタルデバイスは有用な気がしました。第一話にネットへの書き込みの話を書いたのはそういう意図があったのです。「メリーさんの電話」をまだやっているの?と思いきや、逆に新しくない?みたいなところを目指しました。

画像1: 陰湿でキモイ感じを演出する上でデジタルデバイスは有用

──撮影中に怪現象があったそうですが、普段からそういったことはよくあるのでしょうか。

監督:全くないですねぇ。

背筋:私もです。

監督:この作品において起きた怪現象は、劇中に登場する、ワイドショーで放映する失踪した女の子の映像が、事前テストではちゃんと録画できていたのに、本番では真っ黒な映像しか入っていなかったということでした。当時の雰囲気を出すために、古いカメラで撮っていたので、恐らくカメラの不調です。全て撮り直すことになったという点ではとても恐ろしい出来事ではありましたけれどね。

──原作に“真っ黒な画像”のエピソードが登場します。原作が持つ何かの力が働いて、撮影現場でそれが起こってしまったということではありませんか。

監督:そうかもしれませんねぇ(笑)。

背筋:いや、そんなことはないでしょう…。

──プライベートで心霊スポットを巡ったりすることはありますか。

背筋:ありません。

監督:(きっぱりと)ないです!

心霊ドキュメンタリーを撮っていたので、撮影でたくさん訪れていますが、個人的には行きませんね。大学が九州だったので、封鎖される前の犬鳴峠には行きましたが、何も起きませんでした。

そもそも撮影する上で心霊スポットを探すことはないです。映像として見栄えがし、撮影条件が適したところがたまたま心霊スポットであることはあります。この作品にトンネルが出てきますが、そこもちょうどいいトンネルがたまたま心霊スポットだっただけです。

画像2: 陰湿でキモイ感じを演出する上でデジタルデバイスは有用

This article is a sponsored article by
''.