映画『8番出口』は、男が無限ループに迷い込むサバイバルを描いた作品である。監督は川村元気氏。主演には二宮和也を起用した。原作は、インディーゲームクリエイター・KOTAKE CREATEが制作し、累計販売本数190万本を超える販売を記録した世界的ヒットゲーム。物語を持たないこのゲームをどのように映画化したのか。主演・二宮との協働についても含め、脚本も担当した川村監督に聞いた。(取材・文/ほりきみき)

作り手の目線もある二宮和也

──ところで二宮さんを主演に迎えたのはどうしてでしょうか。

二宮くんはゲームが大好きだということが大きかったですね。先程、ゲームと映画の境界線が曖昧な映画体験を目指したと言いましたが、主人公は名前がなく、ゲームのプレイヤー的な存在です。普段からゲームをやり込んでいる人でないとその役柄の意味がわからないだろうと思ったのです。最初、主人公は非人間的というか、無個性なモブみたいなキャラクターですが、ループを重ねるうちに人間性を獲得していき、最後はすごく人間的になっています。その差が重要ですが、最初の無個性をやれる俳優はあまりいません。二宮くんならそれができるのではないかと思ったのです。しかも二宮くんは「何を考えてんだろう、この人」という得体の知れなさを醸し出すこともできる。そういうことも「この映画に映し出せたら」と思いました。

──実際、二宮さんと組んでみて、いかがでしたか。

何百周もループして撮影していましたから、“今、どこを撮っていて、どういう感情で繋がっているのか”、みんな、わからなくなっていった中で、多分、彼だけは正しく把握していました。「彼の頭の構造はどうなっているのだろう」と驚きました。

しかも、今回かなりリテイクをしています。シナリオ通りに撮って、現場ですぐに編集し、みんなで見て、うまくいっていなかったら、その日の夜にシナリオを書き直し、打ち合わせして、翌日撮り直す。無限ループ状態の撮影をしていました。二宮くんはそれに対してすごく積極的で、物語がどんどん変わっていくということを面白がっていました。彼には作り手の目線もあるのです。そこにすごく助けられましたね。

──このゲームは異変を見つけたら、すぐに引き返し、 異変が見つからなかったら、引き返さないというルールがありますが、プレイヤーを演じる上で、異変を見つけたときよりも、見つからなかった場面の方が難しい気がします。

確かに「異変あり」より「異変なし」の方が明らかに芝居は難しいと思います。ゲームをやっているときもそうですが、異変があったときは「あった!」と言って戻ればいい。しかし、異変が見当たらない時は、悪魔の証明みたいな状態になり、「本当に異変はないのだろうか?」と疑心暗鬼になります。それこそがこのゲームのいちばんの醍醐味。「何にもないのが一番怖い」ということをちょっとテーマに入れていました。

画像1: 作り手の目線もある二宮和也

──今回、二宮さんと組んでみて、改めて感じた俳優としての魅力はどのようなところでしょうか。

まずカメラとの距離感に対する勘の良さですね。今回、ゲームのようにカメラがずっと彼の後ろを追い掛けているのですが、カメラが今どこにあって、どう動いているのか、わかるんですよ。やっぱりあまたのステージをこなしてきた経験値の高さゆえなのでしょうね。本当に素晴らしいと思いました。

さらに、今回は二宮くんが作る側にきてくれたことが、とても大きかったですね。この作品の前半はほとんど彼の一人芝居で、彼がどう動くかにすべてが掛かっていました。そこに対して無限のアイデアを出してくれた。

また、二宮くんはセリフを上手に喋るというパブリックイメージがありますが、僕はむしろセリフがなくても注視させることができるという稀有な才能を持っていると思っています。『硫黄島からの手紙』(2006)で二宮くんが演じた西郷昇はひたすらに穴を掘っていましたが、ちょっと悲しげな目で宙を見ます。そのときの表情の情報量がとにかく多い。セリフがなくても西郷の挙動を見続けてしまうというのは、二宮くんだからこそでしょう。

──また二宮さんと映画を撮るとしたら、どのような役どころを演じてほしいですか。

今回と逆に、嫌なことをペラペラと喋る役がいいですね。あえて不快なことを言わせてみたいです。

画像2: 作り手の目線もある二宮和也

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