ゲームと映画の境界線が曖昧な映画体験を目指す
──初監督作『百花』の後、まったく新しいジャンルの映画を撮りたいと、いろいろな題材を探していたところ、一昨年の11月に「8番出口」というゲームに出合って一目惚れをされたと聞きました。このゲームのどのようなところに魅かれたのでしょうか。
タイル張りの整理整頓された、クリーンな地下通路。そこでループするというのは非常に日本的で美しいデザインだと思いました。一方、地下通路で迷って出られなくなる体験はどこの国でも起こり得ること。デザインは極めて日本的ですが、体験としてはグローバルであることが魅力でした。
ただ、いざ映画化で動き始めると物語がないことに気づく。加えて地下通路のワンシチュエーション。どうしよう…と途方に暮れるところから始まりました。
──普通はストーリーとキャラクターがあって美術が決まりますが、まず地下通路という美術があって、そこにキャラクターを置いて、最後にストーリーを作るという順番で作っていったと聞きました。主人公のキャラクターはどのように構築されていきましたか。
以前、任天堂の宮本茂さんと対談した際、「よいゲームとはプレイしている本人だけでなく、後ろで見ている人も楽しめるもの」とおっしゃっていました。YouTubeのゲーム実況はまさにそういう体験で。この作品ではゲームの映画化というよりも、ゲームと映画の境界線が曖昧な映画体験を観客にしてほしいと思っていました。観客はプレイヤーの気分も味わえるし、プレイヤーの二宮くんを後ろで見ていて、彼が気づいてない異変に気づく楽しさもある。二宮くん演じた名前のないキャラクターは、主人公でもありプレイヤーでもある存在を目指したのです。その上でどういう人物なのか、 どういう動きをするのかといったことを二宮くんと話しながら決めていきました。

──主人公に何か負荷があった方がいいと二宮和也さんが提案されて、喘息という設定を思い付かれたそうですね。他にも二宮さんの提案がありましたら教えてください。
主人公は当初、ループから出られなくなっていくにつれて顔色が悪くなっていくようにメイクをするはずでしたが、二宮くんから「逆にしたらどうか」と提案されました。繰り返される日常生活に疲れ果てて、人間性を失ったような青白い顔をしている人物が、ループする地下通路でのサバイバルを通して人間性を取り戻し、血色が良くなっていくという提案でした。その着眼点に驚きましたね。その方がキャラクター像として面白いと思い、採用しました。
──本作の冒頭、画面が非常に暗かったのも、そのキャラクター設定からくるものでしょうか。
日常生活で電車に乗っていると、みんなで一緒にいるはずなのに、全員スマートフォンを見ていて、お互いを気にしていません。何かトラブルが起きても気がつかないふりをします。スマートフォンに戦争や事件が映し出されても、スワイプをしてなかったことにする。ふと顔を上げたとき、「ちょっと怖いな」と感じる瞬間がありました。そうした「見て見ぬふり」が、罪悪感として心に積み重なっているように思ったのです。
突飛なゲームですが、グローバルヒットしているのは、日常生活で見て見ぬふりをすることと無関係ではないように思えて、あの表現にしました。
──黄色い「出口8」の看板が何度も映し出されますが、何かのメタファー表現なのでしょうか。
黄色い「出口8」という看板と目が合った瞬間、ループに入ります。その看板は『2001年宇宙の旅』(1968)のHAL9000のように繰り返し映し出されますが、次第に見え方が変わっていきます。やがてあの黄色い看板に人間が見透かされているような感じになり、神様のような、悪魔のような存在に見えてくるはずです。