Photo by Mike Moore/Mirrorpix/Getty Images
一気に注目を集めるも葛藤もあった90年代初頭
「本当の意味でキャリアの原点」とブラッドが語るリドリー・スコット監督作『テルマ&ルイーズ』(91年)。そう、たった10数分の出番ながら、その美貌とセクシーな肉体は一気に注目を集めた。結果、ロバート・レッドフォードが監督する『リバー・ランズ・スルー・イット』(92年)にも抜擢されたのだから。ノーマン・マクリーンの渋い小説をレッドフォードが端正に、情感豊かに描いた作品では、劇中モノローグにあるように“美術品のように完璧な美しさを持つ、ゴールデン・ボーイ”そのもの。そのルックスと作品の格調の高さが相まって、ハリウッドはブラッド・ピットを“将来の大物スター”候補として認知した。
翌年には『カリフォルニア』(93年)、『トゥルー・ロマンス』(93年)で薄汚い無精髭のジャンキーを演じてファンをびっくり(がっかり?)させたが、どちらも『リバー・ランズ〜』の公開前に撮った小規模作品。
大物スター候補となってからは大作オファーが目白押し。選んだのが、ヒットメーカーで鳴らすエドワード・ズウィック監督の『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』(94年)と、トム・クルーズと“夢の共演”を果たしたニール・ジョーダン監督作『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94年)。『レジェンド〜』は、「これでもか!」っていうほどに甘く美しい映像で、ブラッドもゴールデン・グローブ賞主演男優賞候補に。『インタビュー〜』も、ゴシック・ホラーに定評のあるジョーダン監督だけに耽美的なシーンはてんこ盛りだった。
で、お叱りを承知で極私的感想を言えば、前者はブラッドの美貌を際立たせてはいるが物語に深みと格調が足りない。後者はブラッドの白塗りメイクに馴染めない。ハリウッドが認める大物監督たちだが、ブラッドの美貌に目がくらみ(?)、それ以外の魅力&才能を活かしきれていないことが気にかかっていた。
じつは、最近の米ポッドキャスト番組のインタビューで、94年の夏を「最も不健康な時期」と振り返り、「このまま機械的なハリウッドのシステムに飲み込まれてしまうのではないか」と語っている。
一夜にしてスターとなり、ハリウッドのメカニズムに乗ったはいいけれど、心と体がついていかないと葛藤していたのだろう。
そして、そんな彼に“新しい道”を示してくれたのが、『セブン』(95年)であり、「映画というものを、いままで誰からも聞いたことのない視点で語ってくれた」デヴィッド・フィンチャー監督だったそうだ。

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“演技力”や“美貌”だけなく“興行力”も示した『セブン』
『セブン』公開当初の言葉を思い出す。
「演じるミルズ刑事は、絵空事ではなく本物の人生を感じる人間。僕はどこにでもいる男で普通の言葉を話す、弱点を持ったキャラクターを演じたいと思っていたから、ぴったりだった」。
言葉通り、どこにでもいそうな刑事ミルズが猟奇的事件を担当し、犯人が仕掛けた罠にじわじわと絡め取られていく。モーガン・フリーマン演じる知的なベテラン刑事から “冷静と思考”を学んで成長し、変化していくミルズを圧倒的な説得力で演じきり批評家も大絶賛。
『セブン』は公開4週連続で全米興行成績1位を獲得し、ブラッドは「美貌+演技力」に加え「興行力」のあることまで証明した。
同じ95年には、鬼才テリー・ギリアム監督に直談判して出演した『12モンキーズ』(95年)では精神病院の情緒不安定な患者を熱演しゴールデン・グローブ賞助演男優賞を獲得し、オスカー候補にもなっている。
ここからは、『スリーパーズ』(96年)、『デビル』(97年)など、いわゆるハリウッド大作に連続出演。が、ブラッドの“新しい道への追求”は同時進行していた。
映画への情熱を絶やさず今も切り拓く“新たな道”
まずは、その道の師匠でもあるフィンチャー監督と再タッグの『ファイト・クラブ』(99年)。男同士が1対1で殴り合う秘密の集まり=ファイト・クラブを仕切る狡猾で暴力的な男を完璧に鍛え上げたボディで怪演し、その得も言われぬカリスマ性は若い男性たちの憧れの的となった。また、次作『スナッチ』(00年)は、デビュー作『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(99年)でいきなり脚光を浴びた活きのいいガイ・リッチーの監督第2作目。前作を気に入ったブラッドが監督に自ら電話をかけて出演交渉をしたのは有名な話だ。
この頃から「新しい才能の発掘」「新しい才能とのコラボ」を熱望し、「俳優・ブラッド・ピットのセルフプロデュース」ばかりでなくひとりのプロデューサーとしての道を切り拓いていくことになる。
これまた私的な見解だけど、ここには2人の元妻の影響が少なからずあったと思う。
まずは、2002年にジェニファーと共同で設立した制作会社「PLAN Bエンターテインメント」なくして、その後のキャリアは語れない。
巨匠ウォルフガング・ペーターゼン監督との第一作『トロイ』(04年)やマーティン・スコセッシ監督に念願のオスカーを贈った『ディパーテッド』(06年)、ブラッドがヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞した『ジェシー・ジェームズの暗殺』(07年)などから、始まり、現在大ヒット中の『F1®/エフワン』(25年)まで。いわば「納得のできる作品に出演する」システムを作り上げた。同時に新しい才能の発掘にも専心し、『それでも夜は明ける』(13年)『ミナリ』(20年)などのオスカー受賞作を世に送りだし、絶大なハリウッド・パワーを手に入れた。
そして、もうひとりの元妻アンジェリーナ・ジョリーの影響もあったと思う。離婚後のジェニファーが手引き「PLAN Bエンターテインメント」のCEOになった2006年には、アンジェリーナと事実婚状態。アンジェリーは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の親善大使も努めている問題意識の高い女性。その志に大いに感化されチャリティ組織“ジョリー・ピット基金”も設立し熱心に慈善活動を行うことに。
かつては、監督同席が条件でコメント少なめだったブラッドに変化が現れたのもこの頃から。一人でインタビューの席に付き、コメントやメッセージを堂々と語るようになってびっくりしたものだ。そして、その変貌は“強い女性”アンジェリーナの影響だと、当時は感じたのだが……。
ま、2016年から始まった2人の泥沼離婚劇が、決着がついたことを思えば、良い影響ばかりではないけれど。
ともあれ、『セブン』と出会い見つけた“新しい道”を歩き始めて30年。『F1®』では、その美貌に渋みを増して、いまだチャーミングなルックスを誇り、映画への情熱をたぎらせている。「不世出のハリウッド・スターだ!」と、長年のファンは惚れ直しです。