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低予算映画の王者の元でフィルムメーカー修行を開始
ハリウッドでもっとも成功したフィルムメーカーといえばジェームズ・キャメロンだろう。30歳のとき、脚本も担当した『ターミネーター』(84)のヒットを皮切りに自身の監督作は失敗知らず。これほど注目されるフィルムメーカーはいないだろうというくらい世界中の視線を浴びる人気監督でもある。
なぜ人気者なのか? 新作が公開されるたびにボックスオフィスの記録を塗り替えるようなスーパーヒット作、つまり映画ファン以外も夢中にさせるような作品、劇場だからこそ真価を発揮する作品だけを撮っているからだ。では、なぜ失敗しないのか? それは(おそらく)自分の興味のある題材以外に手を伸ばしていないから。好きなテーマ、興味のあるジャンル、それだけを作ってきたからだろう。
ブレイク作となった『ターミネーター』
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キャメロンは1954年のカナダ生まれ。高校時代からアートとサイエンスに興味があり、SF小説とアメコミを読み漁り、もちろん映画にもどっぷり漬かっていたという。カリフォルニアに引っ越してからは高校のときにハマったダイビングの影響から海洋生物学者を志し、途中からは大好きだったSFが嵩じて物理学者を目指すようになる……と、ざっと大学時代までの趣味を追ってみると、のちに彼が手掛けた映画と重なり合っている。SF小説の影響で「ターミネーター」と「アバター」シリーズ、『エイリアン2』を手掛け、海洋物理学とスキューバダイビングが好きすぎて『アビス』や『タイタニック』を撮ったということになる。
そんなキャメロンの最初の作品はSFの短編『ジノジェネシス』。税金逃れのために映画を作りたいという歯科医グループの2万ドルを使ったモデルアニメ映画だ。ここには『エイリアン2』の最後に登場するパワーローダーを彷彿とさせるウォーキングマシンが登場している。キャメロンはこの作品をもってロジャー・コーマンのニューワールドの門を叩き見事、採用を勝ち取ることになる。これからが彼の本格的なキャリアの始まりだ。『宇宙の7人』のモデルビルダーとして雇用されたが、野心家で自信家のキャメロンはそれ以外の分野でも口を出し、監督等を飛び越えてコーマンに自作の宇宙船のスケッチを見せてしまう。これが気に入られ、すぐにゴーサインが出たというのだが、ほかのスタッフたちからはかなり嫌われたという。しかし、多くの才能を送り出しているコーマンが好むのはエネルギッシュでガッツのあるヤツ。まさにキャメロンはそうだったことになる。ちなみに『ターミネーター2』のプレミアに招かれたコーマンはキャメロンに「あなたから教わったことはすべてこの映画につぎ込みました。ただし、お金をかけて」と言われたそうだ。
イベントで“映画製作の師匠”ロジャー・コーマン(右)と再会したキャメロン
そのコーマンの元で培った経験を活かそうとしたものの、さまざまな災難に見舞われた『殺人魚フライングキラー』がキャメロンの長編監督デビュー作になるが、当人はクレジットから名前を外したかったというほどの黒歴史。あまり語りたくない作品ではある。が、それでもこのときダイビングの経験を活かして水中撮影を行い、これがのちの『アビス』で大変役立ったと言っている。たとえ失敗しても、ただでは起きないのがキャメロン流……というか、成功するフィルムメーカーは黒歴史でさえも糧にしているということだ。
長編監督デビュー作『殺人魚フライングキラー』
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