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『明日に向って撃て!』でブレイク、
サンダンス・インスティチュートを設立
1970年代を代表するハリウッドのスーパースター、ロバート・レッドフォードが9月16日、89歳で亡くなった。
2018年に出演した『さらば愛しきアウトロー』を最後に(あ、『アベンジャーズ/エンドゲーム』(19)に少し出ていた!)引退声明を出していたから、最近名前を聞く機会はなかったが、多くの映画ファンにとってレッドフォードといえば素晴らしい(イケメンの!)俳優というだけでなく、環境問題、政治に強い関心を持ち、優秀な映画を選出することで映画のレベルを高めてきたサンダンス映画祭の生みの親として知られている。
でも彼の始まりはなんといっても“イイ男”だ。その名を有名にしたのがポール・ニューマンと共演した斬新な西部劇『明日に向って撃て!』(69)だった。ジョージ・ロイ・ヒル監督作で、ポール・ニューマンが演じるユーモア・センス抜群のブッチ・キャシディと、レッドフォードの名を有名にした早撃ちの名手のサンダンス・キッドの物語。これはベトナム戦争の泥沼化時代のアメリカで生まれたニューシネマの時代が生んだ代表的1本だ。
『明日に向って撃て!』でポール・ニューマンと
『明日に向って撃て!』の大ヒットで人気が爆発したレッドフォードは出演料でユタ州のコロラド山中にある土地を購入。演じた役名をとってサンダンスと名付けた。彼はまず製作会社ワイルドウッド・エンタープライズを設立、後に映画人育成のためのサンダンス・インスティテュートが生まれた。自ら主演してこの地で撮影したワイルドウッドの第1作『白銀のレーサー』(69)は残念ながらヒットしなかった。人気スターの出演作でもヒットするとは限らない。
サンダンスでは毎年6月になると現役の映画監督が世界中から集まる映画作家志望の若者に映画作りを教えるジューン・ラボと呼ばれる集会が開催されている。そしてそれ以上に有名なのが、良質な作品の選出で知られるサンダンス映画祭がここから生まれたこと。人気監督のクエンティン・タランティーノやスティーヴン・ソダーバーグもこの映画祭から生まれた。
ユタ州ソルトレイクシティーで毎年開催されるサンダンス映画祭の創設者として現地で撮影されたスナップ
そんなことを書くとレッドフォードは相当の映画ファン、と思われそうだが、コロラド大学を中退してヨーロッパへ渡ったときの彼は画家になるつもりで13か月にわたってヨーロッパ各地を放浪していた。帰国後、芝居の背景の絵を描いているうちに演技に興味を持つようになり、俳優になったものの下積みが長かった。63年の舞台「裸足で散歩」の主演で注目され、67年の映画化版でより注目された、といっても人気者には遠かったが。この間の1958年9月に21歳のレッドフォードはアパートの隣の部屋に住んでいた17歳のローラ・ヴァン・ワーグネンと結婚した。若い2人の生活を支えたのは銀行で働くローラの給料だった。


