70年代を中心にハリウッドの誇るトップスターとして君臨し、80年代以降は監督としても一流の腕を発揮、インディペンデント映画に光を当てる映画祭を始める業績も残した偉人として知られるロバート・レッドフォードが89歳で死去しました。彼の残した唯一無二と言える偉業を振り返りながら、哀悼の意を表します。(文・渡辺祥子/デジタル編集・スクリーン編集部)
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70年代の主演映画はことごとく大ヒットし
スターの座を確立する

映画デビューは62年『戦場の追跡』(日本はTV放映)。まだ無名だったがこの時お互いに無名俳優同士で共演、親友になったのが、のちに監督になるシドニー・ポラックだった。彼が監督した『大いなる勇者』(72)、『追憶』(73)はレッドフォードの美貌と清潔感のある個性がいかされた主演作だ。レッドフォードとメリル・ストリープが共演した『愛と哀しみの果て』(85)でポラックはアカデミー監督賞を受賞した。

メリル・ストリープと共演した『愛と哀しみの果て』

66年に『逃亡地帯』に出演したころ、若手の有望株として注目されていたレッドフォードに持ち込まれたのが、のちにダスティン・ホフマン主演で大ヒットする『卒業』(67)だった。レッドフォードは、「この僕が女を知らない男に見えますか」と断ったそうだ。

『明日に向って撃て!』に出演して共演のポール・ニューマンと冗談を言い合える仲になったレッドフォードは、念願かなって同じロイ・ヒルの監督、ニューマンとの再共演が実現、『スティング』(73)が生まれた。もうこのときのレッドフォードはハリウッドを代表するトップスターだ。『華麗なるギャツビー』(74)『華麗なるヒコーキ野郎』(75)『コンドル』(75)と、どの主演作も大ヒットしている。こうしてたて続けに作られる出演作を見ていると、スターは次々と作られる映画に出演することでスターの座を確かなものにしていくのではないか、という気がしてくる。

新聞記者2人が大統領の犯罪を暴いたウォーターゲート事件を描く『大統領の陰謀』(76)に出演。原作本の校正が出た段階で映画化権を購入して製作も兼ねて主演した。この原作にはダスティン・ホフマンも注目、原作権を入手し、製作しようとしてレッドフォードに先を越され、残念ながら出演だけになったという話はよく知られている。

製作当初から携わった『大統領の陰謀』

監督作にはレッドフォードらしい
折り目正しさや真面目さを忘れていない演出が光る

『大統領の陰謀』の成功、ハリウッドのトップスターとして人気の座は揺るがない1980年、レッドフォードは長男の死でひびの入った家族を描く『普通の人々』で監督に進出した。トップスターの人気に頼らないで監督に専念。この年のアカデミー監督賞を受賞している。

監督2作目は初監督作と違った素朴な作り。村の老人一人の目にしか見えない老天使が登場する『ミラグロ/奇跡の地』(88)。若い日のレッドフォードを思い出させるブラッド・ピットが出演した『リバー・ランズ・スルー・イット』(92)。ピットとは彼がスターになっている01年に自身の監督作ではないが『スパイ・ゲーム』で共演した。有名な詩人を父に持つ若者の屈折した心情を浮かび上がらせた『クイズ・ショウ』(94)。娘の大けがで見えてくる夫婦仲の亀裂。そこに現れて妻の心を魅了する男をレッドフォード自身が演じた『モンタナの風に抱かれて』(97)。頼もしいキャディのおかげで奇跡の復活を果たすゴルフ選手の話が『バガー・ヴァンスの伝説』(00)…。

どの作品も映画で見るレッドフォード自身が思い出されるような折り目正しさや真面目さを忘れていない演出で作られ、私生活ではゴシップに縁がない。加えて自然環境や政治に関心がある、という理想のアメリカ市民像を生きている人のように見えたが、4人の子がいてそのうちの2人がすでに亡くなっている。ローラ夫人と85年に離婚、2009年にドイツ人画家シビル・ザガーズさんとの結婚が発表されている。

離婚も再婚も騒がれることなく済ませ、静かに自然体で人生を生きて89歳で亡くなった。ロバート・レッドフォードって本物のカッコイイ人だったのだろうと思う。

俳優業引退を宣言した主演作『さらば愛しきアウトロー』

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