大作『オッペンハイマー』の主演でオスカー男優となったキリアン・マーフィー。その演技力は最新作『決断するとき』でも光っている。1980年代のアイルランドを舞台にしたヒューマン・ドラマで、意外な現実に遭遇した主人公の心の揺れを寡黙な演技で見事に表現する。また、Netflixで配信中の『スティーヴ』では学校の校長役、『ピーキー・ブラインダーズ: 不滅の男』ではバーミンガムのギャングのリーダー役。新作映画での演技の魅力を探ります(注・彼はアイルランドの俳優ですが、ここでは英国枠での紹介となります)。

キリアンがほれ込んだ小説の映画化

他の人に話を持ち込まれたわけではないけれど、自分でどうしてもやりたくて役を演じる。キリアン・マーフィーにとって、『決断するとき』(2024)のビルはそんな役。

アイルランドの女性作家、クレア・キーガンの小説「ほんのささやかなこと」(早川書房刊、鴻巣友季子訳)に出会った時、彼はどうしてもこの役を演じたいと思ったそうだ。彼はこの映画の製作総指揮も務めている。

舞台は1980年代のアイルランド、クリスマスを控えた冬。ビルは平凡な石炭商人で、愛する5人の娘や妻と共に幸せな家庭を築いている。

画像: © 2024 ARTISTS EQUITY. ALL RIGHTS RESERVED. キリアンが演じるのはアイルランドの平凡な石炭商人役。妻や5人の娘たちと暮している。そんな彼に突然の変化が訪れる。

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キリアンが演じるのはアイルランドの平凡な石炭商人役。妻や5人の娘たちと暮している。そんな彼に突然の変化が訪れる。

しかし、立ち寄った修道院の隣の建物で、見知らぬ若い女性に出会い、「お願だから、私を助けてください」と言われる。その真剣なまなざしに驚きつつも、そのまま家に帰ってしまうビル。

その建物はマグダレン洗濯所。未婚で妊娠した若い女性など、世の風紀を乱していると考えられた女性たちが入れられる実在の場所だ。その女性も妊娠していることが、あとで分かる。

この映画では直接的な描写はないが、実はその施設では多くの虐待が行われていたことが後に判明している。

ビルは、その後も、建物を訪ね、何かただならぬことが、そこで起きていることを感じとり、気持ちが大きく揺れ動く…。自分はいったい、これから、どうすればいいのだろう?

画像: © 2024 ARTISTS EQUITY. ALL RIGHTS RESERVED. 未婚で妊娠した若い女性たちが送られる修道院の施設、マグダレン洗濯所でただならぬことが起きていることを察知するビル。

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未婚で妊娠した若い女性たちが送られる修道院の施設、マグダレン洗濯所でただならぬことが起きていることを察知するビル。

主人公の静かな心理の動きをセリフではなく、目の変化や体の動きだけで表現するキリアン。大げさな動きを見せる場面など、まったくないのに、それでも見る人をグイグイと映画の中にひきこんでいく。

本物の演技力がないと演じることができない役だ。その寡黙さの中に演技の醍醐味を感じさせる。作品自体も誠実な作風で、ヒューマン・ドラマとして確かな手ごたえがある。

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シングルマザーに育てられたビルの少年時代の追想も入れることで、ビルの心の動きに説得力が出ている。

シングルマザーに育てられたビルの孤独な少年時代の追想も入ることで、彼がどうしても、マグダレンを見過ごすことができないのか、その心理的な背景も伝わる。ここは原作のうまさでもある。

『28日後…』で認められ、ケン・ローチの映画にも主演

キリアン・マーフィーという俳優に初めて出会ったのは、ダニー・ボイル監督のホラー映画『28日後…』(2002)だった。世の中には凶暴化した感染者の群れがはびこっているのに、何も知らずに病院で目が覚める。そして、ロンドンのストリートを歩くと誰もいない。「ハロー」という彼の言葉が、むなしく響くだけだ。

自宅に帰りつくと両親がベッドで亡くなっている。幸せだった頃のことをふり返る主人公。外ではゾンビとのし烈な戦いが待っている。狂気すれすれの生と死の世界を生きながら、人間らしさを保とうとする主人公。繊細な青年が少しずつ大人になっていく描写に説得力があった。

画像: © 2024 ARTISTS EQUITY. ALL RIGHTS RESERVED. 『28日後…』の続編シリーズ『28年後…』では製作総指揮も担当。2作目『28年後…白骨の神殿』にはゲスト出演。

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『28日後…』の続編シリーズ『28年後…』では製作総指揮も担当。2作目『28年後…白骨の神殿』にはゲスト出演。

この映画で注目されたキリアンは、英国の巨匠、ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』(2006)でも好演を見せた。アイルランドの社会運動のために力をつくす青年医師。しかし、最後は実の兄と敵同士になり、あまりにも悲劇的な結末が訪れる。純粋すぎるがゆえに悲劇に突き進む。そんなキリアンの痛みが胸にしみた。

異色の映画として忘れがたいのが『プルートで朝食を』(2005)。舞台は1970年代。女の子みたいにお化粧をして、きれいな服を着るのが大好きなトランスジェンダーの主人公。彼の母親を探す旅をファンタジー風のテイストも入れて描いた作品で、ニール・ジョーダン監督の音楽や映像のポップなセンスが光る。

悲しい過去を背負っているはずなのに、妙に前向きで、キュートな性格の人物像。この映画では、けなげな主人公をチャーミングに演じて、ゴールデン・グローブ賞(コメディ・ミュージカル部門)の主演男優男優賞の候補にもなっている。

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クリストファー・ノーラン監督の常連男優のひとりでもある。

 その後はクリストファー・ノーラン監督の作品にも、たびたび出演。『バットマン ビギンズ』(2005)に始まり、『ダークナイト』(2008)、『インセプション』(2010)、『ダークナイト ライジング』(2012)、『ダンケルク』(2017)などに出演し、脇役ながらノーラン組の俳優となる。ただ、目立たない役が多く、もったいないな、と思っていたら、大作『オッペンハイマー』(2023)でいきなりの主役。

どちらかいうと、インディペンデント系映画の主演が多かったので、大作でのオッペンハイマー役は大抜擢。大丈夫なのか、キリアン……? 映画を見る前は、少し心配だったが、本編を見たら……キリアン、すごい! アカデミー主演男優賞まで受賞してしまった。

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繊細な心の動きを表現するのが得意な男優で、近年は大人の男優としての貫禄もでてきた。

『決断するとき』では、キリアンを支える監督と脚本家にも注目したい。監督のティム・ミーランツはベルギーの出身の新鋭監督。キリアンとは「ピーキー・ブラインダーズ」シーズン3(2016)を作り、『スティーヴ』(2025)でもタッグを組む。

画像: © 2024 ARTISTS EQUITY. ALL RIGHTS RESERVED. キリアンとコンビを組んでいるベルギー出身のティム・ミーランツ監督。

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キリアンとコンビを組んでいるベルギー出身のティム・ミーランツ監督。

脚本家のエンダ・ウォルシュはアイルランドの才人戯曲家として知られ、キリアンは彼の「バリターク」等の舞台にも立っている(ちなみに日本で白井晃の演出で上演された時は草彅剛が主演だった)。『決断するとき』はキリアンの個性を理解している人々が協力することで、彼の俳優としての特長をうまく生かした作品になっている。

今回の映画を見ていると、かつて彼が好んで出ていた英国やアイルランドのインディペンデント系の映画に戻ってきた安ど感もある。そうそう、キリアンはこういうタイプの映画は得意だったはず。ただ、かつての彼になかった大人の貫禄も、にじみ出ている。

アカデミー賞を受賞したことがマグレではなく、底力がある俳優であることが伝わってくる。

『オッペンハイマー』での共演を通じて知り合ったマット・デイモン、彼の仲間であるベン・アフレックの協力を得て作ったという点もほほえましい。キリアンの思いに理解を示した人気スターのふたりは、けっしてハリウッド風の派手な映画ではなく、静かで、じっくり見る人の心に入り込むような作品にした。

数々の葛藤を経たビルの最後の決断。そこには誰もが、どこか身につまされるような思いが込められている。本当のことが言いにくく、正義の境界線があいまいになっている今の時代。不都合な真実に触れた時、人はどんな行動を取るのか? ビルという役を通じて、そんな現代的なテーマも見えてくる。

Netflix作品、『スティーヴ』と『ピーキー・ブラインダーズ: 不滅の男』

『決断する時』と同じ監督、トム・ミーランツが撮った、もう1本のキリアンの主演作はNetflixの『スティーヴ』(日本では劇場未公開)。こちらは行き場を失って、ある特殊な学校に入っている青年たちと彼らの面倒を見る学校の教師たちとの交流が描かれる。キリアンは校長で学校の閉鎖が決まったことに衝撃を受けている。

社会からこぼれてしまった若者たちを見過ごせず、彼らをどう救えばいいのか、心が揺れ動く。主人公のそんな設定は、『決断するとき』と『スティーヴ』の共通点だ。

『スティーヴ』のキリアンは校長として生徒を守りたいと考えつつも、周囲の状況に翻弄され、その心は壊れていく……。

テレビ局が学校に撮影に来ているという設定なので、そのカメラごしの映像を通じて、人物たちの心理が現実進行形であぶりだされる。

画像: Netflix映画『スティーヴ』独占配信中 キリアンは世間から落ちこぼれてしまった青年たちの受け皿となる学校の校長を演じる。

Netflix映画『スティーヴ』独占配信中
キリアンは世間から落ちこぼれてしまった青年たちの受け皿となる学校の校長を演じる。

原作と脚本はベネディクト・カンバーバッチ主演の『フェザーズ その家に巣食うもの』(2025)の原作者として高い評価を得ているマックス・ポッター。キリアンはこの『フェザーズ』の舞台版にも主演している。こちらは妻を失い、ふたりの幼い息子をかかえ、心理的に壊れていく父親の役。彼の喪失と再生を描いたユニークな作品だ。

画像: Netflix映画『ピーキー・ブラインダーズ: 不滅の男』3月20日より独占配信開始

Netflix映画『ピーキー・ブラインダーズ: 不滅の男』3月20日より独占配信開始

Netflixでのキリアンの新作には『ピーキー・ブラインダーズ: 不滅の男』もあり、2026年3月20日より配信開始。シーズン6まで作られた人気シリーズの劇場版で、キリアンの当たり役のひとつでもある冷静なバーミンガムのギャング、トム・シェルビー役を再び演じている。

新作が続いているキリアン・マーフィーだが、『オッペンハイマー』でのオスカー受賞という華やかな話題とは関係なく、あくまでもマイペースを貫いていて、自分が納得できる作品を選んでいるところが彼らしい。

出世作『28日後…』の続編シリーズ『28年後…』でも製作総指揮を務めるキリアン。その2作目『28年後…白骨の神殿』(2026)にはゲスト出演。ここでも『決断するとき』同様、娘の父親役だった。お父さん役もすっかり板についてきたキリアンの主演で、ぜひ、シリーズ3作目も実現してほしい。

画像: Netflix作品、『スティーヴ』と『ピーキー・ブラインダーズ: 不滅の男』

『決断するとき』
3.20(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開
監督 ティム・ミーランツ 脚本 エンダ・ウォルシュ 原作 クレア・キーガン「ほんのささやかなこと」(早川書房刊、鴻巣友季子訳) 製作 マット・デイモン、キリアン・マーフィー他 製作総指揮 ベン・アフレック、マイケル・ジョー他
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ワトソン、アイリーン・ウォルシュ、ミシェル・フェアリー、クレア・ダン
2024年/アイルランド/98分/英語/配給 アンプラグド 
原題:Small Things Like These
© 2024 ARTISTS EQUITY. ALL RIGHTS RESERVED.

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