愛する妻に先立たれた夫の悲しみ
どんな俳優も年を重ねると親の役を演じるようになるが、今年、50歳を迎える人気男優のベネディクト・カンバーバッチは、父親役がすっかり板についてきた。
新作映画『フェザーズ その家に巣食うもの』(2025)で演じているのは、妻に突然、先立たれた夫の役。彼にはふたりの幼い息子たちが残されている。
彼はふたりを学校の送り出すため、朝食の準備を進めるが、うまく作ることができない。あせればあせるほど、失敗の連続でイライラがつのる。その不器用なパパぶり!

コミック・アーティストの主人公は黒いクロウが主人公の新作を描いている。
©THE THING WITH FEATHERS LTD/THE BRITISH FILM INSTITUTE/CHANNEL FOUR TELEVISION
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仕事はコミック・アーティストで、いまは黒いクロウが出てくる本を作ろうとしている。精神が不安定な彼は、次第に自分が描き出した黒い世界へと没入していく。
彼の分身とも思えるクロウが、失意をかかえた彼の前に現れ、きびしい言葉を投げかけることもある。このクロウの描写はどこかホラー風で、カンバーバッチは黒の世界に染まっていく。
クロウの声を演じるのは、『ハリー・ポッター』シリーズに出演のデイヴィッド・シューリスで、不気味な話し方にはインパクトがある。

自身が作り上げた黒いクロウの世界に主人公は次第にのめり込んでいく。
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かつてカンバーバッチは『スタートレック イントゥ・ダークネス』(2013)では黒いコスチュームを着た悪役を演じていた。黒とカンバーバッチは相性がいいのだろうか。
目の前にいるクロウは現実なのか、幻なのか、だんだん、区別がつかなくなる。
ただ、見ているうちにそれは内面の深い悲しみが形を変えて現れた生き物であることが分かってくる。
突然、訪れた愛する人との別れ。そんな時、人はどんな気持ちになり、どう悲しみと対峙し、乗り越えていくのか。ホラー的な不気味さの向こう側に主人公の深い痛みが見えてくる。
ほぼ出ずっぱりのカンバーバッチは圧巻の演技力を見せている。
キリアン・マーフィーで舞台化もされた小説の映画化
原作は英国で高い評価を受けている新鋭作家の小説『悲しみは羽根をまとって』(早川書房刊)で、この小説はディラン・トマス賞も受賞。タイトルはアメリカの詩人、エミリー・ディキンソンの詩「希望には羽がある」を引用したもの。
また、劇中に出てくる不気味なクロウのイメージは、英国の桂冠詩人、テッド・ヒューズの詩「クロウ」から取られたものだ(蛇足ながらかつて映画『シルヴィア』でテッド・ヒューズを演じていたのは、ボンド役を演じる前のダニエル・クレイグだった)。

喪失感を抱えた父親の悲しみと混乱がシュールなクロウの映像もまじえながら幻想的に描かれていく。クロウの声は『ハリー・ポッター』シリーズのデイヴィッド・シューリス。
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このマックス・ポッターの原作は実は映画より先に舞台化もされていて、そこで父親役を演じたのは、キリアン・マーフィーだ。この舞台で彼はアイリッシュ・タイムズ演劇賞も受賞している。
キリアンは最新作『決断するとき』(2024)では娘たちを持つ父親役を演じていたが、ふたりの息子の父親を演じたこの舞台では、どんな演技を見せていたのだろう。キリアンにも似合いそうな役に思える(ちなみにキリアンのNetflix作品『スティーブ』(2025)の原作・脚本を手がけたのも、今回の映画の原作者のポッターだ)。
カンバーバッチの場合は、この映画で劇映画デビューを飾った監督、ディラン・サザーンの才能に惚れこんで製作まで兼任している。
サザーンはブラーのドキュメンタリー『ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン~ア・フィルム・アバウト・ブラー~』(2010)ではグラミー賞にもノミネートされた新鋭監督だ。
プレスに掲載された監督の発言によると「イギリスのある年齢の男性が向き合うことのなかった感情」に原作が光をあてている点に興味を持ったという。
彼は友人たちを失った時、深い喪失感を感じたものの、それをずっと引きずっていて、この原作本に遭遇することで、やっと心が解き放たれたという。

幼い息子たちと海に出かける主人公。子供たちもそんな彼に寄り添う。
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この視点はカンバーバッチも共有していて、「いつの時代も重要な内容の映画だと思います。(中略)男性の危うさと、彼が悲嘆や喪失にどう向き合うのかを描いているからです」とオフィシャルのインタビューで答えている。
彼がオスカー候補になった『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021)は、有害な男らしさをテーマにしていて、それが崩れていく様子を描いていたが、今回は男性の悲しみとの向き合い方に注目したようだ。男性が危機に瀕した時の深層心理を演じることに、近年は興味があるのだろうか。
Netflix『エリック』でも、さまよえる父親役
同じようにNetflix作品の主演作『エリック』(2024、6話完結のシリーズ)でも悩める父親が主人公である。舞台は1980年代のニューヨーク。ある日、学校に行ったはずの息子が戻ってこなくなる。そこで自身で彼の捜索を始める。やがて他の少年たちの他の失踪事件もからみ、事態は思わぬ方向にころがっていく。
主人公はもともとは資産家の息子だが、父親とは折り合いが悪く、今はテレビの人気番組のパペット創作と声優の両方を担当している。その番組にも制作をめぐって問題が起きてしまう。

Netflixシリーズ「エリック」独占配信中
80年代のニューヨークが舞台。失踪した息子を探し出そうとする父親役をカンバーバッチが演じる。
家庭では失踪した息子をめぐり、夫婦関係が険悪となっている。主人公は八方ふさがりの状態だ。
そんな時、彼は失踪前に息子が描いたモンスター、エリックのイラストをもとに新しい人形を作る。やがて、その不思議なモンスターは主人公に話しかけるようになる。
それは現実なのか、妄想なのか、その境界線はあいまいだ。
『フェザーズ その家に巣食うもの』は英国が舞台だが、こちらはアメリカのニューヨークが舞台。風景の感触は違うが、主人公が奇妙な生き物と共存しているところは両者の共通点だ。

Netflixシリーズ「エリック」独占配信中
エリックは息子のスケッチから生まれたパペット。主人公の前に現われ、彼に同行する。
また、不安定な精神状態の父親が、幼い息子との絆を取り戻そうと必死になっている点も似ている。
カンバーバッチは今、こういう悩める父親像に興味があるのだろうか。カンバーバッチ自身はストイックなイメージもある俳優だが、そんな彼が情けない弱さもさらけ出すことでヒューマンな人物像を作り上げていく。
TVシリーズ『SHERLOCK/シャーロック』(10~)で世界的な人気を得た後、彼はさまざまな作品に主演してきた。初のオスカー候補作『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(14)や2度目のオスカー候補作『パワー・オブ・ザ・ドッグ』などでも、人間の複雑な深層心理を見せていた。
この新作映画やNetflix作品での陰影のある父親像を経て、さらなる進化にも期待したくなる。

『フェザーズ その家に巣食うもの』全国の劇場で公開中
監督・脚本 ディラン・サザーン
原作 マックス・ポッター『悲しみは羽根をまとって』(早川書房刊)
主演 ベネディクト・カンバーバッチ、リチャード・ボザール、ヘンリー・ボザール、ヴィネット・ロビンソン
2025年/イギリス/英語/98分/原題:The Things with Feathers/提供:スター・キャット
配給:スターキャットアルバトロス・フィルム
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![画像: File.17 キリアン・マーフィーが見せる底力 『決断するとき』とNetflix作品 [連載:大森さわこの”英国・映画人File] - SCREEN ONLINE(スクリーンオンライン)](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782943/rc/2026/04/09/081dcea94712b8f655ff94b8dc4e5396af13195f.jpg)