若くして「ステージIVの大腸がん」を宣告され、亡くなる10日前まで自身の人生を綴り続けた遠藤和さんの同名手記を映画化した『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』。病気と向き合いながら、愛する人とともに生きること、未来に命をつなぐことを懸命に選び取っていく和を川口春奈が演じ、夫の将一を高杉真宙が演じる。監督を務めたのは山戸結希。実在する二人の人生を前に、事実を再現するだけではなく、その根底にある「愛」や「精神性」をどう映画として刻んだのか──。長回しなどの演出を通して、一人の女性が生き抜いた証をスクリーンに刻んだ山戸監督に、本作に込めた思いと撮影の舞台裏を聞いた。(取材・文/ほりきみき)

和さんの「自分の人生を自分で決断する」強さに惹かれて

──遠藤和さんの手記を初めて読んだとき、監督が最も強く心を動かされたのは、どんな部分でしたか。

自分自身の人生を自分で決断する、その手綱を手放さない、和さんの意志の強さに最も惹かれました。

「抗がん剤治療を停止してまで子どもを目指すべきなのか」という問い自体、いざ当事者となった際に、揺れ動く人生の中で、教科書的な答えは存在しないのだと思います。一つひとつの代替不可能なケースがあり、一概に答えの出せない問いに対して、自分自身の身をもって、身命を投じて、人生をかけて、自分にしかできない代え難い選択をされたことに、大きな敬意を抱きました。

その決断への希求を軸に、映像を構成できたなら、人生を力強く前向きに生きる力を、映画を通して多くの方と分け合えるのではないか。最初に手記を読ませていただいたとき、そんな広がりのイメージを抱きました。

──和さんと将一さんをどのように描こうとされたのでしょうか。

がんという個別の切実な状況がありながらも、原作には和さんと将一さんの人間らしく魅力的な姿が無数に描かれていました。

「がん」という病気は、その人の人生に、後からついてくる要素の一つに過ぎません。目の前にいる大切な人は、決して、単なる「がんの闘病者」なのではなく、どこまでも記憶が積み重なった、一人の人間としての「和さん」であり「将一さん」です。その真実が、最後まで揺るがない軸として存在していました。

医療的な描写や症状についても、事実に則って、医療監修してくださった皆さまと、大切に描かせていただきながら、しかし主役は病ではなく人間であり、そこには誰しもが自分の心を重ね合わせられる、想像の許された事柄の結実であるべきだろうと。

特別な二人の物語であると同時に、本質的には、その中心に人として想い合う心がある、普遍的な愛についての物語なのだと考え、心を込めて映画化に取り組みました。

画像: 和さんの「自分の人生を自分で決断する」強さに惹かれて

──実在する方の人生を映画化するにあたり、「事実の再現」と「映画的な表現」のバランスをどののようにされましたか。

この社会で、確たるものとして存在しているとされている客観的な事実でさえも、その出来事を経てからの時間や、関わった人たちの関係性などによって、基本的に変容してゆくところがあります。ですから、正確な情報として再現するということ自体、映画であっても、文章であっても、それがドキュメンタリーだとしても──元来的に、どんな表現媒体においても、限界が伴う行為なのかもしれません。

他方、人が人を精神的に求め、支え合いたいという願いは、誰しもの中にあり、私たちが人間として広く分かち合えるものです。それが「愛」とも呼ばれ得る。和さんの将一さんへの想い、将一さんの和さんへの想いは、何よりも普遍的なものだと感じました。実際の制作において、詳細な情報や事実関係の整合性を反映する作業は不可欠でした。そして、それ以上に、私たちが他者への想像力によって繋がることのできる領域が、そちらこそがこの作品のテーマとも言えるほどに、たくさん内在していました。この、お二人の愛の精神性を、普遍的なものとして撮ることができたならと。

和さんの手記は、「かつてこんなふうに人に恋をしたな」「これから誰かを愛してみたいな」という、過去の記憶や未来への憧れを、読む人に自然に呼び起こす率直な感覚がありました。人生を、情報の連なりとして繋ぎ合わせるのではなく、二人の間にあるそんな求め合いを、普遍的なひと繋ぎのものとして捉え、情熱をもって映画の中に刻みたいと感じていました。

それが願わくば、和さんと将一さんの人生を第三者として眺めるような経験ではなく、映画を観る人にとって、自分自身の感情や記憶を重ねながら、その物語の中に自らも編み込まれてゆくような、没入するような劇場体験にできたらと。

将一さんやご家族の方々にも、皆さんの心の中だけにある「記憶の温度」を、こんな記憶がまさにあったんじゃないかと感じていただけるように、そして観客の皆さんにとって、自らの記憶の物語になりうると感じてもらえる瞬間が訪れるように、それができる映画までたどり着くことが、一つの大きな目標でした。

──脚本制作にあたり将一さんとも会話を重ねられたそうですが、ご本人とお話しされる中で、お二人に対する印象や見方が変わった部分はありましたか。

お二人が離別されたということを前提として、将一さんに初めてお会いした際に、将一さんは、「本当に和の性格ってこうで、今はこういうことを相談できたらいいのにと思うんですよね」と、お話をくださり、そんな将一さんの言葉の端々から、将一さんにとって、和さんは亡くなった人ではなく、今も共に生きている存在なのだということを感じていました。その面影が、映画を作り終えた今、ラストシーンに至るまで、作品に計り知れない影響を与えてくださったと考えています。

本作は『ママがもうこの世界にいなくても』というタイトルですが、将一さんご自身は、その「いなくても」という言葉から、最も遠いところにいらしたんです。現実を生きる将一さんの愛に溢れた眼差しによって、この作品はもっと深いところに行ける、行くべきだと、当初想定していた以上に、映画化を深い奥行きへと押し進めていただいたのだと、今も感じて続けています。

──和さんのご両親や妹さんなど、実在するご家族を描くうえでの難しさや、意識された点についてお聞かせください。

並走してくださった将一さんはもちろん、和さんのご家族も、脚本の段階から本当に丁寧に目を通し、心を込めて真摯にご意見を寄せてくださいました。

映画の中の人物を、もとより強く愛して臨むつもりでしたが、ご家族との対話やコミュニケーションの機会をいただけたことで、よりいっそう深い愛情を受け継いで、カメラを向けさせていただけたことを感じています。完成した映画について、本当に愛おしく思ってくださっているということをお伝えくださったときの気持ちは、これからもずっと忘れることはありません。いつか成長した娘さんに作品をご覧いただける日を夢見ながら、この作品を、一人でも多くの方にとって、自分自身の家族を想う物語として感じていただけることを願っています。

──将一さんが別の病院を探し回って家を空けますが、和さんはそばにいてほしい気持ちを抑え、妹の遥さんは和さんを思って将一さんを責めてしまう。そうした家族ゆえの感情のすれ違いも、本作ではごまかさずに描かれていますね。

一番身近な家族だからこそ、すれ違いや摩擦が生じてしまいますね。和さんは、自らの人生をきれいに飾って残すのではなく、日々悩み、格闘しながら一生懸命生きていたんだよと、そんな人間としての姿や想いを娘さんに残すためにこそ、予期せぬ出来事を前に生じた感情を、勇気を持って包み隠さず書いておられました。SNSが前提化し、誰もが人の目線の中で自分のあり方を考えてしまう、相互監視的とも言える時代において、これほどまでに克明に、ありのままの日常を描き出した筆致はとても貴重で、原作の美しい魅力でもあります。

その生の感覚を崩さずに、映画というひとつの扉の内に昇華させようということを、企画・プロデュースを務められた髙橋直也さんと、初期の段階から、その部分をコアとして、話し合わせていただいていました。

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