「狂気」にも「聖人」にもならない、揺れ続けるメンター
──埜本は、被害者でありながら拓海を導く「メンター」になります。『空白』(2021)で古田新太さんが演じた被害者遺族の添田充がものすごい怒りを示したので、怒りや憎しみではなく「赦すこと」を自らに課した埜本の姿はとても狂気的に映ります。普通なら成立しにくいこの関係を、あえて成立させようと考えた理由は何だったのでしょうか。
まず、埜本に対して、「どうせこの人、普通の人じゃないだろう」って、観客は絶対思うじゃないですか。古田さんの『空白』のイメージもあるし、僕の作品の傾向的にも「最初から最後まで本当に“いいメンター”で終わるわけないでしょ」と、みんながヒヤヒヤしながら見るだろうなと。
埜本って、感情を爆発させたり、そうかと思えば赦そうとしたりと、心が揺れ動いて行ったり来たりするじゃないですか。でも、それこそが「人間らしさ」だと思うんです。
僕の中では、完璧で聖人君子のような「メンター」という存在自体が、どこか人間離れしていてリアリティがないように感じてしまう。だからこそ、最終的な着地点として描きたかったのは、「良くも悪くも、人間ってこういう愚かさや弱さ、揺らぎがあるよね」というリアルな人間らしさだったんです。
──確かに埜本の変化に「人間らしさ」を感じましたし、どんなメンターであっても完璧ではなく、人は弱さと強さの両面を持っているということが伝わってきました。
ちゃんと“メンター”を描いているように見えて、メンターはメンターとして終われないという裏切りを一つ入れておきたかったんです。その結果、埜本は行ったり来たりする。怒ったり、赦したり、揺れたりする。その“揺れ”こそが人間らしいんですよね。最終的に、「人間ってこういうところあるよね」という、良さも悪さも含めたリアルな姿になったと思います。
それに、メンターがいるかいないかって、人生にすごく影響すると思うんです。運もあるし、性格もあるし、そもそも“自分が影響を受けたいと思える人物”に出会えること自体が難しい。人生で何人、そういう人に出会えるかって考えると、なかなかいないですよね。でも、もし出会えたら――。そこから人生は大きく広がる。そういう“出会いの力”も、この物語で描きたかったんです。

磯村勇斗、末澤誠也、綾野剛――3人の俳優が作った「いびつな三角形」
──磯村勇斗さん演じる龍之介は、監督ご自身の「感情の起伏の少なさや反省の色の足りなさ」を投影したとお聞きしました。磯村さんの演技をご覧になって、ご自身の分身としてのハマり具合はいかがでしたか。
基本的には脚本に沿ってお芝居してもらっているんですが、たとえば拓海が土下座しているシーンでの冷めた視線の送り方とかって、台本に細かくは書いていないんですよ。「冷めた目で見ている」くらいは書いてあるかもしれないけれど、正座しながら「ちょっと足が痛いな」と座り直したりするような芝居を磯村くんは入れてきました。「これ絶対意味ないでしょ」と冷ややかな目で見つめている感覚を、モノローグを使わずに、細かい仕草やお芝居だけで見事に伝えてくれるんです。これって本当にすごいなと感心しました。
大げさなオーバーアクションにするわけでもなく、ジェスチャーやちょっとした眼差しだけで「絶対に自分と同じ気持ちでこの場を見ているな」と思わせてくれる。そうした細やかな芝居を自然体で表現できるのが、磯村さんの本当に素晴らしいところですね。
──末澤誠也さんは、拓海の変化を4つのブロックで作ったと語っています。監督からご覧になっていかがでしたか。
やっぱり最初の“引きこもりパート”のリアリティがすごく大事なんですよね。冒頭のボソボソした喋り方や、ちょっと影のある佇まい――あれをまずしっかり掴んでくれた。
僕はわりと“わかりやすい芝居”や“ドキュメンタリーっぽい芝居”が好きなんですけど、前半は特にその方向でやりたいと思っていました。その“ドキュメンタリー的なベース”をしっかり作ってくれたからこそ、そこから少しふざけたり、変な声を上げたり、気持ちを爆発させたりしても滑らないんですよ。
ベースがないと、そういう振り幅のある芝居って簡単に浮いちゃうんですけど、末澤くんはまず土台をガッと掴んでから、どこまで崩しても許されるかを自分でキープしていた。その“崩し方のセンス”が本当にすごいと思いました。
──埜本に関しては、当初、もっと落ち着いた、説得力のある「メンター像」を想定していたところ、綾野剛さんによって、埜本はコミカルで愛嬌のある人物へと変化したそうですね。その愛嬌が観客にとって不穏にも見えてきます。埜本の怖さを、監督は綾野剛さんとどのように設計されたのでしょうか。
最初は割と探り探りでしたね。綾野さん自身がいろいろと考えて持ってきてくれたものをまずは見せてもらって、僕としては彼が考えてきたアプローチをほとんどそのまま活かしていった感覚です。
だから半分以上は手放しで、「綾野さんの考える埜本」を楽しませてもらった感覚に近いかもしれません。
ただ、初期段階の擦り合わせで言うと、最初の喋り方が少しスローすぎるというか、どこか老人っぽいトーンだったんですよね。なので「もうちょっとハキハキ喋って、面白くていいんじゃない?」という調整は伝えました。
印象的だったのは、拓海が「俺、友達いないんですよ」と言った時に、「俺がいるじゃん!」と返す場面があるんですが、そこで僕が「ちょっと笑いながら、ふざけた感じで『俺がいるじゃん』ってやってみたらどう?」と提案してみたんです。
実際にやってみてもらったら、「あ、この人すごくノリが良い人なんだな」という絶妙な軽やかさと愛嬌が生まれた。
そこから一気にキャラクターの輪郭が出来上がって、綾野さんもその要素をうまく混ぜ込みながら役を膨らませていってくれました。演技の幅が本当に広いし、何より勘が抜群に良い役者さんだなと改めて思いましたね。
──埜本は顔の左側の激しい火傷痕や、帽子から覗く白髪混じりのもじゃもじゃ頭といったビジュアルの印象が強いですが、後ろ姿がダボッとしていて、いつもの綾野さんらしいスマートな色気とは違った存在感に驚きました。この役のために綾野さんが肉体を作ってこられたのでしょうか。
そうなんですよ。とにかくデカいんです(笑)。とんでもなく身体を大きくしてきてくれて……。
実は僕から「身体を大きくしてほしい」なんてオーダーは一切していないんです。最初の顔合わせの時はシュッとしていたのに、衣装合わせの時に現れたらゴリラみたいにガッチリしてきたから、「どうしたの!? なんでそんなことになってるの?」ってびっくりしちゃって(笑)。でも、着ている服のダボッとした感じと相まって、どこか人生に枯れているような独特の哀愁が出ていて面白いなと思ったんです。綾野剛さんのキャスティングが決まった段階では、まさかこんなガッチリ体型になって現れるとは夢にも思っていなかったので本当に驚きましたけど(笑)。
ただ、拓海役の末澤(誠也)くんが華奢でちっちゃいから、まるで子犬が大きなゴリラにくっついて歩いているようなビジュアルになったんです。その組み合わせがすごく可愛らしくて、結果的に役同士の関係性としてすごくハマっていて良かったですね。

