2026年3月31日にZepp DiverCity(TOKYO)で行われるラストライブをもって解散し、約16年の歴史に幕をおろす東京女子流。「音楽の楽しさを歌って踊って伝えたい」という思いを胸に、長きにわたって国内外で精力的にライブ活動を展開し、唯一無二の存在感を放ち続けてきた。
彼女たちは、どうして解散という決断に踏み切ったのか。そして、現在のアイドルシーンに何を思うのか――。懐かしい思い出話や当時の裏話を交えつつ、4人の飾らない自然体なトークをお届けする。
(撮影/久保田司 取材・文/宮田英一郎)

時代を先取り!? 東京女子流の知られざる功績

画像: 庄司芽生/1997年7月2日生まれ/山形県出身

庄司芽生/1997年7月2日生まれ/山形県出身

──5月に開催されたデビュー15周年記念ライブにて、2026年3月31日をもってグループを解散することが発表されました。

庄司 アンコールのMCで発表させていただきました。

山邊 ファンのみなさんに解散を伝えて、どんな反応が返ってくるか不安でした。ザワザワするのかなと思っていたら、(庄司)芽生が「解散します」と言った瞬間、会場がシーンと静まり返ったんです。涙を流している方もいましたが、言葉をひとつも聞き逃さないように耳を傾けてくださっている、そんな印象がありました。

──解散を惜しむ声も多いと思います。

中江 女子流に出会ってくれたタイミングによって受け止め方が違っていたり、反応はさまざまでした。最近私たちを知った方には「これからも活動を見たかった」というお声をいただきました。でも、15周年ということもあって「ある程度、覚悟していた」という方もちらほら見受けられました。永遠に続くものっていうのはないですし。ただ、覚悟を決めていたとはいえ、まだ受け止めきれないという方もいらっしゃいます。実際、私たちも意外と実感がないんですよね。

──あまり実感が湧かない?

新井 発表前は「本当に解散するのかな……?」という、ふわふわした感覚だったんです。でも、発表から少し時間が経って、ファンのみなさんや知り合いから「解散しちゃうんですね」って声をかけていただいて、ようやく実感が湧いてきました。

山邊 ラストアルバムのレコーディングをしたり、ライブのタイトルが『LAST SUMMER 〜夏の密度〜』だったり、そういう「最後の◯◯」をやらせていただくなかで、少しずつ実感しています。

──解散という決断に至るまで紆余曲折あったのでしょうか?

庄司 メンバー4人とチーム女子流のスタッフのみなさんで、時間をかけて何度も話し合いを重ねて、決断をしました。応援してくださるファンの方々から「女子流が日々の生きがいです」「女子流のライブに行くことを楽しみに仕事を頑張ることができます」という言葉をいただくこともあったので、この決断をするのは苦しさもありましたが……。最後の瞬間までしっかりと自分たちらしく活動をして、残された時間を大切に過ごしたいと思っています。

──過去に解散の話が持ち上がったことはありましたか?

庄司 デビューから15年間でグループにとって一番大きな変化だったのは、メンバーが抜けて5人から4人になるタイミングでした。もしメンバーの誰かが一人でも抜けることがあれば、そのときはグループを解散するという気持ちでみんな活動していたんです。でも、いざその場面がやってくると、ここで終わってしまうのは残念だなという思いがあって、話し合いの末、4人になっても東京女子流として活動を続けるという結論に至りました。

──当時、新メンバーを入れるという選択肢は?

庄司 なかったです。そういう声をいただいたこともありましたが、私たちの気持ちは変わることなく、4人で活動をすることを選択しました。

──15年の活動のなかで、思い浮かぶ光景や忘れられない場面といえば?

新井 私は初めてのライブに向けて、西新宿にあるリハーサルスタジオで練習したことが、今でもはっきり記憶に残っています。キャリーケースを担ぎながら、急な階段を上がるとスタジオがあるんですけど……。

中江 懐かしい! 階段を上がるときにミシミシ音がして怖いんだよね(笑)。

新井 リハーサルスタジオに向かうところもカメラが密着してくれていたんですけど、当時の映像を見ると、真っピンクのド派手なリハ着で、無邪気におしゃべりしながら移動しているんです。それを見て、ちょっと恥ずかしい気持ちになったりして(笑)。

山邊 初期の頃は、よくUstreamで密着配信をしていたんです。それこそ移動中や楽屋でも、気づいたらカメラが回っていて生配信が始まっていることがあって。今だったらカメラに向かって何かしらのリアクションを取ると思うけど、当時は子どもだったので、スタッフさんに対して妙な対抗心を燃やして、勝手に音声を切ったり、カメラを壁に向けて映らないようにしていました。

中江 当時は反抗期だったので(笑)。

山邊 カメラの向きを変えたり、また戻したりして、スタッフさんとの地味な攻防戦が繰り広げられていました。でも、ひたすら壁が映っているだけの「壁配信」が一番人気だったんです。

庄司 「きたあぁ〜〜〜壁!!!!」ってコメントがあったり(笑)。どこまで配信するんだろう!? と思ったこともあったけど、「Ustreamで女子流の存在を知った」「Ustreamがきっかけで女子流のライブを見るようになった」という海外のファンの方が意外と多いらしいので、今となっては感謝です。

中江 あの配信が海外で見られているなんて、当時は想像してなかったもんね。

山邊 そういえば、私たちってアイドルのなかでは、かなり早い段階からネット配信をしていたんです。ネットサイン会を最初に始めたり。結構、時代の先端を行っていたと思う。

中江 生配信を通じてファンの方たちと交流することをした先駆け的なグループと言っていただくことも多くて、うれしいです。

新井 「配信のパイオニア」って言われたこともあったよね。

山邊 そうそう。だから、ダンスを踊るショート動画がもうちょっと早く流行っていれば、『おんなじキモチ』がバズっていた可能性があったと思います。

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