黒人と白人の対立と共存がテーマ
一般の、小振りなハリウッド映画の1/4以下、製作費500万ドルという低予算作品なのに、アメリカでは興収1億7600万ドルという大ヒットを記録!
加えて監督もキャストも新人で、賞レースでは無視されがちなホラー映画であるにもかかわらず、今年の第90回アカデミー賞で、作品、監督、脚本、主演男優の主要4部門にノミネートを果たし、ついには脚本賞を受賞してしまった。ジョーダン・ピールの初監督作品『ゲット・アウト』は、昨年のアメリカでいちばんの話題を振りまいたといってもよい注目作だ。なぜこれほどの成功を収めたのだろうか。
主人公は黒人カメラマンのクリス(ダニエル・カルーヤ)。恋人の白人女性ローズ(アリソン・ウィリアムズ)の提案で、ふたりは彼女の実家へ挨拶に行くことになる。
白人の両親が黒人の自分を受け入れてくれるか不安に思うクリスだったが、ローズは「パパはオバマ大統領の熱心な支持者なの。肌の色でひとを差別なんてしないわ」と話し、実際、田舎で裕福な生活を送る両親はクリスを歓待してくれた。周囲の住人たちも優しくていいひとばかりだ。
けれどもやがて、満面の笑みを浮かべる彼らを前に、クリスの心に疑念が生じる。
この居心地の悪さはなんだ? 何かがおかしい。この家族はヘンだ。
こうしてクリスはその邸宅で、想像を絶する事態に直面することになる。
ポスターやソフトのジャケット・デザインでも分かるように、この『ゲット・アウト』(出ていけ!の意。どこから何に出ていってほしいのかは鑑賞後に分かる仕掛けになっている)は、ブラックとホワイト、黒人と白人の対立と共存をテーマにしたサスペンス・ホラー作品だ。
オバマ大統領の登場でも人種間の問題は好転しない
監督のジョーダン・ピールは、キー&ピールというお笑いコンビを組んで活躍する人気コメディアンで、父はアフリカ系のアメリカ人、母は白人という出自だ。キー&ピールでTV版の『ファーゴ』でドジすぎるFBI捜査官コンビを演じていたといえば思い当たる方もいるかもしれない。
2009年の1月、史上初の黒人系大統領としてバラク・オバマ政権が誕生した。ちなみにオバマ大統領もケニア出身の父と白人の母の間に生まれたダブル(近年はハーフではなくこの呼び名が広まりつつある。半分ではなく倍のほうが感じがいいからね)である。『ドリーム』やキャスリン・ビゲロー監督の『デトロイト』で描かれたように、他民族の移民国家であるアメリカでは白人と黒人の対立が長年問題になってきた。
そこにオバマ大統領が登場。人種間の問題が改善するかもと大きな期待が寄せられた。けれども現実はうまくは進まない。貧富の差は解消せず、毎年のように白人警官による丸腰の黒人青年射殺事件が起こる。ほとんどは証拠不十分、あるいは正当防衛で無罪。全米でそれに抗議する暴動がつづき、2016年の7月には黒人帰還兵による白人警官5名への報復狙撃事件が起きた。
ピールが『ゲット・アウト』の脚本を書き始めたのはこのころのことだった。グロテスクなユーモアを交えて、ホラー映画という鋳型のなかに人種問題を流し込む。
TV番組でオバマ大統領の物真似をしたり、人種問題をネタにしたコントをやっていたピールは、自身の黒人と白人のダブルというアイデンティティを活かし、そのどちらもが興味を持ち、またショックを受ける映画を作ってみたいと考えたのだ。
手を差し伸べたのはホラー映画中心の製作会社ブラムハウス・プロダクションズを率いる敏腕プロデューサーのジェイソン・ブラムだった。『パラノーマル・アクティビティ』や『インシディアス』などのヒット・シリーズを世に送り、製作費の予算は抑えるけれど内容に口は挟まない。作り手の意向を尊重する。最近では低迷気味だったM・ナイト・シャマラン監督を『スプリット』で蘇らせ、また『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル監督の出世作『セッション』をプロデュース(製作費は『ゲット・アウト』よりさらに低い330万ドル!)したのもこのひとだ。
ブラムは「これまでこんな映画を観たことはなかったよ」と語る。こうして薄気味の悪いホラー映画であり、人種問題の本音と建て前をまな板の上にあげるコメディーでもある『ゲット・アウト』が生まれたのだ。
ホラー映画ではあるがさらなる味わいを隠している
アメリカ人にとって人種問題は、ぼくら日本人が考えるものよりはるかに身近で切実な課題だし、衝突しながらも米国は前に進んできた。2040年代にはヒスパニック系、黒人、アジア系、ダブルなどの有色人種が人口比で白人を逆転し、多数派になると予想されている。それは明るい未来なのか、そうではないのか。『ゲット・アウト』はこのような世相にハマッたのだ。
恋人ローズの母親はティースプーンを使った催眠術を操るのだが、これも海の向こうの観客が観ると笑いのツボになる。銀のスプーンをくわえて生まれてきた赤ん坊は裕福で幸せになれるという言い伝えがあるため、ヨーロッパでは出産祝いにしばしば銀のスプーンが贈られる。ローズの家も確かにお金持ちなのだけれど、その富はどこから得たものなんだよっ、というわけだ。
完成間際の2016年の暮れ、ピール監督も予想していなかった事件が起こる。現状と未来に不満を抱く白人層の支持を背景に、世界の融和に異を唱えるドナルド・トランプが第45代アメリカ大統領に当選してしまったのだ。熟考のすえ、ピールはラストシーンを撮り直した。
ソフトの特典映像に解説付きで収録されているけれど、もとのそれはオバマの時代でもダメだった現実を皮肉るような救いのないものだった。就任前から攻撃的な言辞をくり返し、その痛快さが人気の一因にもなっていたトランプ政権の誕生を受け、公開版のエンディングは希望を与えるものに変えられている。
世界はさらに悪くなるかもしれない。黒人と白人、双方の感情が理解できるピールは、自由を求めるひとへエールを送る幕切れにしたかったのだろう。ホラー映画だけれど、それだけではない。『ゲット・アウト』は幾重もの味わいがある作品だ。