ジョニー・デップの魅力でますます進化中!
悪は美しい。悪はかっこいい。少なくとも映画や漫画の世界では、悪役の魅力が作品の出来を決定する。善悪の区別があいまいなものになった世紀も年目に近づいて、ジョニー・デップが悪役開眼、絶好調だ。
悪役は演技力を制約なく発揮できるチャンスであり一つ上のステージに上がるための旅券
公開中の『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』で、ジョニーが演じるのは、ヴォルデモート出現以前最強の極悪魔法使いゲラート・グリンデルバルド。『ハリポタ』シリーズと違い『ファンタビ』は大人の世界を扱っているだけに、キャラクターたちは多面性を持つ複雑な人物になっている。その中でも、自分の能力のすべてを己の理想とする世界実現のために駆使するグリンデルバルドは、非常に魅力的な「悪役」である。
彼が掲げる「理想」は、例えばトランプが掲げる「アメリカン・ファーストなアメリカ」に熱狂する人々がいるように、ヒトラーの演説に酔いしれた人々がいたように、多くの魔法使いたちを奮い立たせる。第一次大戦後の世界で、人間界に遠慮しながら生きることに苛立ちを感じる魔法界の人々、年功序列や封建的なしきたりに縛られることを嫌う人々に、グリンデルバルドの説く「理想」「改革」は魅力的であり、その「理想」実現のパワーは「愛」である!なんて言われると、つい飛びつきたくもなってしまうのである。掟を破っても愛に生きようとした“彼女”のように...。
俳優にとって悪役を演じることは、演技力を制約なく発揮できるチャンスであり、俳優としての一つ上のステージに上がるパスポートのようなものである。『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンズ、『ダークナイト』のヒース・レッジャー、そして『パブリック・エネミーズ』『ブラック・スキャンダル』『オリエント急行殺人事件』のジョニー・デップ。俳優としてのキャリア的に、またはプライベートで、何か乗り越えたいものがあるとき、俳優は悪役に挑戦するのかもしれない。
もっとハードでリアルな悪役を、という役者魂から、ジョニー劇場第二幕が上がる
基本的に清教徒的モラルをもつハリウッド映画では、主役はいろいろな制約が課せられるものだが、悪役は主役が大物だったり作品が大作であればあるほど、モラルからも自由なキャラクターの強さを作ることが許される。そのためなら役作りに俳優の自由な裁量が許される。例えば『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック船長は最初脇役のワル役だったから、メイクや衣装から演技まであんなに好き勝手に作り上げることが出来たのだ。
ジョニーはここで悪役の面白さに開眼したのではないか。やがて子どもたちも大きくなり、父の仕事も理解しているのでワルをユーモアで包む必要はない。ならば、もっとハードでリアルな悪人を演じたい。社会の敵ナンバーワンに指名されたジョン・デリンジャー(『パブリック・エネミーズ』)、ボストンを裏支配したジェームズ“ホワイティ”バルジャー(『ブラック・スキャンダル』)という実在のギャングを外見もそっくりに作り上げ、彼らが行った悪業を再現、ジョニーの今までのイメージをぶちこわし、役者魂を見せつけてくれたわけだ。
そしてグリンデルバルド、である。ギャングという実在の人物どころか人間ですらないので、それこそやり放題のワル三昧を繰り広げる。相手の懐に入り込む巧みな話術と人当たりのよい態度で支持者を集め、悪の本音を隠し改革者としてふるまうグリンデルバルド。こういうソフトさを装う「悪」ほど始末が悪い。それをジョニーはユーモアを封じ、見た目の汚しもなしで、嬉々として演じてみせる。人間界との対決に同志を募り、集まった魔法使いたちを前に演説をぶちかますシーンなど、左右違う色に仕立てた瞳を喜びでキラキラさせている、ような気すらした。
人間的な弱みなどない、自らの「正義」を信じているからこそ残虐非道もためらいなく行える。そうして指揮者のような身のこなしで次々と敵を葬り去るグリンデルバルド。悪なのに華麗なのである。はっきり言ってヴァネッサと別れてからスターバリューはダウン気味のジョニーだったが、それをストップさせるのがこのグリンデルバルド役かもしれない。ジョニー・デップ劇場第二幕の開幕、である。
ジョニーの悪役を堪能する3本!
「シザーハンズ」のハサミを剃刀に持ち替え、哀しみを怒りに変えたジョニーが復讐を歌い上げる「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」。黒い瞳から哀しみが消え闇が生まれ「悪」になる。
「パブリック・エネミーズ」での、FBIが敵と烙印を押すニュース映画に観客がブーインクする様子にニヤリと笑うデリンジャー役も印象的。
薄毛にブルーアイで冷酷さを際立たせ、容赦なく殺し奪う「ブラック・スキャンダル」のバルジャー。食卓で裏切り者相手に詰め寄るシーンが怖い。冗談めかし、脅し、反応を楽しみ嬲る残酷さ。生まれながらの「悪」を感じた。