「荒野の七人」「大脱走」「シンシナティ・キッド」「ブリット」––––数々のアクション映画で当時の男たちを夢中にさせたスティーブ・マックイーン。クールでカッコよくて、何よりその鮮烈な生きざまは憧れだった。もうあんなスターは出て来ないかも知れない。でも彼の雄姿は私たちの心の中でまだ生きている。生誕年を迎えるいま、スターチャンネルではマックイーンの出演作を完全網羅で放送!あの時抱いた熱い思いをもう一度、甦らせてみようではないか。(文・秋本鉄次/デジタル編集・スクリーン編集部)

1980年、50歳の早すぎる死からもう40年の月日が経った

生前、SCREEN誌はマックイーンのプライベートにも密着した

今年もまた現役最長老クラスのクリント・イーストウッドの監督作が公開された。私はそのたびに彼と並び称すべき同い年のスーパースターの存在を常に想い出すのである。その名、スティーブ・マックイーン。1980年11月7日、50歳の若さで肺ガンに斃れる。

世代別に各々憧れのスター男優が違うのは当然だろう。今なら誰?本誌2019年の得票1位はトム・クルーズだったが...。60代の我々世代なら〝御三家〞はポール・ニューマン、クリント・イーストウッド、そしてマックイーンだった。他の2人は〝二枚目スター〞とも呼ばれたものだが、マックイーンはルックスを問われない。悪く言えば〝猿顔〞である(失礼)。私に人の顔のことをとやかく言う資格はないが、当時代の我々に親近感を与えたことは確かだ。『筋金入りの不良少年』という異色の経歴にも憧憬の念を募らせた。

同世代で、10代から知己のある映画監督で、やはりマックイーン好きでは人後に落ちない大森一樹と飲んで、マックイーンに話題が及ぶと、昔から決まって『マック兄ィ』呼ばわりする。

『「大脱走」「ブリット」「パピヨン」...マック兄ィは最高やで』、『「シンシナティ・キッド」も忘れんといて』、『そやそや、「荒野の七人」もエエなあ』と、映画青年に立ち返ったかのよう。イーストウッドもニューマンも好きだが、クリント兄ィ、ポール兄ィでは語感がいまイチ。やっぱ〝兄ィ〞は、〝マック兄ィ〞に限る。なっ、カントク!

画像: 映画での出世作「荒野の七人」

映画での出世作「荒野の七人」

孤独に耐え、闘志を燃やし続けるそんなアウトロー役が似合った

画像: 「大脱走」で名実ともに大スターの仲間入り

「大脱走」で名実ともに大スターの仲間入り

非二枚目にもかかわらず、とにかくソー・クール、カッコ良かった。形から入る人間としては、まず衣装に憧れた。「大脱走」の軍服、「パピヨン」の囚人服、「栄光のル・マン」のレーサー服、そして「ブリット」のタートルネックとホルスター姿。当時、かなり流行った。

クールな刑事役に扮した「ブリット」

だが、個人的には「シンシナティ・キッド」の皮ジャン姿にトドメを刺すね。冒頭まもなく、ポーカー勝負で負かした相手に逆恨みされ、洗面所で襲われるが、瞬時に反撃し、窓ガラスを叩き割り、脱兎のごとく走り去る。さらに操車場の欄干を軽業師のように渡り、貨車の下を俊敏にくぐり、見事脱出!何食わぬ顔で、賭け仲間の集まるバクチ場に現れる...超絶にカッコいい雄姿に夢中になり、彼が着ていたやや薄手で黒い皮ジャンも猛然と欲しくなった。

上野のアメ横に行って似たような安物を買い求め、悪友たちと学校サボって一丁前にポーカーに興じたりする時にさりげなく着て、気分はほとんど〝マック兄ィ〞=シンシナティ・キッドだった。

アウトローの魅力にあふれていた「シンシナティ・キッド」

実はこの映画、わが生涯の洋画ベスト3。多くの野心的な若者と同じく、もっと血が逆流するようなデカい勝負(コト)がしたい、という強い思い、その栄光と挫折を描いて最高峰だと今でも思う。なにしろ、競馬や麻雀をやる前、このサントラを聴いて(昭和っぽいね)、自分を鼓舞して出陣することもしばしばだ。

血が逆流するほど、と言えば「パピヨン」も同じ。脱出不可能とされる監獄島の断崖に立つ〝パピヨン〞。ヤシの実を組んだイカダと共に身を投じる。大海原に浮かぶイカダの上で『俺はまだ生きてるぞ!』と天に向かって叫ぶ。その名シーンに目頭が熱くなったものだ。

脱獄に命を賭ける囚人に扮した「パピヨン」

マックイーン映画はいつもそうだ。孤独に耐え続け、闘志を燃やし続け、ひとたび決断すれば大胆不敵なアウトローこそが彼が演じ続けた主人公の典型像だった。そんな彼の〝人生わずか年〞を振り返りつつ、『マックイーン伝説』について、私世代が知っている2、3の事柄を本誌読者に伝えたい。

冒頭にもあった『筋金入りの不良少年』説は誇張ではない。大酒飲みでDV癖の父親。母の再婚相手も彼に暴力をふるった。それに反抗し、歳で家出し、不良の道にズブズブ。悪事を働き、逮捕され、問題児矯正寄宿学校に入れられたが、結果的オーライ。

院長が人格者で、薫陶を受けた彼は改心し、放浪の旅に出る。この時わずか15歳。何か、凄いだろ。彼は当時を振り返って語っている。『今では私を貧しい逆境に生ませた運命に感謝している。もし、銀の匙を銜えた環境に生まれたら、人生のファイターにはなっていなかった』と。

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